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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第2章 星芒の司祭
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老辺境伯の独白

「ああ、美しい…妻の故郷で聞いた歌を思い出す」


ガラリヤ地方からの縁談を決めたのは父でした。


ここは王国周辺に比べれば辺境の地ですので縁談まで結ぶのも苦労したようです。

ようやく同格貴族との縁談がまとまって父はホッとしたのでしょう。縁談が決まり、婚約が決まり…結婚式を迎えることなくこの世を去りました。妻との結婚が、私が父に出来る最後の親孝行となりました。


昔の話ですから私達は父の喪明けの儀が終わった1年後の結婚式でようやく初めて顔を合わせました。今で言うお見合い写真代わりの肖像画は見ておりましたが、ウェディングベールをめくった時にガラリヤ地方特有の強い日差しで日焼けした肌が見えました。彼女は気品がありましたがなんとも『貴族らしく』なかったのです。

後から知ることになりますが彼女は大変なお転婆でしたので、私の予想は大当たりです。


結婚式や披露宴やらがあれよあれよと進んでいくうちに私達は初夜を迎えました。私はその時に彼女にどうしても言わなくてはならないことがあったのです。


私の父はこの家に婿として入りました。この家の血統は私の母1人でしたので、後継が産まれることをきっとなによりも喜んだでしょう。

…母は私を産んでから産後の肥立ちが悪く、亡くなりました。産まれた私は…。私は…


「…閣下」


青白い顔の老人の背中をヴァルはさすった。礼服を着込んだ体は服越しに骨を感じた。


「ああ…ありがとうございます。この老人の話を出来れば最後まで聞いてやっていただけますか?」


もう全て話してしまいたいのです。

頭を抱えてうつむく老人は消え入りそうな声でつぶやいた。


父は亡くなった母の前で産まれた私をさぞ絶望して抱き上げたことでしょう。産まれてから婚約が決まるまで、父は私を跡取りとして育てました。辺境伯と侮られないように当時では最高の教育を施してくれました。

私も不祥の息子ながら父の期待に応えました。


しかし、どうしても応えられない事がありました。初夜を迎える準備を整えた妻は美しかった。女神かと思いました。

ようやくその場になって父と私がしてきたことの重大さを、純然たる事実を突きつけられました。


私は子供を作る事が出来ません。


私は妻に申し訳ないと謝りました。

妻に恥をかかせるつもりはなかった。

このまま離婚するのであれば応じるし、もちろん持参金も返却するし賠償金も支払うと伝えました。妻は驚いていましたが頭の回転の早い人で、すぐに理解しました。妻はベッドから降りるとドレッサーを開けてネグリジェを持ってきて私に渡しました。


戸惑う私に彼女は言いました。


それなら私達は外では夫婦として振る舞い、寝室では友人になりましよう、と。


離婚するだろうと思っていた私は度肝を抜かれました。なにも言えずにいる私を彼女は抱きしめてくれました。彼女は私を、子の作れない私を受け入れてくれました。

私達は一般的な夫婦ではなく親友となりました。

そこでは産まれて初めて私は、本当の私になれるような気がしました。


程なくして戦争が始まりました。

貴族として産まれた私は私の義務を果たさなくてはなりません。領内経営を妻に任せて私は戦争に行くこととなりました。


妻の領内経営は素晴らしいものでした。

戦争の影が暗く濃くなる中で、農地改善から新しい品種改良まで積極的に奨励していたようです。領民からは子供が出来ないことを揶揄されることも多くなってきていましたから、妻は孤軍奮闘していました。


彼女は彼女で女という入れ物に囚われておりました。勉強をしたい、男の読むような本や新聞を読みたい。秋の森で狩りをしたいと言った時には宥めるのに苦労しました。結局狩りは彼女のいちばんの趣味になりました。私よりも馬を扱うのが上手でした。

彼女は私に「子供を持たなくても良いの」と言いました。それは彼女の本心のようでもありましたが、今となってはわかりません。


「妻は本当に子供が欲しくなかったのだろうか?私に付き合わせて妻の人生を台無しにしてしまったのではないか…」


老人は儀式のために整えたであろう白髪をくしゃりと掴んだ。その様子から辺境伯は妻の死後、自分が愛する人の人生を歪めてしまったのではないかと苛まれていたのは明らかだった。


