同じ顔の人間
シュヴァイツァーの遺体を見下ろしながら、リリアは部下たちに短い合図を送る。
部下たちは即座に動き出し、担架を用意して遺体を丁寧に載せる。その動きは無駄がなく、場に漂う緊張感をかき消すような確実さがあった。
一連の作業を確認した後、リリアは振り返り、ヴァルとバッシュを鋭い目で見据える。
やがてバッシュとヴァルの二人に「ついてこい」と言った。
バッシュは一瞬、彼女の意図を測りかねたようだったが、ヴァルの腕を軽く引き、無言のまま後を追った。リリアは振り返ることなく、静かに歩き出す。
有無を言わさずに馬車に乗せられると、やがて豪奢な館へと到着した。馬車の車輪が石畳を響かせる音が、静かな街の空気に重く響く。
ヴァルとバッシュは互いに顔を見合わせることなく、ただ無言でその場に立っていた。館の前に到着すると、豪華な門が静かに開き、広大な庭園が目に入る。見事に手入れされた花々や低木が、まるでこの場所の歴史を語るかのように静かに佇んでいた。
リリアはそのまま、何の躊躇もなく館の中へと足を踏み入れた。彼女の背中には、余裕がにじみ出ている。どうやらここは彼女の私邸のようで、あの場で見せた厳格な態度とは裏腹に、どこか温かみを感じさせる空間だった。
ヴァルとバッシュは、リリアの後に続きながらも、その壮麗さに圧倒されていた。高い天井、金箔の装飾が施された柱、そして煌びやかな絵画が飾られた壁。どこを見ても、王族の血を引く者が住むにふさわしい場所であることがわかる。
バッシュは、ふとその豪奢さに目を奪われると同時に、リリアがなぜこのような場所で過ごしているのか、そしてシュヴァイツァーとの関係がどうだったのかを考えていた。彼女が冷静に事を進めていく様子に、何かしらの秘密を感じずにはいられなかった。
ヴァルはただ黙って歩きながら、この先どうなるのかを考えていた。
シュヴァイツァーの死、アナスタシアの動き、そして自分たちの身の回りで次々と明らかになる事実。すべてがあまりにも現実離れしているように感じ、心の中で整理がつかないままだった。
リリアは一人の部下を残して、静かに人払いをした。部屋の中に静寂が広がり、彼女は冷静な表情でヴァルとバッシュを見つめた。しばらくその場に立たせた後、リリアはゆっくりと手を振り、彼らを促した。
「まぁ、座れ。」
その言葉には、命令のような強い響きはなく、むしろ、気を使ったような落ち着いたトーンが含まれていた。リリアは、二人がどこに座るかを気にすることなく、ソファの背もたれに寄りかかるようにして座った。部屋の静けさの中で、ヴァルとバッシュはお互いに視線を交わし、ゆっくりと座ることにした。
「私の名はリリア・ルクレティア。これでも王家の騎士団長を務めている。まずはお前たちの知っていることを話してもらおうか」
「知っていることったって……」
バッシュは口籠った。
「私の部下が一部始終を見ていた。誤魔化しはきかんぞ」
「……見ていたのではなく監視していたのではないか?ということは、なにか、そうしなくてはならない理由でもあったということか?」
ヴァルが言葉を紡いだ。
「はは。察しが良いな。さすがは“明けの明星”」
リリアは笑った。
「葬礼教団に入るときにお前の噂は聞いていたよ。いつの頃からか存在している番人の葬儀屋。お前は一体いつから生きているのだ?ヴァル=キュリアよ」
リリアはヴァルを値踏みするかのように尋ねた。
「シュヴァイツァーからも聞いている。自分が青年の頃に出会った人間で、変わらない姿でいる人間がいるとな。冗談で言っているのかと思ったが、本当だったとはな」
リリアは立ち上がって窓の外を見た。雪が強く吹き始めていた。
「シュヴァイツァーは……いつもお前のことを心配していたよ」
バッシュは地面に倒れて動かないシュヴァイツァーの姿を思い出していた。広い背中に積もる雪は、まるでその命が失われたことを静かに告げているかのように、無情に白く広がっていく様子を見つめることしができない自分。
「シュヴァイツァーと私は古い友人だった。先日も会ったばかりだ。アイツには養女がいたはずだが……」
