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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第7章 地を抱く脊梁
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虹の細剣

振り返ると、背後にはエゾフの母親が横たわっていた。その大きな背中は、爆発の衝撃で毛が剥がれ、むき出しになった肉と骨が不気味に露出していた。肉の裂け目からは黒い血が滴り、骨が歪んで見える。


「ごめん……エゾフ」


言葉が喉の奥で詰まる。エゾフの母親を救えなかった、その無力さが胸を締め付けた。エゾフは、何も言わずにただ静かにその背中を見つめていた。


「……かか様を見つけてくれて、ありがとう」


その言葉が、バッシュの胸に響いた。エゾフの声には、感謝とともに、どこか安堵したような温かさがあった。その言葉を、バッシュはどう受け取るべきか分からなかった。自分が何もできなかったことが痛いほど分かっていたからだ。だが、エゾフの目を見ているうちに、彼の気持ちを無下にすることはできないと思い、手を伸ばした。


バッシュはエゾフの背中をポンポンと、いつものように軽く撫でた。その手のひらは、いつもより少し力が入っていた。エゾフは少し驚いたように振り返ったが、すぐに穏やかな表情を浮かべ、黙ってそのまま立ち続けた。


トロントのそばにいたヴァルは静かに言った。


「場所が悪いが……葬送儀礼をしなくてはならない。」


ヴァルのそばではリヒトが、神明の梯子の名を司る光がぼやっと瞬いた。


その言葉に、エゾフは一瞬、動きを止めた。彼の目は母親の死体に釘付けになり、言葉が喉の奥で詰まった。母親の姿が、もう二度と動くことはないと理解することができなかった。エゾフの心は、まだその現実を受け入れられず、どうしても言葉を発することができなかった。


「エゾフ、しなきゃダメだ。」


バッシュの声が、強く響く。彼はエゾフの肩に手を置き、優しくも力強く言った。


「母さんのためにも、ちゃんと儀式をしないと、魂は安らかに眠れない。」


エゾフはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。彼の顔には、決意とともに深い悲しみが浮かんでいた。


「分かった…やるよ。」


だが、その時、突然、死体のエゾフの母親が、ゆっくりと動き出した。


最初はわずかな動きだったが、次第にその動きは大きくなり、まるで無理に引き上げられるかのように、死体が立ち上がり始めた。


エゾフは目を見開き、バッシュも息を呑んだ。ヴァルは2人を守るように前に立った。


死体の母親は、目を見開いたまま、無表情で立ち上がり、命を失ったはずの体に何かが宿っているかのように、不自然に背を伸ばした。その動きは、まるで生きているかのようで、しかしどこか不気味で、異様な冷たさを感じさせた。


エゾフは後ずさりし、目を背けた。


「…か、かか様…?」


その声は震え、まるで恐怖に支配されたようだった。エゾフの母親の顔には、もはや生者のものとは思えない空虚な表情が浮かび、すこしも動かない。だが、その目だけが、エゾフをじっと見つめていた。


空気が凍りつくような感覚がバッシュを包んだ。命の火が消えた体が動き出すという現実が、そこにはあった。


----その瞬間、空の見えないこの空間にピィと鳥の鳴き声が聞こえた気がした。


◇◆◇◆


エゾフの母親は、ケガレの力によって変わり果て、もはや姿をとどめていなかった。爆発の衝撃で肉が裂け、骨が歪み、元の面影すら感じさせない。だが、その変化はただの死者の復活ではない。死体に寄生したのは、ケガレという生への執着の集合体だった。


ケガレは、死後の世界に留まることを許さず、命を求めて死者の肉体に取り憑く。その力が肉体を歪ませ、形を変え、エゾフの母親の体は膨れ上がり、骨が裂け、肉が腐敗しながらも、異様な力で再構築されていく。その姿は、もはやかつての山の番人としての神聖さからはかけ離れていた。


その姿は、目を見開き、血走った瞳がエゾフを見据えた。体中から黒い膿のような液体が滴り落ち、肉がひどく腐敗しながらも、動きは生きているかのように激しく、獰猛だった。狼の大きな牙がむき出しになり、爪が地面を引き裂く音が響く。その姿は恐怖そのものであり、まるで生を求める力が暴走しているかのようだった。


エゾフはその光景を見て、言葉を失った。母親の面影は完全に消え失せ、そこにあるのはケガレに支配された獣だった。ケガレは、死者の肉体を再生させるのではなく、むしろ死体の腐敗を引き起こし、その中に生きる執着を宿らせている。エゾフの母親は、もはや母親ではなく、ケガレの力に操られる恐ろしい存在となっていた。


その狼の姿が、エゾフに向かって一歩一歩迫ってくる。大きな足音が地面を震わせ、血のように赤く輝く瞳がエゾフを捉えた。生への執着がその目に宿り、まるでエゾフを取り込もうとするような迫力があった。


バッシュはその恐ろしい光景に、ただ呆然と立ち尽くしていた。ケガレの力が引き起こすこの異常な変化に、言葉を失うしかなかった。


死体のエゾフの母親が立ち上がり、徐々にその姿が変化していく。肉が膨らみ、骨が軋む音が響く中、異形の姿へと変貌していった。その姿は恐ろしいほどに力強く、鋭い牙と爪を持ち、目は異様に光り輝いていた。


エゾフは震えながら後退し、ヴァルはその様子を冷静に見守っていた。しかし、ヴァルの目はすでに決意に満ちており、彼の手がゆっくりと動き出す。


空気がひときわ静まり返った瞬間、ヴァルは深く息を吸い、そして手をかざした。


空間が歪み、光が集まり始める。最初はほんの小さな光点だったが、次第にその輝きは大きくなり、無数の光がヴァルの周りに集まってきた。それらは虹色に輝き、まるで空に架かる虹のように、色とりどりの光が交錯しながら螺旋を描いていった。


