夢の中の警告
エゾフから山の番人である母親の話を聞いたのち、3人は焚き火のそばで休むことにした。エゾフとバッシュは横になり、しばしの休息を取る。周囲の見張り番を買って出たヴァルは、その場に残り焚き火に枯れ枝をくべていた。
バッシュは横になりながらも、眠りにつくことができなかった。焚き火の薪がはぜる音が耳に心地よいはずなのに、どこか落ち着かない。冷たい夜風が頬を撫でるたび、彼の意識は浅い眠りから引き戻される。
これからどうなるのだろうか――バッシュは焚き火の音を聞きながら、そんな思いが頭をよぎった。
王国へ行くこと。それが自分の目的であり、旅の理由だった。そこで父親を探す――自分と母を捨てた男の顔を一度でいいから見てやりたかった。その気持ちは変わらないはずだ。だが、ヴァルと旅をするうちに、いつの間にか目的がぼんやりとズレているのを感じていた。
ヴァルのそばにいる理由を、バッシュははっきりとは言葉にできなかった。ただ、彼を放っておけない、そう思う自分がいるのは確かだった。冷たくてつかみどころのないように見えるヴァルだが、その奥に隠された孤独や痛みが、どこか自分に似ているように思えたのかもしれない。
「……まぁ、どのみちこの山を越えなくては王国には行けないしな」
バッシュはそう自分に言い聞かせた。方角は同じだ。急ぐ旅でもない。少し遠回りをしたところで、どうってことはないだろう――そう思い込むことで、心の中のもやもやを振り払おうとした。
まだロッソと別れる前。
野営のためにおこした焚き火の向こうで夜空を見つめるヴァルの背中が、ふと揺れる炎に溶け込むように揺らめくのが見えた。バッシュは目を閉じ、眠りに身を委ねようとしたが、その時の影は頭の中に焼き付いて、しばらく消えそうになかった。
目を開けると、焚き火の向こうでヴァルが立っていた。彼は夜空を見上げ、じっと何かを探しているようだった。無数の星々の間に、何かを見つけようとしているのか、それとも届かない問いを投げかけているように見えた。
バッシュはその姿に妙な違和感を覚えた。あの日からヴァルは変わった。
どこか脆く、切なさを帯びた横顔だった。いつもの無口で冷静な態度の裏に、こんな表情を隠していたのか、と不意に胸がざわつかせた。焚き火の揺れる炎がヴァルの顔を照らし、その表情はまるで消えてしまいそうに儚げに見えた。
バッシシュは、あのヴァルがこんなにも無防備に、心の奥底を見せるのは、まるで初めて見るような気がした。
普段の彼なら、どんな感情も顔に出さず、冷徹なままでいるはずなのに。だが、今は違った。アナスタシアのことを思うその目は、何かを失ったような深い悲しみを湛えていた。彼女の名前がヴァルの心に重くのしかかり、彼のすべてを支配しているようだった。
バッシュはその背中に吸い込まれるような感覚を覚え、思わず声をかけそうになるが、何を言えばいいのか分からず、口を閉じた。
このままヴァルはどこか遠くへ行ってしまうんじゃないか……。
今夜も焚き火の向こうで夜空を見つめるヴァルの背中が、揺れる炎に溶け込むように揺らめいていた。バッシュはその姿を目に焼き付けるように見つめたあと、ようやく目を閉じた。
眠りはすぐに訪れた――そして、夢もまた。
◇◆◇◆
焚き火の火の粉が空に舞い上がり、周りの暗闇に小さな光の点を作る。バッシュの母親は、焚き火のそばで木の枝を使って鍋をかき混ぜていた。冷たい夜風が吹き抜け、火の熱がその瞬間だけ温もりをもたらす。周囲は深い森に囲まれ、遠くからは夜の動物たちの鳴き声が聞こえる。
その静けさの中で、バッシュはふと、遠くからかすかな音が聞こえるような気がした。風に乗って、どこかで笛の音やドラムのリズムがかすかに響いているような――それは、かつてサーカス団にいた頃の名残りだった。色とりどりの布が風になびき、陽気な音楽が響き渡る、そんな光景が夢の中に浮かんでは消える。
母親がコップに何かを注ぐ音が響くと、バッシュはその動きに目を向けた。彼女は無言で動きながら、何かを感じ取ったかのように、ふと顔を上げて言った。
「鳥が、すぐそこまで来ているわ」
その言葉は、まるで警告のように響いた。
だが、母親の表情はいつものように穏やかで、少し面を食らった。
言動と行動が一致していないような違和感を覚えた。
そして遠くから聞こえる陽気な音楽も相まって、その齟齬はバッシュに不安の影をもたらした。
バッシュは自分の中に蠢いた不安を掻き消すために、母親に尋ねようとした。
それは一体どう言う意味なのだ、と。
けれども、ふと耳を澄ますと、どこかでサーカスの楽器の音が遠くに聞こえ、夢と現実が交錯するような不思議な感覚に包まれた。
バッシュはそこで唐突に目を覚ました。
冷たい空気を感じながら、体はひどく汗をかいていた。夢の中で見た母親がまだそこにいるような気がして、言葉の真意を尋ねようと飛び起きると、そこにはヴァルが立っていた。
ヴァルと目が合うと、バッシュの様子が尋常ではないことに気づいたヴァルは心配そうに声をかけようとしたが、その言葉は暗闇を切り裂くような男の叫び声によって遮られた。