再会
シュヴァイツァーが倒れている場所にようやく辿り着くと、倒れたまま動かない大きな背中の背中をヴァルが揺すった。
「おい、シュヴァイツァー、しっかりしろ!!」
ヴァルの声が真剣に響くが、シュヴァイツァーは目を開いたままで、反応を示さない。
バッシュは息を呑んでその場に立ち尽くす。やがて、ゆっくりと顔を上げ、周囲を見渡した。街灯の薄明かりの中、目に飛び込んできたのは、見覚えのある顔たちだった。
狩人兄弟がいた。
あの山で出会った、凹凸兄弟。ニズルとブルート。二人は無言でバッシュとヴァルを見つめている。ブルートの腕の中には耳を抑える女がその細い体を埋めていた。よほど苦痛を感じるのか、顔を歪め、激しい痛みに耐えているかのように見える。
そして、その視線の先に、バッシュの胸が一瞬締めつけられる。倒れたキランを抱きかかえてい立ち尽くす女がいた。バッシュはその人物に見覚えがなかったが、ヴァルはすぐに彼女を認識した。
「……貸家魔女」ヴァルが低く呟く。
その言葉にバッシュは驚き、ヴァルを見た。貸家魔女――マナテラ巌窟街でヴァルと会ったあの魔女がここにいるのか。
貸家魔女はキランを無造作に抱きかかえ、感情を押し殺すように立っていた。その隣には、不敵に笑う男が立っており、まるでこの場の状況を楽しんでいるかのようだった。
「あなた方は招いていないのですがねぇ……」
バッシュはその光景に言葉を失い、心の中で感情がかき乱されるのを感じた。嫌な感じだ。
シュヴァイツァーの無事を祈る気持ちと、この不穏な状況に対する疑念が交錯する。
「何があったんだ、ここで…お前らシュヴァイツァーに何をしたんだ!?」バッシュは叫んだ。
ヴァルは無言でシュヴァイツァーの側に膝をつき、手を伸ばす。だが、その手が触れた瞬間、彼の表情がわずかに硬直した。シュヴァイツァーの体温は冷たく、意識が戻る兆しはなかった。
その時、貸家魔女が不意に口を開いた。
「シュヴァイツァーはもう手遅れよ。……もう遅い。」
その言葉にバッシュの胸が一瞬、締めつけられた。
「そんな……シュヴァイツァー……ヴァル、シュヴァイツァーを助けないと……ヴァル?」
バッシュの問いかけに、ヴァルは一瞬だけ振り向いたが、その目は焦点を合わせることなく、虚ろに空を見つめていた。
シュヴァイツァーの背中に置いていたヴァルの手が、まるで力を失ったかのようにゆるゆると離れていく。その手が空中でふわりと揺れ、まるで何かに引き寄せられるように動いていった。
そして、目の前で繰り広げられる現実が信じがたく、ヴァルは呟くようにその名前を口にした。
「アナスタシア……?」
その声は震えていた。
まるで過去の亡霊が現実の中に立ち現れたかのように、ヴァルは動けずにただその場に立ち尽くしていた。
アナスタシア。
あの時の約束、あの時の言葉が、今、目の前で生々しく蘇る。ヴァルは己の心が乱れ、冷静さを失いかけていることに気づかない。
ふらり、とヴァルの足が引き寄せられていく。
「そんな……だって、君は……あの時……」
ヴァルは目の前の事実を否定するように首を振った。その目はアナスタシアに向かっていくが、心の中で繰り返し問いかけていた。ヴァルの過去の記憶が頭の中で交錯し、現実を受け入れることができない。
しかし、その道を遮るように、男が突如として立ち塞がった。
「やあやあ。ヴァル=キュリア!お久しぶりですね!」
その声は冷たく、嘲笑を含んでいた。ヴァルの足が止まり、目の前の男に視線を向けると、その顔はうんざりするほど見覚えがあった。あの時、あの忌まわしい場所で交わした言葉が、まるで昨日のことのように蘇る。
「おまえ……やはりセンペルなのか?」と、ヴァルは言う。
センペルはその問いに対して、まるで笑うかのように口の端をゆるめた。
「おや、あまり驚いていらっしゃらない!」
その声は軽薄でありながらも、不気味さを孕んでいた。センペルはヴァルをじっと見つめ、その瞳の奥に深い、執念とも言える感情を宿らせた。
「1000年ぶりの邂逅だというのに、ボクはこれほど貴方のことを焦がれていたというのに……」
言葉は次第に高まり、響くように語られた。しかしその声のトーンには、深刻さとともにどこか滑稽なものが混じっていた。センペルの顔に浮かぶ笑みは、まるで道化のように不気味で、ヴァルの背筋をぞっとさせる。
「悲しいなぁ……ボクの君への想いはいつも届かないまま消えていくばかりだ」
その言葉は、まるで演技のようにオーバーに、しかしどこか狂気を感じさせる。
「なんだアイツ……!気持ち悪いな」と、バッシュは突然現れた男に半ば引いていた。