「キランはおそらく……センペルが連れ去ったのだろう」
ヴァルはポツリと呟いた。
貸家魔女の手によって突然現れた扉の中にキランは一緒に連れ去られてしまったのだ。
「貸家魔女とセンペルが手を組んでいたのか、その目的がなんなのかはオレには分からない」
「……センペル、か」
ヴァルの言葉が重く響く中、リリアは冷徹な眼差しで部下を見つめた。その視線には、迷いは一切なかった。
「トーマス、またその名が出たな!」
リリアの声は冷たく、命令を下すように響いた。部下のトーマスは一瞬、息を呑み、そして言葉を絞り出した。
「ルクレティア様、お気持ちは分かりますが、この者たちが一体何者なのか、まだ分かっていないんですよ……!?」
トーマスの声には、懸念と焦燥が滲んでいた。だが、リリアはその言葉に微動だにせず、冷徹に命じた。
「いや、分かるさ。トーマス、お前が調べた話をしてやれ」
命令を受け、トーマスは一瞬ためらいながらも、この女王に歯向かう手を持たない部下はついに口を開いた。
「実は、我々はリリア様の兄上の命令で、王の助言者について内偵を行なっていました。調査を進めるうちに分かったことがあるんです。その助言者が一体どんな人物なのか、どんな人間と繋がっているのか――それが、王国の転覆をもたらすような者なのかを調べていました。しかし……」
トーマスは一瞬、言葉を詰まらせた。その顔に浮かんだのは、確かな恐怖と不安だった。
「しかし、調べるうちに不思議なことがわかりました。離れた街で、まったく同じ顔を持つ人間が現れるんです。ある時は幼児のように若く、またある時は老人の姿で現れる。そして……年齢は違うのに、顔の特徴はまるで同一人物のように一致しているんです。」
その言葉が部屋に響くと、バッシュが一歩踏み出した。トーマスの顔は引き締まり、声が震えていた。
「それは……」
バッシュは一瞬、言葉を呑み込んだが、すぐに続けた。
「……まさか、同一人物が年齢を変えて現れるってことか?ど、どうやって?」
その言葉が、空気を一層重くした。リリアの目は鋭かった。彼女は無言で、トーマスをじっと見つめた。
「……それが、もし本当なら」
おそらくこの時、部屋の中にいる全員が同じようなことを考えた。そのひらめきが部屋の中で静かに広がっていった。
「センペルは肉体を変えて、生き続けているのか……?」
ヴァルはその答えを信じられないように呟いた。しかし、それならばすべてが説明できる。あの宮殿の奥にあった不気味な部屋。他人の命を塵のように扱い、そして……あの狂人は自分の肉体すらも変えていたのだろうか。
先程まで触れていたあの男の狂気に引き寄せられそうになったその時、バッシュが心配そうにヴァルの顔を覗き込んだ。
「私たちの情報はここまでだ。さて、どうしてお前たちはセンペルのことを知っているのだ?なにを知っている?」
「いや、その、色々な事情があってオレたちは……そう!オレ達は“箱”を探して、そのセンペルって奴を追ってたんだ!」
バッシュは思わず言葉を濁した。まさか、箱の中にあった遺体を探していたなんて言えない。それに、バッシュが見た限りでは、その遺体は叫び、喚き、動いていたのだ。
ヴァルはあれをアナスタシアだと言っていた。
死体が動くなんてあり得ない。何かの魔術でそうさせられているのか、バッシュには分からなかったが、このことはリリアには言わない方がいいと感じていた。
「むう……“箱”か……」
リリアは顎に手を当てて思案し、しばらくしてパッと顔を上げた。
「実は、怪しげな箱がある館に運び込まれたという情報がある。その館には、顔の特徴が一致する奇妙な集団が出入りしているとも聞いた。」
隣でトーマスが慌てふためいていたが、上司を止められないと理解すると、利口な部下は街の地図を取りし、ヴァルとバッシュの目の前のテーブルに置いた。
「ここだ。街の郊外にあり、不審な人間の出入りが確認されている。」
リリアは指で地図を指し示した。
そこには地図の上ではなんの変哲のない館が一つポツリと描かれていた。