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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第7章 地を抱く脊梁
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山の胎内

バッシュはぼんやりとする頭で、こんなに何度も落とされることがあるのだろうか、と疑問を感じた。


痛みが体中に広がっている。手がひりひりと痛み、皮が擦りむけている。背中もひどく痛むが、それでも体は動かせる。少しだけ安心したが、その安心感もすぐに消えていった。


突然、彼は何か大きなものに包まれていることに気がついた。それは柔らかいが、同時にゴワゴワとした肌触りがあった。目を開けると、目の前に広がるのは真っ暗な空間だったが、どこか温かみを感じる。彼の体はまるで包み込まれるようにして、安心感に包まれていた。


その温かさを感じながら、バッシュはふと気づく。これは、エゾフの母親だ。彼女の巨大な黒い体が、バッシュをしっかりと包み込んでいたのだ。狼の毛は深い黒色で、夜の闇に溶け込むように美しく、同時に力強さを感じさせる。


エゾフの母親は、まるでバッシュを守るようにしてその大きな体で覆っていた。彼女の毛の中に顔を埋めると、温かさとともに、ほのかに草の匂いがした。狼の体温がじんわりと伝わり、バッシュはその安らぎに身を任せる。


心の中で、これが本当に自分のいる場所なのか、現実なのか、夢の中なのか分からなくなるほどだった。だが、確かに感じる温かさと、エゾフの母親の存在は、いまのバッシュに安心感を与えてくれていた。


バッシュがエゾフの母親に包まれている間、意識が少しずつ戻り、周囲の空間がぼんやりと見えてきた。やがて、彼の目の前に広がるのは、想像を絶する光景だった。


目の前に広がるのは、無数の魔石が地面から突き出すようにして輝く空間。石はどれも大きく、形も様々にひしめき合っている。


その表面は光を反射し、青や紫、緑といった色彩が混ざり合って、まるで星海の中の幻想的な世界のようだった。光の粒子がふわりと浮かび、まるで生きているかのように動き、山の中に一種の神秘的な空気を作り出していた。


その光景は美しいが、同時に終わりの気配を感じさせた。


無数の魔石の表面にはひび割れが走り、まるでその輝きが次第に力を失い、崩れ落ちるのを待っているかのような不安定さを感じさせる。

バッシュは周囲に広がる魔石を見つめながら、胸の中で不安が膨らんでいくのを感じた。山の中央に広がる魔石の光景は、神秘的でありながらも、どこか壊れやすく、恐ろしさを孕んだものだった。


バッシュは、エゾフの母親に包まれながら、次第にその不思議な静けさに気づき始めた。


彼の耳に届くのは、エゾフの母親の大きな心臓の音、そしてその音と微かに重なるように、山の中の魔石がわずかに発光し、瞬く音だった。どちらも、最初は単なる偶然だと思っていたが、次第にそれが一つのリズムであることに気づく。


心臓の鼓動と、魔石の瞬きが、まるで一体のもののように重なり合っている。どちらも生命を感じさせ、そしてどこか不安定で儚いものだ。バッシュはその感覚に包まれ、次第に恐怖と共に一つの直感を抱く。


それは、エゾフの母親の心臓の音が、この山そのものの鼓動であるということだった。


山の深部に広がる魔石の光は、まるで生き物のように脈打ち、そしてその脈動に合わせて、山全体が微かに揺れていた。バッシュは、エゾフの母親がこの山の中で息をしている。その心臓の音が次第に大きく、そしてゆっくりとしたものへと変わっていくのを感じた。


その音は、ただの鼓動ではなく、山の命そのものであり、エゾフの母親がこの山の中で生き続けている証拠であるように思えた。


しかし、その音が次第に遅くなり、弱まっていくのを感じると、バッシュの胸に強い不安が広がった。


この山は……エゾフの母親そのものだ。


その直感が、バッシュの心に深く刻まれる。山の中に広がる魔石の輝きも、エゾフの母親の力が宿っている証であった。しかしその力が今、弱まりつつあることに気づく。心臓の音がゆっくりと沈黙に近づいていくように、山もまた静寂に包まれつつあるのだ。


エゾフの母親の命と共に動き、そしてその命が尽きる時、この山もまた崩れ去るのではないかという不安がバッシュの胸に広がった。


その時、バッシュの目の前を、だらりと黒い流体がゆっくりと流れた。


それは、まるで山の内部から漏れ出すように、暗い闇の中でひときわ目立つ。流れるその物質は、血のように赤黒く、しかしその色は異様に深く、どこか不気味だった。山の奥深くから滲み出てきたようなその流体は、まるでエゾフの母親の生命の一部が外に漏れ出しているかのようだった。


「……お、おまえ……!」


バッシュは思わず声を上げ、目の前の異様な光景に息を呑んだ。バッシュの心臓が激しく鼓動し、体中が震える。

目の前で広がるその黒い流体は、ただの血ではない。山の命そのものが、そしてエゾフの母親の命が、今まさに流れ出しているかのような感覚が彼を襲う。


その瞬間、バッシュの体にずしりと重みがかかった。何かが崩れ落ちるような、圧力を感じた。エゾフの母親の巨大な体が、もはや支えきれないように崩れ始めていた。バッシュはその重みを受け止めようと必死に体を支えたが、力が入らない。彼の腕が震え、膝が崩れそうになる。


エゾフの母親は、もはや自分の体を支える力を失っていた。その大きな体は、徐々に地面に沈み込んでいく。彼女の息は重く、荒く、心臓の鼓動はさらに遅くなり、静寂の中でその音が次第に消えていった。


バッシュはその重さに耐えるしかなかった。エゾフの母親の体は、もはや命を支える力を失っている。彼女が支えていた山も、今やその命の源を失いつつある。山の中の魔石が、ゆっくりと輝きを失い、暗く沈んでいくのを感じた。


「エゾフ……ごめん……ごめん……!」


バッシュはその名前を呟き、無力感に苛まれながら、目の前の黒い流体と崩れゆく母親の姿を見守るしかなかった。


「かか様!バッシュ!」


重みに押し潰されながら、幻聴がしたのかと思った。


「え、エゾフ……?」

「バッシュ!」


ヴァルの声も聞こえ始め、それが幻聴でないと気がついた。


ヴァルはエゾフの母親の顎に手を添えると、あらん限りの力で持ち上げ、バッシュが逃げ出すための空間を作り出した。ヴァルの声がさらに強く響き、バッシュの意識を引き戻す。


「バッシュ、しっかりしろ!」


ヴァルの言葉が、崩れゆく世界の中で唯一の支えのように感じられた。


バッシュは震える手で地面を掴み、何とかその場を離れることを決意した。彼の目の前には、ヴァルが必死に作り出した逃げ道が広がっている。


バッシュはヴァルが作り出した空間を見つめ、迷うことなく一歩踏み出した。崩れゆく狼の姿を背に、必死に駆け出す。足元がふらつき、息が荒くなる中でも、ヴァルの声だけが力強く響いていた。


「バッシュ、こっちだ!早く!」


その声に導かれるように、バッシュは闇の中を駆け抜け、ようやく逃げ出すことに成功した。

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