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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第7章 地を抱く脊梁
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黒い狼

ロッソと別れてしばらく歩いた後、ヴァルとバッシュは山麓の村に辿り着いた。


村はまるで時が止まったかのように静まり返り、空気の中には鉱山の名残が漂っていた。かつての賑わいを想像するのも難しいほど、今は人々の姿がほとんど見当たらない。石畳の道は所々に割れ目が入っており、古びた家々の壁には煤けた痕跡が残っていた。遠くには、かつて活気に満ちた鉱山の入口が見えるが、今では閉ざされ、ただ荒れ果てた地面が広がるばかりだ。


村の中心に差し掛かると、ひっそりと佇む厩のある家があった。ヴァルとバッシュが家の前に立ち、声を掛けると家の扉がゆっくりと開かれ、中から年老いた男が顔を覗かせた。


顔には深い皺が刻まれ、目は鋭く、どこか警戒心を隠しきれない様子だった。村の静けさと荒れた風景に違和感を覚えたのだろう、男は二人をじっと見つめ、口を開いた。


「お前たち、何の用だ?」


声は低く、少し疑念を含んでいた。


「こんな村に、何か用事でもあるのか?」


ヴァルは一歩前に出て、静かに男の目を見つめた。無駄に警戒を示すことなく、冷静に言葉を選ぶ。


「山を越えてノヴァリス・ビスタを目指しているのだがもし泊まる場所があれば、少しの間お世話になりたい。」


ヴァルは、軽く手を差し出しながら、小袋から金貨を取り出して見せた。


「これで納屋を貸していただければ、助かる。」


金貨が光り、男の目が一瞬で変わるのが分かった。警戒していた表情が緩み、少し驚いたような顔をした後、男は静かに頷いた。


「そうか…まぁ、金があれば、話は早いな。」

男は微笑み、少し肩の力を抜いた。


「納屋を貸してやる。好きなように使ってくれ。」


ヴァルは穏やかに礼を言い、バッシュと共に納屋へと案内された。男の態度が一変したことを感じ取りながら、後ろで様子を見ていたバッシュは心の中でほっと息をついた。これで少なくとも一晩、安らかに過ごせる場所が確保できたのだ。


バッシュとヴァルが藁を受け取るために厩の外に出ると、村人たちの視線が一斉にエゾフに集まった。

大きな犬が近づくと、村人たちは一瞬息を呑んだ。エゾフの黒い毛並みとがっしりとした体格は、まるで狼そのもののように見えたからだ。村人たちの中には、すぐに警戒の色を浮かべる者もいた。


「おい、あれ…狼じゃないか?」


一人が声を上げると、他の者もすぐに警戒の目を向けた。バッシュはその視線に気づき、すぐにエゾフを落ち着かせるように手を差し出した。


「違う!違う!狼じゃない。こいつはエゾフだ。俺たちの仲間だ。」


バッシュの言葉が村人たちの警戒心を少し和らげたが、それでも不安そうな目で見つめる者が多かった。


そのとき、家人が口を開いた。


「おい……犬を連れているのか?金をもらえるから納屋を貸したが、面倒ごとは起こさないでくれよな」


彼は一度周囲を見渡し、声を潜めて続けた。


「最近、この周辺に黒い狼が出るんだ。見境なく村人を襲う。夜になると、あの森の方からうなり声が聞こえることがあるんだ。」


「黒い狼?」ヴァルは眉をひそめた。


「そうだ。普通の狼とは違う。大きさも異常だし、目が赤く光るんだ。……ちょうどアンタらが連れている犬と同じような真っ黒い毛の狼だ」


家人は言葉を続けた。


「先週も……近くの農夫が一晩で家畜を何匹も食い殺されてな。村人たちは皆、夜に外に出るのを恐れている。」


バッシュはその話を黙って聞いていたが、エゾフの耳がぴんと立ち、何かを感じ取ったように周囲を警戒していた。


「それで、誰かがその狼を見たのか?」


バッシュは問いかけた。


「見た者か…」家人は目を伏せて言った。


「あれを見た者は、誰も生きて帰ってこなかった。だから、今は誰も山に近づこうとはしない。」


その言葉に、空気がさらに重くなった。ヴァルは黙ってその話を聞いていたが、エゾフの姿勢が変わったことに気づいた。まるで何かを察知したかのように、彼は静かに周囲を見渡していた。


