兵士の歌
リリアとその部隊は、これが2度目だというのにしっかりとした足取りで凍りついた湖の上を歩いていく。氷の上に足を踏みしめるたび、わずかな音が響く。
リリアの目線は前方に向けられ、視線の先に広がる白一色の景色が、彼女の心をさらに冷たく引き寄せる。
「……誰も向こう岸に残らなかったのか?」
リリアの声は冷たく、無駄な感情を排除したように響いた。老兵士は一歩後ろで歩みながら、答える。
「はい。みんなここに残りました」
その言葉に、リリアは一瞬、何かを考えるように黙り込んだ。だがすぐに冷徹な表情に戻り、言葉を重ねた。
「……馬鹿どもめ。そんなに名誉が大事か」
リリアの言葉は僅かに苛立ちを含み、彼女自身の決断への後悔を込めたものだった。己の死を求めるが故のこの行動は人間の倫理を大きく逸脱している自覚はあった。
おそらく、馬鹿なのは自分であった。
リリアはその問いを心の中で繰り返しながら、歩みを続けた。だが、それでも求めることを止めることができなかった。
老兵士はその言葉に何も返さなかった。代わりに、リリアの横顔を一瞬見つめる。彼の目には、過去の戦いで命を落とした数多の兵士たちが重なっているような気がした。
すると後方から声が弾けた。
「こんなオレたちと一緒に行軍している団長様の方が、よっぽど馬鹿だろ!」
その言葉に、兵士たちの間に一瞬の静けさが広がった後、みんなが一斉に笑い出した。寒さと死が身近に迫る中でも、彼らは笑っていた。
「はは、ちげぇねえ!あんな戦乙女と一緒に行軍してるオレたちの方が、よっぽど命知らずだ!」
その言葉に、他の兵士も肩を揺らしながら笑う。リリアの冷徹な顔が、少しだけ和らいだように見えた。だが、すぐにその笑顔は消え、再び無表情に戻った。
「……お前たち、ほんとうに覚悟ができてるのか?」
リリアが呆れたように問いかけると、兵士たちは一瞬黙り込んだが、すぐにまた笑顔を見せた。
「死ぬのは決まってんだ。なら、せめて笑って死ぬのがオレたち301部隊の流儀だろ!」
その言葉に、再び兵士たちが笑い声をあげる。死を前にしても、彼らの心はまだ折れていなかった。
リリアは歩みを進めながら、目の前にいる兵士たちを静かに見つめた。彼らの足取りはしっかりとしており、死を恐れないように見える。だがその一方で、彼女の心の奥底では、どこかで彼らが死んでほしくないという気持ちが芽生えていることに気づいた。
「死ぬ覚悟ができてるのか?」と問いかけた時、兵士たちが笑顔で答えるその姿を見て、リリアは一瞬、自分の意図と反して心が揺れるのを感じた。
彼らが笑うことは、彼女にとっては救いでもあり、同時に苦しみでもあった。彼らが死ぬことを許すことが、自分の使命だと思っている。だが、心のどこかで彼らが生き延びることを願っている自分がいる。
無意味な願いだ。
こんなことを招いたのは私自身だというのに。
兵士たちの覚悟は確かで、彼らが死を恐れていないことを理解している。しかし、同時に彼らが死ぬことを望んでいない自分の気持ちに気づくのだ。
彼らを死なせてはいけないと、リリアは心の中で強く思う。だが、彼女の目の前に広がるのは、戦場での終わりのない死の連鎖であり、彼女自身がその中で死を求める存在であることを彼女はよく理解していた。
その矛盾した思いが、胸の中で絡み合い、リリアは静かに目を閉じた。
その時、誰かがふと口を開き、低く、野太い声で歌い始めた。歌は荒削りで、下手だった。
兵士たちの歌声はお世辞にも美しいとは言えなかったが、その力強さには何かが込められているようだった。低い声が響き、まるで大地を揺るがすような重さを持っていた。
歌詞は戦乙女を讃えるもので、戦の神に捧げられた祈りの唄だった。荒れた歌声が空気を震わせ、雪の中に響き渡る。誰かが音程を外し、誰かが声を上げすぎて音が裏返るが、それでも歌は止まらなかった。
リリアはその歌を静かに耳にした。
かつて、自分が「戦乙女」と呼ばれるようになった時、この歌が嫌いだったことを思い出す。神明に捧げる歌に勝手に自分を重ねられることに名誉を感じるどころか、むしろその言葉に押し潰されるような感覚を抱いていた。
しかし、今は違った。
彼女の胸に広がるのは、静けさと、あたりに鳴り響く歌声への静かな共鳴だった。兵士たちの歌が続く中、リリアはその歌に耳を傾けながら、ただ黙って目を閉じた。