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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第7章 地を抱く脊梁
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狩人兄弟

やまはこわい。でも、かりをしていたときはだいすきだった。きぎのゆらめきやどうぶつたちのいぶきをかんじとる。やまといったいになるのようだった。


すぎていくじかんとともにけしきはかわっていくのをみているのはたのしい。とくにふゆのやまはすきだった。みんなはいやがるが、ぼくはすきだった。


きらいになったのはかりをやめていしをとりにいったころからだ。やまのなかにはいり、ひがないちにちかんかんかんかんといしをとるのだ。かんかんかんかんかんかんかん。かんかんかんかんかんかん、と。


やまのなかにはいるときはとりをつれていく。かごのなかにいれたとりはいきができるめやすになるのだ。そのとりが、ピィとなかなくなると、ぼくはわかる。ああ、もうだめだ、って。


そのとき、ぼくはすこし、こわくなるんだ。とりのこえがきこえなくなると、まわりのきおくがうすれていくみたいに、しずかになって、さびしくなる。あのころは、しんじていた。やまは、ぼくをまもってくれるって。


でも、いしをとるうちに、だんだん、やまがちがうものにみえてきた。きぎのゆらめきも、どうぶつたちのいぶきも、あんまりきこえなくなった。かわっていくけしきは、ぼくにはわからなくなってしまった。


ぼくのなかのとりがピィとなくのだ。


◇◆◇◆


山が好きかどうか問われると、そういう次元ではなかった。山は生活のために入るものであった。狩りのため、獲物を得るため、そして時にはそれが命を守るためでもあった。山の中で時間を過ごすのは、決して楽しいことではない。生きるための義務だった。


だが、ある日、山の中でふと足を止めたことがあった。ふと視界に入ったのは、見慣れた景色の中に、何か違うものがあったからだ。風が吹くたびに、木々の間から見える空が、いつもよりも遠く、重たく感じた。そのとき、初めて山が「好き」だと思ったのかもしれない。だが、それはただの一瞬の錯覚だった。


親父は腕の良い狩人だった。狩りの技術に関しては誰にも引けを取らなかった。しかし、戦争から帰ってきたとき、足が片方なくなっていた。その日から、家の中での空気は一変した。親父が出かけることはもうなくなり、母はただ静かに座っていることが多くなった。


それからは、家計を支える役目がオレたち2人に回ってきた。まだ子どもだったオレたちに、そんな大役が降りかかるなんて、誰が予想できただろうか。でも、逃げるわけにはいかなかった。オレたちがやらなければ、家はどうなってしまうのか。母の顔を見ていると、そう思わずにはいられなかった。


親父は酒を飲んでは暴れるようになった。最初は気を使って、家の中で静かにしていた。しかし、次第にその静けさは壊れていった。酒が入ると、親父の顔が赤くなり、目つきが鋭くなる。母に向かって怒鳴り声をあげ、何かを壊し、テーブルをひっくり返すこともあった。オレたちはその度に、震えながら何とかその場をやり過ごすしかなかった。


それでも、狩りを始めたのは親父の足がなくなってからすぐだった。最初は怖かった。山の中で獲物を追い詰める感覚なんて、全然わからなかった。でも、やらなければならなかった。オレたちが食べていくためには、獲物を仕留めなければならなかったからだ。


山で獲物が少なくなってくると、次第にオレたちは親父の知り合いに鉱山へ連れて行かれるようになった。狩りでは満足に獲物が取れなくなり、家計もどんどん厳しくなっていったからだ。


鉱山へ行くことになった理由は、魔石を取るためだった。オレたちのような体の小さな子供が有利だったからだ。鉱山の中は狭く、複雑な道を通らなければならない。大人の体では狭すぎて動きづらい場所も多かったが、子供なら簡単に通れる隙間がいくつもあった。それに、魔石を取るためには、手先の器用さも求められる。オレたちはそれに適していた。


親父の知り合いが言った。「お前たち、あの鉱山で魔石を取ってこい。取れた分だけ金になる。」その言葉に、オレたちはただ黙って頷くしかなかった。親父も、もう何も言わなかった。家計が厳しくなるばかりで、オレたちに選択肢はなかった。


鉱山に入ると、空気がひんやりとしていて、常に湿気を感じた。小さな穴を通り抜けるたびに、オレたちは息を呑んだ。暗闇の中で目を凝らし、手探りで魔石を探す。鉱山の中は静かで、ただ時折響く石を叩く音だけが耳に残る。最初は怖かったが、慣れてくると、それが仕事の一部だと感じるようになった。


