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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第8章 ノヴァリス・ビスタの雪
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葬礼教団

各地にある葬礼教団の事務所は、大抵どこも埃っぽく、陰鬱な雰囲気が漂っていた。しかし、この場所はそれらを凌駕するほど、どこよりも重苦しい空気が漂っていた。


高い天井には、深いアーチを描く石柱が並び、鋭角的な彫刻が不気味に陰を落としている。床はひび割れた大理石で覆われ、所々に苔が生えているが、どこか冷たく、無機質な印象を与える。


玄関ホールを通ると天窓のステンドグラスが光を透過させていたが、その光は冷たく、どこか不気味に感じられる。色褪せたガラスの模様は、まるで長い間放置されたかのように曇っており、その不完全さが更に空間を沈ませていた。窓枠は複雑な装飾が施され、まるで時代を超えた古の教会の一部のようだが、その美しさは今や荒廃しつつあった。


長い廊下の両側には、暗い木製の扉が並び、どれも開けることなく閉ざされている。空気はひどく重いように感じられるのは気のせいではないのかもしれない。


シュヴァイツァーは心ここに在らずといった様子で廊下を歩いていたが「どこの誰かと思ったらシュヴァイツァーじゃないか」と、声をかけられて立ち止まった。


そこには古くからの腐れ縁、リリアが立っていた。


騎士の礼装に身を包んだ彼女は、深紅と黒を基調とした品のある装いで、胸元には彼女の所属を示す紋章が輝いている。肩には繊細な刺繍が施され、袖口には控えめなレースが揺れていた。

長い白髪混じりの金髪はきちんと束ねられ、余計な飾り気は一切ない。金色の瞳が鋭く光り、彼女の存在感は、そこにいるだけで周囲の空気を引き締めるようだった。


年齢的には妙齢のはずだが、その姿には年齢を感じさせるどころか、むしろ若々しさと気品が共存している。凛々しくも優雅で、冷たさの中にどこか温かみを感じさせる雰囲気があった。


「げ……なんでお前がここに」


シュヴァイツァーは眉をひそめ、声に露骨な不満を滲ませた。


「なんでとはなんだ。私も葬礼教団に名を連ねる人間なんだぞ」


リリアは微笑みすら浮かべず、淡々とした口調で返した。その声は低く澄んでいて、どこか威圧感がある。


「騎士団にいるから大して葬儀屋の仕事もしてねーくせによく言うわ」

「お前と私では役割が違うのだよ、根無草のシュヴァイツァー」


彼女の口元に僅かな皮肉の色が浮かぶ。腐れ縁と言うだけあって、互いの言葉には遠慮がない。


「最も最近は子育てに忙しいようだがな。数年前に拾ったあの可愛い女の子はどうした?」


リリアの金色の瞳が、鋭くもどこか意地悪そうに細められる。


「……うるせぇなぁ。お前には関係ないだろう」


シュヴァイツァーはそっぽを向き、声を低くした。その仕草には照れくささと苛立ちが混じっている。


リリアは肩をすくめ、表情を変えずに立ち尽くしていた。その姿は、ただのからかいではなく、どこか彼を気にかけているようにも見えた。彼女の鋭さと優しさが同居する独特の雰囲気が、二人の長い歴史を物語っているようだった。