「アンタらもこれから山を越えるのなら気をつけろ。」


家人は最後にそう言って、二人に向かって手を振った。もし黒い狼に遭遇したら、逃げるしか手立てはないない。


ヴァルは無言でその話を聞きながら、ふとバッシュの顔を見た。バッシュは静かに答えた。


「狼か……」


エゾフがいれば、そんなに簡単に襲われることはないだろう。そう思いながらも、バッシュはエゾフの方に視線を向けた。


「エゾフ?」


エゾフは、いつものように無言でそこに立っていたが、その顔にはどこか物悲しさが漂っていた。まるで沈痛な表情を浮かべているかのように。


◇◆◇◆


山道を登る途中、最初はエゾフが前を歩いていた。バッシュとヴァルの前を軽快に歩きながら、時折鼻をヒクヒクさせて周囲の匂いを嗅いでいる。その姿は、まるで普通の犬のようだった。


しかし、しばらくすると、エゾフの歩調が少し変わり、気づけばバッシュの後ろを歩いている。最初は気のせいかと思ったが、よく見ると、エゾフは前を歩くバッシュとその後ろにはトロントの歩調に合わせるヴァルが少し遅れて歩いていた。


「おい、エゾフ、どうした?大丈夫か?」


バッシュが振り返ると、エゾフは何も言わず、ただ尻尾を揺らしながら歩き続けている。体調でも悪いのだろうか?バッシュは少し不安を覚えたが、エゾフの様子を見る限り体調が悪そうに見えなかった。


山の空気はひんやりとして、肌に刺さるような冷たさを感じる。夏の終わりを告げるように、木々の葉は色づき始め、足元には枯れ葉が舞い落ちている。秋の訪れとともに、山の豊かさが次第に消えつつある。

かつての緑の深さや温かな日差しが、今は冷え込んだ風と共に遠ざかり、山はすでに冬の気配を漂わせている。


「それにしても寒いな……」


バッシュが肩をすくめ、息を吐く。吐いた息は白く、空気の冷たさが身に染みる。


その冷えた風が、どこか寂しげに山を吹き抜けていく。秋の豊かさが残る一方で、山はすでに冬の前触れを感じさせる。木々はすでに実を落とし、土の匂いが強く、かつての生命力が少しずつ失われているように感じられるようだった。


バッシュはその寒さに身を震わせながらも、エゾフを見つめる。エゾフの姿は、どこかいつもと違う気がする。歩き方に、何かしら不安を感じさせるものがあった。


「寒いだけじゃない、ここは……何かおかしいのかもしれないな……」


その時、バッシュはふと思った。エゾフも、この寒さに影響されているのではないか、と。

いつもは冷静で、どんな状況でも動じないエゾフが、今は何かを耐えているような、そんな気配が漂っていた。寒さが彼の体にも、心にも何かしらの影響を与えているのかもしれない。


「お前も、寒いんだな……」


バッシュが肩をすくめながら言うと、後ろから声が飛び込んできた。


「人間は、まったく軟弱だなぁ!」

「オイ!こういうのは軟弱とは言わない!そもそも本格的な冬前とは言え、この装備でこんな山を越えるなん……え?」


バッシュが言葉を切り、足を止めた。突然、全く聞き覚えのない女の声が、会話に混じったのだ。


「まったく、どうしてそんなに弱いのだ?」


その声に、バッシュは背筋を凍らせた。

ブワッと背中に鳥肌が立ち、体が硬直する。

バッシュ、エゾフそれに続いてヴァルと老馬のトロントがいたはずだ。


振り返ると、そこには誰もいない。だが、もう一度声が響く。


「本当に……どうして、そんなに甘いんだか。全く面倒な生き物だ」


バッシュは急いで振り返り、視線を巡らせる。すると、目の前に立っていたのは、黒い犬のような耳と尻尾が生えた、裸の女だった。


その姿に、バッシュは一瞬息を呑んだ。

まるで人間のような体つきだが、耳と尻尾は明らかに人間のものではない。顔はどこか不気味で、どこか冷たく感じる目をしていた。


「お前……誰だ?」


バッシュは声を震わせながら問いかけた。

その女は、無表情でバッシュを見つめ返す。言葉を発しないまま、ゆっくりと一歩踏み出す。


「誰って……エゾフはエゾフに決まってるだろう?」


耳と尻尾を付けた正体不明の裸の女は呆れた表情でバッシュを見た。

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