ヴァルが静かに言葉を紡いだ。


「…ここへ来る途中、小麦畑を拝見しました。

私はいままで色々な土地を巡ってきました。ここの畑は年を追うごとに豊かになっていくのが分かりました」


「大きな変化があったのは第二次ダオ争乱の起きた頃でしょうか」

「ダオ争乱…」


辺境伯は目を大きく広げた。


「私はその時色々な事情から窮しておりました」


頭の中の記憶をほぐすようにヴァルは黒衣のマントの下で組んでいた腕を下ろした。


「お恥ずかしい話ですが、一銅貨すら持っていませんでした。空腹よりも内臓の痛みも感じる頃にこちらの領内にはいる関所に辿り着くと、難民のための炊き出しがされておりました」


「私は炊き出しに並ぶ余力すら無く、ふらふらとモミの木の下に情けなく座り込んでおりました。しばらくすると1人のご婦人が編みカゴを持ってこちらに歩いて来るのが分かりました」


「ご婦人は私の前に来ると編みカゴの中から大きなパンを取り出して酢キャベツにゆで卵、これはおまけだと言ってチキンを挟んで私にくださいました。私は受け取るのに抵抗がありましたが‘これは恵んでるんじゃない。私の友に差し上げるのだ’と、仰ってくださいました」


ご婦人はすぐに追いかけてきた憲兵と侍女に「いい加減にしてください。伯爵夫人」と、怒られながらまた炊き出し場所に戻られていきました。


「ああ…彼女だ。彼女はそういうことをする人だ…炊き出しに参加していたなんて…知らなかった…」

「あの頃は戦争もまだ先の見えない状態で、道端には餓死者も出ている領地もありました。そんな時にあのような行動をするのは素晴らしいことだと思います」


それに、こちらの館に到着するまでの道々には各家から持ち寄ったテーブルが並べられ、たくさんの料理が並んでおりました。全て伯爵夫人を偲んで領民が自主的に用意したもののように見受けられました。


今夜は夫人の話がたくさん交わされる。辺境伯の知る夫人の話や知らなかった話。

全ての思い出が交わされて朝を迎える。


「夫人が子供のいる人生を望んでいたのかどうかは私には分かりません。


しかし夫人が努力されて築いてきたものでここは満ち溢れています…炊き出しの時に人々を勇気付けていた顔を思い出すと、後悔はなかったと思いますよ」


長々と私の話を失礼しましたと言ってヴァルは話を終えた。それと同時にテラスの方から電気洋燈を持った中年の執事が2人の顔を照らした。


「閣下…!閣下、こちらにいらっしゃったのですね。探しました。そろそろ儀式のお時間となりますのでお戻りいただけますか?」


「ああ…すまない」


バッシュの練習もキリがついたようだった。肩にリヒトを乗せていたので辺境伯と執事がいることに気がつくと慌てた顔をしたが、ちょうど電気洋燈の灯りが強く周囲照らしていたのでリヒトの灯りは分からないようだった。


ヴァルは辺境伯に退席の挨拶をしてバッシュの元へと向かった。


辺境伯はベンチから立ち上がりながらその背中を見つめた。辺境伯は執事にポツリと質問を投げかける。


「彼はいくつくらいに見えるだろうか」

「彼…?ええ、そうですね…失礼ながら私の愚息よりも数個上には見えますから20中頃でしょうか。30を過ぎているようには見えません」


それよりも急がないと儀式が遅れてしまいますと言って中年の執事は老いた背中に手を添えて優しく促した。辺境伯はそれに従ったが、頭の中は記憶を遡っていた。


出征した頃の自分の記憶が混乱しているのか。それともあの葬儀屋が寂しい老人を気遣い見るに見かけて優しい嘘でもついたのだろうか。


辺境伯はもう一度、振り返って黒衣の葬儀屋の姿を確かめた。嘘をつくようには見えない。辺境伯の記憶は正しかった。


第二次ダオ争乱は40年以上前の話だった。

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