「まぁ、いい。ここで会えたなら良かった。」


リリアは短く息をつき、シュヴァイツァーを真っ直ぐ見据えた。その目には、彼が見慣れた皮肉や挑発ではなく、鋭い警告の色が宿っていた。


「お前に忠告をしてやろう。」

「忠告?」


シュヴァイツァーは肩をすくめ、気の抜けた調子で応じる。しかし、その内心ではリリアのただならぬ様子に警戒を強めていた。


「ああ。ここ最近の王国の動向だ。……非常に悪い方向へ進んでいる。」


リリアの声は低く、重々しい響きを帯びていた。その語調は、彼女自身がその事実を口にすることにさえ嫌悪感を抱いているようだった。


「聞けば、数年前から国王が秘密裏に助言者を囲うようになったそうだ。」


リリアは一歩前に出て、シュヴァイツァーの視線を捉えた。


「助言者、ねぇ。王の腰巾着がまた増えただけだろ。」


シュヴァイツァーは軽口を叩きながらも、目を細める。その反応を見たリリアは、小さく首を振った。


そんな生易しい話ではない。最初は誰も気づかなかった。控えめで、ただ国王の側に控えているだけの存在だったからな。」


彼女の声にわずかな苛立ちが混じる。


「だが、いつの間にか内政に口を出し始めた。王宮の者たちも気づいたときには手遅れだったそうだ。」


リリアの言葉に、シュヴァイツァーは僅かに顔をしかめた。


「それだけで国王が動くのか?よっぽどの切れ者だったんだろうよ。」


皮肉混じりの声で言うシュヴァイツァーに、リリアは冷ややかに視線を向けた。


「切れ者かどうかは知らない。ただ、国王はその助言者の言葉を次第に絶対視するようになった。そして、奇妙なことが始まった。」


リリアはそう言うと、一拍置いて続けた。


「最初は政策の小さな変化だ。交易や外交を縮小し、国内の開発に力を入れるようになった。農地の整備や城壁の補強――それ自体は筋の通った話だ。だが、ある時から方向性が狂い始めた。」

「狂い始めた?」


シュヴァイツァーは口元を歪める。


「ああ。『国の未来のため』と言って、王国に巨大な建造物を造らせ始めたのだ。意味も用途も分からない代物をな。」


「建造物って……何を作ったんだ?」

「塔だ。国中から資材を集め、王都の中心にそびえ立つ異様な塔だ。」


リリアの金色の瞳が鋭く光る。


「その助言者の指示で建設が始まったそうだ。誰もが不気味に思ったが、国王は耳を貸さない。塔の完成が『王国の栄光』だと信じ込んでいるらしい。」


リリアの語りを聞きながら、シュヴァイツァーは腕を組み、眉間に深い皺を刻んだ。


「……そいつはヤバそうだな。」


シュヴァイツァーが呟くように言うと、リリアは軽く頷いた。


「ああ。それに……」

「それに?」


シュヴァイツァーが続きを促すと、リリアは一瞬だけ言葉を選ぶように目を伏せた後、口を開いた。


「王国は音楽士たちを次々に幽閉していると聞く。」

「音楽士だと?」


シュヴァイツァーの声にわずかな驚きが混じる。


「そうだ。詩や旋律を紡ぐ者たちが、次々と捕えられているらしい。理由は不明だ。だが、それだけじゃない。」


リリアの瞳に一瞬、鋭い光が宿る。


「……中には周辺にいた葬儀屋も含まれていると聞く」

「葬儀屋まで?」


シュヴァイツァーは思わず顔をしかめた。


「そうだ。葬儀教団に所属する者たちが、何の前触れもなく捕えられている。色々建前を使って、音楽士たちと同じようにな。」


リリアの声には怒りとも憂いとも取れる感情が滲んでいた。


「音楽士と葬儀屋……なかなか趣深い組み合わせだな。」

「おかしい。なにか訳があるはずだ。」


リリアは鋭い口調で言い切った。その目には、ただの腐れ縁とは思えない、シュヴァイツァーへの信頼の色があった。


「お前は、何か見聞きしたことはないか?」

「……いや、分からねえよ。今のオレは単なる子育てジジイだよ。」


シュヴァイツァーは腕を組み、深い皺を眉間に刻んだ。その目は、どこか遠くを見つめているようだった。ふっと気がついたように顔を上げた。


「? なんだ?」

「それなら、お前こんなところにいて大丈夫なのかよ?ここと繋がりがあるってバレたら……」


シュヴァイツァーが軽く眉を上げて尋ねると、リリアは一瞬目を丸くした。


「ほう。心配してくれるのか?」


彼女の口元がわずかに緩む。普段は毅然とした態度を崩さない彼女だが、その瞬間だけ、どこか柔らかな雰囲気が滲んだ。


リリアは軽く喉を鳴らし、すぐに表情を引き締め直したものの、その頬には微かに色が差している。


「……ありがたい話だな。お前に心配される日が来るとは思わなかった。」


皮肉めいた口調で返しつつも、その声にはほんの少し、嬉しさが混じっているのが分かる。


シュヴァイツァーが何か言い返そうとしたが、その顔を見たリリアはふっと目をそらし、わざとらしく咳払いをした。


「まぁ、私のことは心配しなくていい。そもそも私がここに所属しているのは衆知の事実。……これでも王族の端くれ。私の血が守ってくれるだろう。」


リリアは軽く肩をすくめて言った。その声には揺るぎない自信があったが、どこか誇りと覚悟の裏に隠された孤独も感じさせた。


「お前の方こそ、危険な橋を渡っているんじゃないのか?」


鋭い視線がシュヴァイツァーを捉える。彼は一瞬だけ言葉を詰まらせた。


エルフの森での出来事が頭を掠める。あの時の狼藉者との格闘、そして、今も背後にまとわりつくような不安。それをリリアに話せば、彼女はきっとその重さを受け止めようとするだろう。しかし、それが余計な面倒を呼び込むことも、シュヴァイツァーには分かっていた。


