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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第8章 ノヴァリス・ビスタの雪
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逃走

「さっきから聞いていれば勝手なこといいやがって!」


突然響いた少年の怒声が、大広間の退廃的な雰囲気を一瞬で吹き飛ばした。


「なんだかよくわからんが、その人……アナスタシアの身体から出ていけ!」


バッシュは拳を握りしめ、真っ直ぐにアナスタシア――いや、その身体を操る悪魔に向かって叫んだ。その声には恐れも迷いもなく、ただ真っ直ぐな怒りと決意が込められていた。


その場に漂っていた緊張感が一瞬で崩れ、沈黙を破った少年の言葉に、センペルは思わず肩を震わせて笑いを漏らした。


「あはは。面白い少年をお連れですね」


彼は口元を手で隠しながら、楽しげに目を細めた。その笑い声は、大広間の冷たさとは不釣り合いなほど軽やかで、どこか場違いな響きを持っていた。


「雰囲気がぶち壊しだ」


センペルの声に、アナスタシアの瞳がわずかに動いた。彼女の唇が再び歪み、冷たい笑みを浮かべる。その目にはバッシュを見下すような、悪魔らしい冷酷な光が宿っていた。


「小僧が……何を言うかと思えば」


アナスタシアの声は低く、静かだが、底に潜む怒りが感じられた。


「貴様の叫びなど、余には届かぬ」


アナスタシアの声が低く冷たく響き渡る。その音はまるで氷の刃のように鋭く、バッシュの耳元に突き刺さる。


彼女の瞳がほんの一瞬、バッシュを捉えた。その底には、嘲笑とも無関心とも取れる冷酷な光が揺らめいていた。


「あの街で、あの男を殺したのは余だ。お前の友人であったのか、ヴァル」


アナスタシアの声は冷徹で、まるで事実を告げるだけの無感情なものだった。彼女の瞳には、過去の記憶すらも無意味であるかのような空虚な光が宿っていた。


「お前が、シュヴァイツァーを殺したのか!」


バッシュは叫んだ。その声には怒りと悲しみが混じり、震えていた。


「ふふ。」


アナスタシアは軽く笑い、まるでその言葉を楽しむかのように言った。


「肺の病を増やしてやった。まぁ……すでに蝕まれた肉体だったがな」


バッシュは怒りに満ちた眼差しを向け、唇を噛み締める。


「お前……!」

「ふふ。憎かろう。悍ましかろう。お前が大切にしていた人間を、余はただの遊びで殺しただけだ。」


アナスタシアの声に悪魔の冷酷な意図が込められていた。彼女はわざとヴァルの傷口に触れ、深く突き刺さるように言葉を放った。


「それとも、シュヴァイツァーを救えなかった自分を、今でも責めているのか?君があの時、もっと早く駆けつけていれば、彼はまだ生きていたのかもしれない……いや、あるいはもっと前の、アナスタシアへの執着を手放していれば、か?」


アナスタシアの言葉が静寂を引き裂いたように響き渡る。


「お前は、結局何も守れなかったんだよ。」


その一言がヴァルの心に深く突き刺さる。微かな肩の震えと、揺らぐ瞳。バッシュが息を呑む音が聞こえたが、ヴァルは何も言い返さなかった。


「ブルート。やれ」


アナスタシアはその反応を見て満足げに笑い、傍らに控える巨体に視線を向ける。ブルートと呼ばれるその異形は、低い唸り声を上げながら一歩前に出た。


「ヴァル!」


バッシュが叫ぶ間もなく、ブルートの長い腕が空を裂くように振り下ろされた。

その一撃は鋭く、速く、重い。ヴァルが剣を構えようとするが間に合わない。


ドンッ。


鈍い音が響き、ヴァルの体が地面に叩きつけられる。白い床に赤い染みが広がり、ヴァルの頭から血が滴り落ちた。

ヴァルは目を閉じることなく、うつ伏せになったまま微かに息をしている。


「ヴ…ヴァル!!」


バッシュが叫んでヴァルの元へと駆け寄った。

その姿を見下ろしながら、アナスタシアは冷たく笑う。


「ほら、見ろ。お前など……この力を使うまでもない!」


ブルートは言葉を発することなく、再び唸り声を上げるだけだった。その声は低く、野獣のようでありながら、どこか人間らしい狂気を秘めていた。


「お楽しみのところ、恐縮なのですが……」


その瞬間、バッシュの視線がセンペルの方に向かう。センペルの腕には、ぐったりと眠るキランの姿があった。


「キラン!!」


バッシュは叫び、駆け出そうとする。しかし、彼の足が一歩踏み出した瞬間、大広間の空気が再び張り詰めた。アナスタシアがゆっくりと首を傾け、冷ややかな視線を彼に向ける。


「アナスタシア。貴女もそろそろこちらへどうぞ」


センペルの言葉は、まるで舞台の幕を下ろす合図のように響いた。センペルはキランを抱えたまま、エラの用意した扉の前に立っていた。扉は鈍い光を放ち、異世界への入口のように不気味に揺らめいている。


