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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第8章 ノヴァリス・ビスタの雪
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はな、すきいってた!

センペルは棺の中のアナスタシアを見つめながら、ヴァル=キュリアがあれほど執着する女がどんなものかと、期待と興味を込めてじっと観察した。しかし、目の前に広がったのは、ただの普通の村娘に過ぎなかった。


彼女の顔は静かで、どこか優しげな表情を浮かべている。しかし、それはあくまで死者の顔だ。息をしていない。命の気配はとうに過ぎ去っている。


センペルは、アナスタシアの手を見つめた。白い手袋が嵌められており、その手袋には神明の加護を表す紋様が刻まれている。


「……増殖避けの手袋か?」


センペルは呟きながら、手袋をゆっくりと外した。指先が冷たく、無機質な感触を伝えてくる。


だが、素肌の手を見ると、そこには特別な力が宿っているようには見えなかった。手のひらに浮かぶ紋様が光を反射することもなく、ただの人間の女の手そのものであることがわかる。


センペルは一瞬、肩を落とした。


「……やはり、そうか。」


期待していたわけではないが、目の当たりにするとやはり気持ちが萎えた。危険を犯して回収した遺体はやはり単なる遺体であった。


「まぁ…想定はしていたが、やはり死ぬと加護も消えるのだな。」


センペルは冷ややかな目でアナスタシアの遺体を見つめながら、つぶやいた。彼の声には、わずかな失望の色が滲んでいたが、すぐにそれは消え、冷徹な態度が戻る。


女の遺体はまだヴァルを誘い出すための道具として使えるだろう。センペルは無駄に時間を浪費するつもりはなかった。


「ニズル、ブルート、棺を端に寄せろ。」


命令を下すと、センペルは周囲をちらりと見渡した。そのとき、ふとブルートが何かを手にしているのに気づく。


「……野花か。」


ブルートの手には、摘んできたばかりの野花が握られていた。色とりどりの花が、無造作に束ねられている。センペルはその様子を見て、ふっと笑みを浮かべた。


「はな、すき、言ってた!」


ブルートが突然、意味不明な言葉を口にする。センペルの目が一瞬、鋭く光った。


「こ、こら!ブルート!お前何を言って……」


ニズルが慌てて制止するが、センペルはその言葉に耳を貸さず、ブルートに目をやった。


ブルートの体は、いくつかの体を継ぎ接ぎにしたものだ。事故の後、精神年齢はおそらくその時点で止まったままだろう。いや、むしろ肉体と精神の均衡は崩れ退行していた。旅路の途中で、棺に閉じ込められたままの女に対して同情でもしたのだろうか。


「まぁ、なんとも無駄に美しいものだな。」


センペルは呟くように言うと、ブルートに向かって手を差し出した。目の前の無駄な美しさに、どこか不思議な魅力を感じていた。


「ブルート、渡してやったらどうだ?」


センペルの声は冷徹で、だがその中に一抹の興味を隠している。彼の目は花々に向けられ、無駄に美しいその光景に、どこか懐かしい魅力を感じていた。


ブルートは一瞬戸惑い、手に持った花をセンペルに渡すかどうか迷ったが、最終的にそれを差し出した。センペルは花を受け取り、再びアナスタシアの遺体に目を向ける。


「ふむ……これもまた、無駄な美しさだ。」


センペルは花を軽く見つめた後、無造作にその花を棺の中に落とした。花弁が女の手の中におさまった。


「センペル様、そのぉ……いいにくいのですが、馬車の代金などを……」


ブルートが気まずそうに口を開いた。少し躊躇いながらも、頼みごとのタイミングを計っているようだ。


「ああ、お前たちには本当に感謝している。」


センペルは軽く手を振りながら答えると、テーブルの上に置かれた袋を摘んだ。彼の指先が袋をつかむと、金属の音がかすかに響いた。


「お前たちがいなければ、今頃は……」


センペルは振り返り、袋をニズルの方へ渡そうとした。その瞬間、視界に何かが引っかかった。


棺の中――


「……?」


センペルの目が一瞬、驚きに見開かれた。棺の中が、何の前触れもなく花で溢れている。


無造作に落とされた花々が、遺体を囲むようにして溢れ溢れていた。その花の色合いは鮮やかで、どこか異様な美しさを持っていた。


「……これは一体?」


センペルは目を細め、花々をじっと見つめる。間違いなくそれらはブルートの摘んできた花であった。その花の美しさに、どこか不穏な空気を感じ取っていた。


「ふふ……ブルートよ。アナスタシアのために花を摘んでくれたのか」


その時、女の声が聞こえた。

やがて棺の中から、ゆっくりと女が起き上がった。花々が散り落ち、空気が一変する。


センペルもニズルも、状況が読み込めずにただその場に立ち尽くし、唖然としていた。


死体が起き上がるはずかないのだ。


その場で不敵に笑う女と無邪気なブルートの声だけが響いた。


「アナスタシア、はな、すきいってた!」

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