でも、どこかで、山の中で獲物を追っていた頃のほうが、まだ良かったのかもしれないと思うことがあった。


やがてオレだけが鉱山に入れなくなった。理由は単純だ。体が大きくなり、もう子供が通るような狭い場所には入れなくなったからだ。最初はそれが悔しくて仕方なかったが、すぐに現実を受け入れることになった。しかし、大人よりはまだ未成熟な体では雇ってもらえず、結局、オレは再び山で狩りをすることになった。


だが、山の中で獲物が取れることはごく稀だった。狩りに出ても、以前のように獲物を追い詰めることはできなくなっていた。山の中は静かで、獲物の気配すら感じられないことが多かった。狩りの腕が鈍ったわけではない。ただ、山自体が変わってしまったのだ。獲物が減り、オレたちが頼りにしていた狩場も次第に荒れていった。


親父は酒を飲んでは暴れるようになり、家の中も次第に荒れ果てていった。オレたちはそのたびに耐え、何とかして家計を支えようとしたが、どうにも上手くいかない。鉱山での仕事もオレにはもうできなかったし、狩りも満足にできない。そんな日々が続く中で、山に向かう足取りも重くなっていった。


そして、鉱山には弟だけが行くようになった。弟は体が小さく、狭い鉱道をくぐり抜けるのに適していたからだ。オレが行けなくなったその日から、弟は鉱山に通い続けた。彼はまだ若かったが、鉱山での仕事にも慣れ、オレができなかった分まで家計を支えるようになった。


弟は鉱山で働くため、体を小さく保つように食事を制限された。親父は「小さい方が有利だ」と言って、弟の食事を減らした。硬いパンと少量のスープだけが与えられ、弟は次第に痩せていった。


「お腹すいた……」


弟が呟くと、親父は冷たく言った。


「我慢しろ。鉱山に行くにはこれで十分だ。」


弟は食事を少しずつ減らされ、目に見えて元気を失っていった。それでも、鉱山に行くためには耐えなければならなかった。


「大丈夫だよ、兄ちゃん。僕は強いから。」


その言葉に、オレはどうすることもできなかった。


弟が鉱山で過ごす時間が長くなるにつれて、オレの心の中に不安が募っていった。弟があの場所で何を見ているのか、何を感じているのか、それを知る術はなかったからだ。


やがてその不安は現実となった。弟が鉱山で働き始めてからしばらくして、落石事故が起きた。弟はそれに巻き込まれ、瀕死の状態で鉱山の入り口に寝かされていた。いや、あれは放置されたと言うのが正しかった。


弟の姿を見つけたとき、心臓が止まりそうになった。あの体が、あの顔が、もう弟のものではないように感じられた。血まみれで、動かない弟を前にして、オレはどうすることもできなかった。


弟は目を開けて、わずかにオレを見上げた。だがその瞳には、もう恐れも痛みもなかった。代わりに、深い疲れと諦めが宿っていた。


「兄ちゃん……」


その声が、かすかに聞こえた。


オレはその一言に、全てを持っていかれたような気がした。何もできなかった自分を、どうしてこんなことになったのかと、ただ悔しさだけが胸を締め付けた。


「誰か……誰か助けてくれヨォ!!弟なんだ!1人しかいない、オレの弟なんだ!!助けて、助けて……」


その声に反応するものはいなかった。周囲の人々は無言で立ち尽くし、何もできない自分たちを責めるような顔をしているだけだった。だが、誰も動こうとはしなかった。


弟の命の灯火が潰えようとした時、その人は現れた。


「おや……どうしましたか?」


穏やかな声が、まるで場違いのように響いた。オレは驚いて後ろを振り向いた。そこには、若いとも歳をとっているとも言える緑色の服を着た男が立っていた。男は鉱山の荒れた風景には似つかわしくない、上等な服を着ていた。だが、汚れるのも厭わずに、オレのそばにしゃがみ込んだ。


その姿に一瞬、何をしているのか理解できなかった。だが、男の目は弟に注がれていた。その目は冷静で、どこか優しさを感じさせるものだった。


人生で数度しか祈りを捧げたことがなかったが、この時、オレは心の底から神明様が現れたのだと思った。弟の命が危機に瀕している中、目の前に現れたその男は、まるで神明様のように感じられた。


男は何も言わず、ただ静かに弟の状態を見つめていた。その顔に一切の動揺はなく、まるでこれから何が起こるのかをすでに知っているかのようだった。オレは必死に言葉を絞り出した。


「お願いだ……弟を助けてくれ……!」


男は静かにうなずき、手を弟の胸にそっと置いた。その手が触れると、何かが変わったような気がした。周囲の空気が一瞬、張り詰めたように感じられ、オレの心臓が高鳴った。


男は再び静かに言った。


「大丈夫……すぐに助けてあげます。」


その言葉に、オレは一縷の希望を感じた。まるで本当に奇跡が起きるような、そんな気がしたんだ。

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