アナスタシアは扉を一瞥し、ゆっくりと歩き出す。その足音は冷たく、重々しく、大広間の静寂を裂くように響く。


バッシュは歯を食いしばり、必死にその場を動こうとする。指先が震え、足に力を込めるが、身体そのものが縛られているように動かない。


「おい!ヴァル!しっかりしろ!大丈夫か!?あ、い……行っちまうぞ!キランを助けないと……!」


焦燥に駆られたバッシュの声が、重い空気を割るように響く。しかし、ヴァルは動かない。いや、動けない。彼の周囲を包む空気は、見えない鎖のように重く、彼の意志を絡め取っていた。


扉が重く閉まる音と共に、館全体が震えるような轟音が響いた。


大気を切り裂くような音が、まるで館そのものが崩れ落ちるかのように響き渡る。その瞬間、遠くから爆発音が轟き、瓦礫が空を舞うような気配が感じられた。


バッシュはその音に反応し、すぐにヴァルに振り向いた。顔を歪め、目の前の恐怖に動揺しながらも、冷静を保とうと必死に声を絞り出す。


「ヴァル、逃げるぞ!」


ヴァルは床に倒れ、頭から血を流していた。血は額を伝い、顔を染めながら冷たい石の床に滴り落ちる。その音は、静かな室内に響き渡り、無情に広がる赤がその場の静けさを際立たせていた。


意識は朦朧としているが、ヴァルの目はかろうじて開かれ、アナスタシアが去った後の空虚な空間を見つめている。痛みが頭を締め付け、血が目に入り、視界がぼやける。


やっとの思いでバッシュは体を動かし、慌てて駆け寄ってヴァルの肩を掴んだ。


「ヴァル、しっかりしろ!」


血の味が口に広がるが、ヴァルは微かに顔を動かし、バッシュの声に反応を見せた。血の流れは止まらず、額から絶え間なく滴り落ちる。室内の薄暗い光の中で、その赤が鮮やかに映えていた。


「ヴァル!今、行かないと──!」


その言葉が館内の冷たい空気に消されるように、再び轟音が鳴り響いた。


轟音が館を揺るがす中、バッシュはヴァルの肩を掴んで引き寄せ、急いでその場を離れようとした。しかし、ヴァルの足は動かない。アナスタシアの姿を追い続けるその目に、いまだ解けぬ呪縛があるように見えた。


「ヴァル!」バッシュの声が再び響く。


その時、遠くから響く破裂音が再び耳を突き刺した。それからすぐになにかが燃えるような臭いが鼻を刺した。


バッシュは一瞬、迷いを見せたが、すぐに決意を固める。目の前にある現実を受け入れなければならない。ヴァルがここで動かない限り、全てが終わるのは時間の問題だ。


頭から血を流しながら茫然過失のヴァルの腕を引っ張りながら、バッシュはなんとか逃げ出そうと足掻く。


廊下を走り抜け、足音が館内に響く。遠くで爆発音が続く中、バッシュはセンペルの複製がいた部屋に辿り着いた。部屋の扉を開けると、そこには気絶したニズルが床に倒れていた。顔は蒼白く、意識を失っているが、まだ呼吸がある。


「あ!アイツ……!くそ〜!」


バッシュはニズルを肩に担ぎ、必死に足を運ぶ。だが、二人もの大人の重い体を支えるのは現実的ではなかった。ニズルの体は力なく垂れ、バッシュの肩に重くのしかかる。ヴァルもまた、頭から血を流しながらふらつく足取りで、バッシュに支えられながら歩いていた。


バッシュは息を切らし、何度も足を取られながらも、足元を見失わないように必死に進んだ。ニズルの体が揺れ、重さがバッシュの背中に圧し掛かるたびに、彼の足元がふらつく。だが、どんなに辛くても、バッシュは止まることなく前に進んだ。


息が切れ、足元がふらつき、次の爆発音が館の壁を揺らす度に、心臓が早鐘のように打つ。


「くそ……間に合うのか、オレ……!」


バッシュは必死に2人を支えながら歩いていた。そのとき、ヴァルはようやく我に返ったのか、状況をすぐに読み込んでバッシュが支えていたニズルを担いだ。


「……バッシュ。悪いな」


ヴァルの声はかすれていたが、確かに届いた。バッシュは一瞬驚き、すぐに足を進める。ヴァルは無言でニズルの肩を支えた。


ヴァルの声は、普段の冷徹さとは違い、どこか決意を感じさせた。バッシュは一瞬、驚いたように彼を見上げたが、すぐに頷く。


「ヴァル……!」

「急ごう」


言葉少なにヴァルは、ニズルを支える手をしっかりと掴み、重い体を持ち上げる。バッシュはそのまま前へと進み、ヴァルと共にニズルを燃え盛る館の出口を目指した。


二人の足音が重なり合い、館内の静寂を打ち破る。ヴァルの力強い手がニズルの体をしっかりと支え、バッシュもその重さを感じながら、必死に足を進める。爆発音が響く度に、二人は一瞬立ち止まり、次の一歩を踏み出す。


「頼む……間に合ってくれ……!」


バッシュの心は焦り、汗が額を伝って落ちる。だが、ヴァルが力強く支えてくれることで、少しだけ安心感を覚える。二人の協力で、ニズルはようやく館の出口へと辿り着いた。


外の冷たい風が二人を迎え、バッシュは深く息を吐き出す。だが、まだ油断はできない。後ろから響く爆発音が、全てが終わっていないことを告げていた。

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