共謀
バッシュが館の扉を開けると、すぐに侍女の一人が駆け寄ってきた。彼女は少し驚いた様子で、バッシュの後ろにいるエラとソッロを見つめる。
「バッシュ様、こちらの方々は……?」
侍女は目を丸くして尋ねた。
バッシュは少し困ったように肩をすくめた。
「えーと、ちょっとした事情があって……申し訳ないのですが、リリアさんが戻ってくるまでこの2人も待たせてもらえませんか?」
侍女は一瞬迷うようにエラとソッロを見つめた。エラは控えめに微笑み、ソッロはきょとんとした顔で廊下の装飾を眺めている。侍女は短く息をつくと、バッシュに向き直った。
「かしこまりました。ただ、リリア様がいつお戻りになるかは分かりませんが……」
バッシュは頷きながら、少し口元を引き締めた。
「それで大丈夫です。迷惑かけてごめん。でも、この二人も大事な用があるんだ。」
彼は言葉の端に、どこか大人びた真剣さを滲ませた。
侍女はその様子に少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに軽く頭を下げた。
「承知しました。では、こちらへどうぞ」
バッシュは軽く頭を下げて礼を言うと、館の中へと案内された。エラとソッロも、館の広間に足を踏み入れると、どこか落ち着かない様子で周囲を見渡していた。
「しっかし、すげぇ館だな……」
ソッロはポカンと口を開けたまま天井を見つめた。見つめすぎて首の筋が痛くなる。
「お前、そんなに見上げてると首が痛くなるぞ。」
バッシュは少し呆れたように言った。
「いや、だって、こんな豪華な天井初めて見たんだ。まるで城みたいだな。」
ソッロは首を回して痛みを和らげながら、周囲を見渡した。天井の装飾や壁に施された絵画に目を奪われ、思わず感嘆の声を漏らす。
「あのルクレティア一族の所有する館なんだからこれぐらい当たり前でしょ。」
「……あんた、知っているのか?」
「知っているもなにも、この国の王族の1人よ。」
エラが冷静に答えた。
バッシュは驚いた表情でエラを見つめる。
「王族……?」
「ええ。リリアはその一員よ。確か……兄がいるんじゃなかったかしら。」
エラは軽く肩をすくめ、まるでそれが当然のことのように言った。
「王家の血を引く騎士団長様よ。」
バッシュは一瞬言葉を失い、再び館内を見回した。リリアが何処ぞの高貴な家柄の人間だとは薄々思っていたが、まさか王族の血を引く人間だとは思いもしなかった。
バッシュは自分の荷物をギュッと握りしめた。
それなら、リリアに『あの封筒』のことを聞けば、なにか分かるのではないか……と、淡い期待がバッシュの胸に去来する。
自分と母親を捨てた父に会う。
それがこの旅の、最初の目的だった。
エラの言葉が静寂に溶け込む中、廊下の奥から甲高い靴音が響く。その規則的なリズムは、館の静けさを引き裂くように近づいてくる。バッシュがそちらを振り返ると、現れたのはリリアだった。
「おや、賑やかだな。」
リリアは鋭い目つきで一行を見渡しながら、悠然と歩み寄ってきた。金の髪をきっちりと結い上げ、年齢を感じさせないほど引き締まった体躯には、長年鍛え上げられた騎士としての威厳が宿っている。
「リリアさん!」
バッシュは慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「すみません、勝手に客を……」
「別に構わん。だが、館の中で勝手に暴れたりするような客なら容赦しない。」
リリアはエラに視線を向け、鋭い眼光を投げかけた。
「貴女は魔女、か……珍しい人間がいる。」
「ええ、残っていた魔女は火炙りにされたものだから」
リリアはエラから目を離さずに、今度はソッロに視線を移した。その鋭い眼差しは一瞬たりとも揺るがない。
「そして、そちらは……狐の獣人か。」
彼女の言葉に、ソッロは少し肩をすくめて気まずそうに笑った。
「魔女に狐の獣人とはな。お前の周りはずいぶん派手な交友関係だな、バッシュ。」
リリアの皮肉めいた口調に、バッシュは苦笑いを浮かべた。
「いや、そんなつもりはないんですけど……なんか、気づいたらこうなってて……。」
「ふむ。」
リリアは目を細め、再びエラに視線を戻した。
「さて、我が屋敷に連れてきたということは、なにか良い話でもあるのだろう?」
リリアは静かに椅子に腰を下ろす。その動作には無駄がなく、長年鍛え上げられた体のしなやかさが垣間見えた。長い足を組み、背筋を伸ばして座る姿は堂々としており、そこには一切の隙がない。
エラは静かに立ち上がり、部屋の中央へと歩み寄った。その足取りには、迷いのない確固たる意志が感じられる。エラは振り返り、リリアとバッシュを交互に見つめた。
「リリア・ルクレティア。」
その名を告げると同時に、彼女の声は低く、鋭い刃のように響いた。
「単刀直入に言うわ。私はセンペルを殺したい。そのために……協力して欲しいの。」