「ああ……センペル。お前はいつも気色が悪い」
ヴァルがバッシュの言葉を肯定しつつ、睨みつけた。
「アナスタシアの肉体になにをした……!」
ヴァルの声は震え、怒りと恐怖が入り混じっていた。目の前でアナスタシアが苦しみ続けているその姿が、ヴァルの心に深い痛みを突き刺す。だが、それ以上に怒りが湧き上がるのを抑えきれなかった。
死んだ人間は苦しんだりなどしない。苦しみから解放されるために、死んだのだから。そうでなくてはならない。
「いやだなぁ。全ての企みがボクがしたとは思わないでください」
センペルはそう言うと、アナスタシアの髪を一束摘んで、まるで愛おしむかのように指先で弄びながら、微笑んだ。その笑みには、底知れぬ狂気が漂っている。
アナスタシアは、耳を抑えたまま身体を震わせ、息を荒げる。その苦しみが、ヴァルの胸に鋭く突き刺さった。だが、センペルはその様子を楽しむかのように見守っている。
「これは……神明の思し召しとでも言うのでしょうか。」
センペルの声が響く。彼の言葉には不気味な自信が感じられ、周囲の空気が一層重くなった。
「思し召し……だと?」
ヴァルはその言葉を信じられないように繰り返した。目の前の現実が、まるで夢のように信じがたく思えた。
いや、夢であってほしい。こんなことは。
あってはならない。
センペルは両手を広げ、まるで天を讃えるかのように仰ぎ見た。その表情は、まるで何か大いなる力に導かれているかのような神々しさを漂わせていた。
「だってそうでしょう。1000年もの時を経て、あの時同じ刻を生きていた私たちがこうして再び出逢ったのです」
センペルの声は、ヴァルの耳に重く響いた。その言葉が響くたびに、ヴァルの心の中で怒りが膨れ上がる。だが、同時にその言葉の裏に潜む邪悪さが、まるで何かに引き寄せられるように心を締め付けていった。
「全て、お前の邪悪な企みのせいだろう。センペル!」
ヴァルは叫んだ。
その声には、今まで感じたことのないほどの力が込められていた。目の前のセンペルが、ヴァルの怒りをあざ笑うかのように立ち尽くしている。ヴァルには耐えられなかった。
センペルは、ヴァルの言葉を軽く受け流すように微笑んだ。その笑みには、まるでヴァルの怒りを楽しんでいるかのようだった。
「ずいぶんな嫌われようですが、ボクはきっかけを作っただけですよ?死を自ら選んだのはアナスタシア。そして貴方は……あの時なにを選んだのですか?ヴァル=キュリア?」
センペルの声は、今度はどこか楽しげで、挑発的だった。まるでヴァルの反応を待っていたかのように、じっとその目を見つめながら、さらに言葉を続けた。
ヴァルはその言葉に耐えきれず、拳を握りしめる。その手が押さえきれない感情の露出に震えているのを感じながら、ヴァルはセンペルに向かって一歩踏み出した。
アナスタシアを助けるため、どんな手段を使ってでも、この狂った男を止めなければならない。
「まだ貴方とやり合うつもりはないですよ。今は、ね」
センペルの言葉は全てを見透かしているかのような冷ややかな響きがあった。センペルはヴァルの方をちらりと見たが、すぐにその視線を貸家魔女――エラに向けた。
エラはその視線を受けて、口元をわずかに歪めると、深いため息をつきながら呟いた。諦めたような表情で、彼女は手をひらひらと動かす。
すると、どこからともなく、なにもないはずの空間にひとつの扉が現れた。
その扉は、どこか不自然にゆらめき、空気を引き裂くような音を立てて開かれる。
「ヴァル。君に会えてよかったよ。また近いうちにお会いしましょう。ぜひ……王国へお越しください」
センペルはその言葉を、まるで予告のように、冷たく、そして楽しそうに告げた。彼の表情には、まるで何かを成し遂げた満足感が漂っていたが、その裏に潜む狂気が、ヴァルの胸を締め付けた。
「センペル!待てセンペル!!アナスタシア……!!」
ヴァルはその言葉を叫びながら、まるで自分の心が引き裂かれるかのような感情をむき出しにした。声が震え、呼吸が荒くなる。目の前でアナスタシアが苦しむ姿が、彼のすべてを狂わせていく。だが、センペルは何も答えることなく、扉の向こうに消えていった。
その瞬間、ヴァルの体が一歩前に出る。足が地面を蹴り、追いかける。
ヴァルの手が扉に伸びた。
指先が金属の冷たい取っ手に触れ、引き寄せようとしたが、無情にも扉は音もなく消え去ろうとしていた。
ヴァルはそれに反応し、さらに力を込めて扉を開けようと力を込めたが、扉は頑なに閉じていき、センペル達の姿と共に完全に消え失せてしまった。