その光の中から、ゆっくりと一振りの細剣が現れる。剣の刃は虹色に輝き、まるで神聖な光を宿しているかのように、全身を包み込むような光を放っていた。その刃はまばゆく輝き、光の帯が剣の周囲に漂いながら、まるで天から降り注ぐ神聖な力を具現化したかのようだった。


その虹色の光は、ただの色彩ではない。


見る者に神々しさと同時に畏怖を感じさせ、剣の存在そのものがまるで聖なる力を宿した神器のように感じられる。光はヴァルの手のひらから剣へと流れ込み、その輝きは次第に強さを増していった。


剣を握るヴァルの手のひらもまた、虹色の光に包まれ、彼の瞳には決意の炎が灯っていた。ヴァルはその細剣をしっかりと構え、狼のような姿に変貌したエゾフの母親を見据えた。


「……いま、楽にしよう」


虹色の光がヴァルの周りを渦巻き、剣の刃から放たれる光線が空間を切り裂く。

その虹色の剣は、ただの武器ではなく、神聖な力を宿した象徴であり、ヴァルの決意と力を表すものだった。


ヴァルは静かに深呼吸をし、虹色の細剣を握りしめた。その刃は神聖な光を放ち、周囲の空気を震わせる。空間がひときわ静まり返り、すべてがその刃に引き寄せられるかのように感じられた。彼の目は冷徹で、決意に満ちていた。


エゾフの母親――今はケガレに寄生された巨大な狼の姿――は、獣のように唸り声を上げながら、ヴァルに向かって牙をむき出した。その目は血走り、腐敗した肉からは悪臭が立ち込めていた。ケガレの力に支配され、もはや番人としての意識は微塵も残っていない。


ヴァルは一歩踏み出し、細剣を高く掲げた。その瞬間、空間がまるで裂けるかのように光を放ち、虹色の光が彼の周囲に集まっていく。まるで天の力を具現化したかのようなその光は、エゾフの母親に向けて放たれると、空間そのものを浄化するような力を感じさせた。


光が狼の体に触れると、ケガレの力が反応した。狼の体が激しく震え、腐敗した肉がひび割れ、黒い膿が噴き出す。それは浄化の力、死と生の狭間にあるものを清め、再生を拒む力だった。


エゾフの母親は咆哮を上げ、その巨体を振り回しながらヴァルに襲いかかる。大きな爪が空気を切り裂き、地面を砕く。しかし、ヴァルはその攻撃を冷静に避けると、細剣を一閃。虹色の刃が空を切り、空間を切り裂くようにして狼の肩を貫いた。


その刃が触れると、ケガレの力が一瞬、弱まるような気配が漂った。狼の体がひときわ大きく震え、呻き声を上げる。だが、それでもケガレは完全に消えることなく、狼はさらに凶暴になっていった。


ヴァルは再び細剣を振るい、今度はその刃を大きく横に振った。虹色の光が渦を巻き、空間を切り裂く。その光が狼の体を貫くと、ケガレの力が再び反応し、狼は苦しげに叫びながら、体を捻じ曲げて暴れた。


「ケガレよ、死者を愚弄することは許されない。」


ヴァルは冷徹に言い放ち、再度細剣を突き刺す。その刃が触れるたびに、ケガレの力が押し戻され、腐敗した肉が焼けるように崩れ落ちていく。


エゾフの母親は、最後の力を振り絞ってヴァルに向かって突進する。その巨体がヴァルに迫り、まるで全てを飲み込むかのような勢いで牙をむき出す。


だが、ヴァルはその瞬間を見逃さなかった。


ヴァルは細剣を空中で回転させ、虹色の光を全身にまといながら、狼の胸元に深く突き刺した。その刃はまるで天の雷のように鋭く、ケガレの力を一気に引き裂く。


「……終わりだ。」


ヴァルは静かに息を吸い込み、虹色に輝く細剣を握りしめた。その刃は、まるで天からの光を集めたかのように、柔らかな輝きを放っている。


剣をゆっくりとエゾフの母親――ケガレに寄生された狼の胸元に向けて差し出した。


その瞬間、光が一層強く輝き、細剣の刃が穏やかな音を立てながら、狼の肉体に触れた。刃先がその皮膚に触れると、まるで柔らかな布を切るようにすっと滑り込む。だが、その刃が深く刺さることはなく、まるで光がその肉体に溶け込むように、静かに浸透していった。


細剣の刃先が肉を突き抜けることなく、ケガレの寄生した部分に触れると、まるで空気が震えるかのように、周囲の空間が一瞬静まり返った。その刃が触れた場所から、虹色の光が静かに広がり、ケガレの力を浄化するように、穏やかにその存在を引き寄せていく。


狼の体がわずかに震え、目の前の光に反応するように、ケガレの力が少しずつ消えていく。その光は暴力的に力を奪うのではなく、あたかも母親が優しく眠りにつくように、穏やかな手を差し伸べるような感覚だった。


エゾフの母親の目が、わずかに柔らかくなり、顔に浮かんだ苦しみが少しずつ消えていく。ケガレの力が溶けるように、彼女の体から消えていく様子は、まるで闇の中から光が差し込むような優しさを感じさせた。


その瞬間、細剣の刃が完全に肉体に溶け込むことなく、ただ静かにその力を浄化し、ケガレの存在が完全に消え去った。


周囲の空間は再び静寂に包まれ、光の残像だけが、穏やかな安堵の中で漂っていた。

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