部屋に重い沈黙が降りた。バッシュは思わず息を呑み、ソッロは微かに耳を揺らしてリリアの表情を伺った。だが、エラだけは冷静だった。
「……その名がなにを示しているのか解っているのか?」
エラは静かに問いかける。その声には、鋭い警戒心が滲んでいた。
リリアは少しも動じることなく、堂々とした姿勢を保ったまま答えた。
「国王の助言者よ。」
短く、しかし決定的な言葉だった。エラの眉がわずかに動く。バッシュは状況の重大さを察して、思わずリリアとエラの間を見比べた。
「なら、話が早いな。」
エラはそう言い放つと、冷ややかな笑みを浮かべた。その瞳には、計算された冷徹さと興味が宿っている。
「私はアナスタシアを殺したい。ならば……お互いの利害は一致しているな。貸家魔女エラ。」
「本当はヴァル・キュリアをあてにしていたんだけど、貴女とは良い取引ができそうね。」
妙齢の女性ふたりの怪しげな微笑みに挟まれたバッシュは、オロオロと状況を見守るしかなかった。話がどんどん進んでいってしまっている。
「ちょっ、ちょっと待ってください!リリアさん!本当にこんな女のことを信用して良いんですか!?」
「そうだなぁ……バッシュ。」
リリアは頬杖をつき、唇に微笑をたたえた。その表情はどこか楽しげですらある。
「まず、信用はしていない。」
「え」
バッシュの困惑した声をよそに、リリアはエラをじっと見つめた。
「貸家魔女。念のために確認だが、この国で政に魔術を使役するのは、この国最大の禁忌だと知ってのことなんだろうな?」
「……ええ。」
エラは短く答える。彼女の瞳には微かな焦りが見えたが、それを隠そうとする冷静さが勝っている。
「その禁忌を隠すことなく、私の前に現れた。自分の立場を忘れてな。よほど切羽詰まった状況といえよう。」
「……」
「シュヴァイツァーの養女が囚われていることに関係しているのではないかと見ているが、違うか?」
「……! どうしてそれを。」
エラの冷静な仮面が崩れた。彼女は一瞬、動揺した表情を見せるが、すぐに口を引き結ぶ。
「シュヴァイツァーのやつ、死ぬ前に手紙を一通寄越していてな。」
リリアは指の間に一枚の紙を挟み、それをヒラヒラとさせた。
「“キランを養子にしたいという親族の申し出があった。その親族も魔女の血縁とのことだが、どうしたものか。”」
その一文を読み上げたリリアの声は冷静そのものだったが、その言葉の持つ重みは、エラの顔をさらに硬くした。
「“国の中心に近いお前に言うべきではないかもしれないが、オレはキランの魔力の才能を伸ばしてやりたいと考えている。オレの元にいては、魔術のことなど少しも教えてやることは出来ない。”」
リリアは手紙を見下ろしながら、淡々と読み進める。その声には、シュヴァイツァーの迷いや覚悟が滲んでいるようだった。
「“オレもリリアも、自分の中に混じる血によって今まで生かされてきただろう? ……それが良かったのか、悪かったかは別の話として。”」
リリアがふと顔を上げると、エラは息を呑んでいた。その動揺を見逃すことなく、リリアは手紙の最後の一文を読み上げた。
「“キランも自分のルーツを知ることで、これからの人生の糧にしてもらいたい。”」
手紙を読み終えたリリアは、静かに紙を折りたたむ。その仕草には、どこか哀愁が漂っている。
「どうやら、シュヴァイツァーが絡んでいるのは……間違いないようだな。」
「……」
エラは何も言わなかった。だが、その瞳には、明らかに動揺と焦りが浮かんでいる。
「さて、話を戻そう。」
リリアは手紙を机に置き、冷ややかな視線をエラとバッシュに向けた。
「私はお前たちを信用しているのではない。」
その一言は、場の空気を凍りつかせるのに十分だった。
「エラ。貴女の魔女としての名声は聞いているが、その実態がどれほど危険なものかも理解しているつもりだ。」
リリアの声には感情の欠片もなく、その言葉は冷たい刃のように突き刺さる。
「バッシュ、お前はしっかり者だが、まだ世間知らずだ。こんな危険な取引に首を突っ込むのは、死に急ぎたいということか?」
「オレは別に――」
「黙れ。」
リリアの一喝に、バッシュは口を閉じるしかなかった。その表情には困惑と恐れが入り混じっている。
「私がこの場でお前たちを話させてやっているのは、単に利用価値があるからだ。それだけだ。」
リリアの瞳には冷たい光が宿り、その表情には一切の慈悲がなかった。
「もし私を裏切るような真似をすれば――その時は、私の手でその細い首と体を切り離してやる。」
その言葉にエラは微かに息を呑んだが、すぐに冷静を装い、薄く笑った。
「……分かったわ。リリア・ルクレティア。」
「話しの分かる女だな。気に入った」
バッシュは二人の間に漂う緊張感に耐えきれず、汗を拭った。
(な、なんなんだよ、この女たち……怖すぎる……!」 )