響き渡る悲鳴
無言のまま食事を終え、二人はそれぞれ自分の部屋へと戻った。部屋に入ると、バッシュは静かにドアを閉め、窓辺に歩み寄った。外の空気はひんやりとしていて、夜の街はまだ賑やかだったが、どこか遠くから聞こえる歌声や笛の音が、街の喧騒を少し和らげていた。
バッシュは窓の外に目を向けながら、手を無意識に髪に触れた。ふと、心の中で何かが引っかかる。それは久しく感じていなかった、笛を吹くことへの衝動だった。
「そういえば…」と、彼は小さく呟く。
数ヶ月、いや、それ以上も笛を吹いていないような気がした。心の中でそれを追いかけるように、指が無意識に動く。
「少しくらい吹いても、怒られはしないだろう」と、バッシュはふと思った。
街の喧騒に紛れて、ひとときの間だけでも笛の音を響かせるのは、誰にも迷惑をかけないだろうと。そう考えると、何だか少しだけ、心が軽くなった気がした。
彼は部屋の隅に置かれた笛に目を向けた。
その笛には、梟のレリーフが施されている。ヴァルと初めて出会った森で、葬儀を執り行った梟から、報酬としてもらった笛だ。
あの森での出来事は、今でも鮮明に思い出せる。
この笛が今も彼の手元にあることが、どこか心の中で安らぎを与えていた。
窓を開け、冷たい風が部屋に流れ込む。バッシュは深く息を吸い込み、そのまま目を閉じた。笛を吹くことが、また自分にとって何か意味を持つ時が来るのだろうか。それとも、このまま忘れてしまうのだろうか。
彼はゆっくりと笛を手に取り、口元に運んだ。
音を出す前に、ふと心の中で祈りを捧げるような感覚が湧き上がった。息を吸い込み、笛に吹き込むと、柔らかな音色が静かに部屋に響き渡る。その音は、まるで神明への祈りのように、また死者への鎮魂のように、神聖で清らかな調べとなって空気を包み込んだ。
音が響くたびに、バッシュの胸の中に何かが溶けていくような、そんな気がした。
笛の音はただの音楽ではない。
命の重さ、死者の思い、そして未来への祈りが込められた、神聖な響きだった。バッシュの指が笛を操るたびに、その音はさらに深く、静かな力を宿していった。
もう少しだけ吹こうかと迷っているとその瞬間、バッシュの胸に何かが引っかかった。
「うわああああああああ!!!」
女の叫び声が、まるで夜の静寂を引き裂くように響き渡り、その響きがバッシュの心に深く突き刺さった。叫び声、と言うにはあまりにも生々しく、どこか恐怖を感じさせるものだった。
慌てて笛から口を離し、窓の外に目を向ける。冷たい風が頬を撫でるが、その感覚さえもバッシュには遠く感じられた。
夜の街は、彼の景色を一瞬で異様なものに変えていた。灯りの揺れる中で、街の角に倒れた人影が目に入る。
その姿は、薄暗がりの中でもどこか見覚えがあった。
遠くからでは、詳細は分からないはずだ。しかし、バッシュは確信した。あの背格好、あの雰囲気—それは間違いなくシュヴァイツァーだ。
その瞬間、彼の視線の先にもう一つの動きが現れた。キランが走り寄ってくる。キランの姿が、急いで倒れた人物に駆け寄るその様子が、バッシュの目に飛び込んできた。足音が早く、地面を蹴る音が耳に届く。
バッシュは迷わず、窓を開け放つと、すぐに駆け出した。
間違いなくシュヴァイツァーとキランの身に何が起こっていた。理由は分からない。ただ一つだけ確かなことがあった。バッシュは助けなくては、という思いで部屋のドアを乱暴に開けた。