「……いや、別に。」


軽く首を横に振り、話を逸らすように答えるのに留めた。


「まぁ、お互いジジイとババアなんだから無理には気をつけんとな」


シュヴァイツァーは、まるで話を逸らすように言った。


リリアはそこで目を細める。

シュヴァイツァーは自分と同じ歳のはずだ。それなのに、その顔には刻まれた皺と疲れが、まるで何十年も余分に時を背負ってきたかのように見える。


「……お前、少しは自分を労われよ」


リリアは絞り出すように言ったが、シュヴァイツァーは軽く手を振って取り合わない。


「いまさら何言ってんだ。止まった時間の中に、俺がいくつ時間を置いてきたかなんて――」


一瞬だけ、シュヴァイツァーの目が遠くを見る。その表情には、言葉にできない何かが滲んでいた。


リリアは息を呑む。

分かっている。彼が何を犠牲にして、何を救ったのか。


だが、彼はそれ以上、何も言わなかった。

リリアはギュッと唇を噛み締める。


「ルクレティア様」


不意に名前を呼ばれ、リリアは振り返った。そこには、信頼のおける部下であるトーマスが控えていた。彼の表情は硬く、緊張が滲んでいる。


「トーマスか。なにかわかったか?」

リリアの声は冷静だったが、その奥には鋭い期待が隠れている。


「ええ、ルクレティア様……やはりこの街にも、あの男がいるようです」

トーマスは低く、慎重に言葉を選ぶように答えた。


「あの男が、この街にも、か……」


リリアは顎に指を添え、考え込むように視線を落とした。

兄上の命で、国王が囲うという助言者について調べるよう密命を受けている。その男がただの助言者ではないことは、既にいくつかの証拠から明らかになっていた。


「目撃情報は?」

「はい。街の郊外にある館に、頻繁に出入りしているとのことです。周囲の住民も気味悪がっており、館自体も常に閉ざされているとか。近隣のもので直接男と接触した者はいませんでした」

「郊外の館、か……」

「しかも数ヶ月前になにか大きなものを背に背負った男達が出入りしていたとかで……」


リリアは短く息を吐いた。

その男がいる場所が、なぜいつも人目を避けるような場所ばかりなのか。助言者という肩書きにしては、あまりにも不自然だ。


「監視を続けて。館についても、可能な限り詳しい情報を集めてくれ」

「承知しました」


トーマスは一礼し、すぐにその場を離れていった。リリアはその背を見送りながら、再び顎に指を添える。


(郊外の館……あの男が国王の助言者だというのなら、そんなところに何の用があるというのだ?)


心の中で自問しつつ、リリアは顔を上げた。

リリアは、かつて一度だけあの怪しい助言者の姿を見たことがある。


その時のことを、今でも鮮明に覚えている。

彼は、まるで歳を重ねた賢者のような風貌をしていた。白髪交じりの髭、深い皺が刻まれた顔には、長年の知恵と経験が宿っているように見えた。しかし、その印象の中に、どこか若々しさが混じっていることに、リリアは不安を覚えた。


年齢にそぐわない、鋭い眼差しと、どこか遊び心を感じさせる微笑み。


その姿は、まるで時間が交錯したかのように不自然で、リリアの胸に奇妙な違和感を残した。


彼の目は、あたかも全てを見通すような冷徹さを持ちながら、同時にその奥には深い計算と野心が潜んでいるようにも感じられた。


あの時、リリアはただ立ち尽くしていた。

その場の空気に飲み込まれるように、言葉も出なかった。


(あいつは、ただの人間ではない。あの目、あの風貌……何かがおかしい)


リリアは再びその記憶を思い出し、唇を噛みしめる。冷たい風が窓の隙間から吹き込み、リリアはようやく思考の海から現実に戻り肩をすくめた。冬が、近づいてきている。

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