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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第8章 ノヴァリス・ビスタの雪
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決意

奴隷商人に引き渡される時、キランは薄暗い部屋の隅に蹲っていた。喉に刻まれた傷がじんじんと痛み、声を出そうとしても掠れた息が漏れるだけだった。

何度も、何度も「声を出すな」と言われた。逆らえば、もっとひどいことが待っていると知っていたからだ。


「良い買い手がついたぞ」と、奴隷商人の声が響いた。


キランは恐ろしくて顔を上げることができなかった。良い買い手――その言葉が何を意味するのか、キランには分からなかった。ただ、“買われる”という事実が、恐怖と絶望を伴って心にのしかかっていた。


見知らぬ場所に連れて行かれ、見知らぬ人間のもとで何をされるのか。痛めつけられるのか、道具のように扱われるのか、それとも――。キランは、ただその日々が終わることを願うしかなかった。希望など持ってはいけないと、自分に言い聞かせていた。


そして、シュヴァイツァーの前に立たされた時も、キランの心は硬く閉ざされていた。彼が何者なのか、どういう人間なのかを知る余裕もなく、ただ目の前にいるその人の一挙一動に怯えていた。


だが、シュヴァイツァーは違った。声を荒げることもなく、手を振り上げることもなく、ただ静かにキランを見つめていた。その眼差しは、不思議なほどに穏やかで、何も強いることはなかった。


初めて与えられた温かい食事、体を洗うための清潔な水、そして、柔らかい寝床。


キランはそれらに触れるたびに、どこかで自分が罰を受けるのではないかと怯えた。これほどの安らぎを与えられる理由が、分からなかったからだ。


「そうか……参ったな。怖がらせちまったか」――そう言ったシュヴァイツァーの声が、今でも耳に残っている。


あの時のキランは、ただ震えながらその言葉を聞いていた。信じてはいけない、期待してはいけない――そう自分に言い聞かせながらも、その声の温かさに、心のどこかで涙がこぼれそうになるのを必死に堪えていた。


そして今、シュヴァイツァーの「そうか」という一言が、あの時の恐怖と絶望を抱えていた自分を静かに包み込んだ。あの頃のキランには想像もできなかった時間が、今ここにある。


自分が求めているのは、ただひとときの安らぎであり、シュヴァイツァーと共に過ごす時間が何よりも大切だった――そう、今なら胸を張って言える。


キランは、シュヴァイツァーの隣を歩きながら、心の中で静かに誓った。自分は、彼の期待に応えられるように、これからも生きていこうと。ずっとずっと一緒に生きていこう。そう思っていたのだ。


シュヴァイツァーが咳き込む度に、キランの胸は締め付けられる。声を出すことができない自分にできることは、ただ背中を摩って見守ることだけだ。


だが、心の中でキランは誓っていた。


シュヴァイツァーの元に自分が現れたのは偶然ではない。葬儀屋として、シュヴァイツァーの跡を継ぐために、運命に導かれたのだ。

シュヴァイツァーはそう教えてくれた。嫌でなければオレの跡を継いでほしい、と。


だが、その運命に対してキランは複雑な思いを抱えていた。


番人の葬儀屋としての仕事は、死者を送り出し、家族のために葬儀を執り行うことだ。


しかし、シュヴァイツァーが死に近づくその姿を見て、キランはその運命に反発を感じ始めていた。運命を受け入れることが正しいのか、それとも、自分の力で何かを変えるべきなのか。


シュヴァイツァーがまた咳き込み、苦しそうに顔を歪めた。


キランはその姿を見つめ、心の中で決意を固める。もし自分が番人の葬儀屋としての運命を受け入れるだけでは、シュヴァイツァーの死を見守ることしかできない。しかし、エラで魔術を学び、シュヴァイツァーを救う方法を見つけることができれば、運命を変えることができるかもしれない。


その思いが、キランを動かした。


シュヴァイツァーの跡を継ぐことが自分の運命だと、ずっと思っていた。だが、今はその運命に従うことができない。シュヴァイツァーを救うために、自分にできることをしてみせる。それが、自分の本当の役目だと感じた。


(シュヴァイツァー…)


キランは心の中で呟いた。声を出すことができない自分にとって、その言葉は届くことはない。しかし、目の前にいるシュヴァイツァーに、心からの思いを伝えたかった。


シュヴァイツァーを救いたい。

そのために、運命を変えなければならない。


キランはシュヴァイツァーの背中を見つめながら、静かに誓った。葬儀屋としての役目を果たすことは、必ずしも死を受け入れることではない。死を乗り越えるための方法を見つけること、それが自分の役目だと。エラで魔術を学び、シュヴァイツァーを救う方法を見つける。そのために、運命を変える覚悟を決めた。


番人の葬儀屋としての運命を背負いながらも、シュヴァイツァーを救うために自分の道を進む。


それが、自分の本当の役目だと信じて。

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