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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第6章 エコーズ・オブ・パスト
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消えた光の先に

東の空がかすかに明るみ始めた頃、廃墟と化した街の中には、命を諦められない人々の声が響いていた。崩れた建物の隙間から這い出す者、倒壊した瓦礫の山を必死に掘り返す者、その全てが、希望と絶望の狭間で揺れる生存者たちだった。叫び声や助けを求める声が入り混じり、乾いた空気を震わせる。


「誰か、こっちだ!」

「お願いだ、助けてくれ!」


その声はどれも切迫し、喉を裂くような痛切さを伴っていた。瓦礫の上をよろめきながら進む人々の姿は、まるで壊れた街の亡霊のようだ。子供を抱きしめながら泣き叫ぶ母親、肩を貸し合う老人たち、その全てが新たな避難場所を求めて、疲れた足を引きずりながら進んでいる。


その混沌の中、3人は瓦礫に囲まれ、逃げ惑う人々に押し流されそうになっていた。ヴァルは険しい表情で周囲を見渡し、バッシュは迷いを振り払うように拳を握りしめる。ロッソは冷静な目で周囲を観察しながら、状況を見極めていた。人々の叫びと足音が、まるでこの廃墟の鼓動のように周囲を満たしている。


どこからか微かな光が差し込む中で、その光景はあまりに生々しく、そしてあまりに儚かった。人々の声は、夜明けを迎える空とともに、静寂に消えていくことを拒むかのように響き続けていた


バッシュは、瓦礫の中で必死に避難する人々を見守りながら、ふと横目でヴァルを見た。その視線は冷たく、まるで周囲の混乱が自分とは無関係であるかのように、ただひたすらに前を向いている。ヴァルの顔には、どこか遠くを見つめるような無表情が浮かんでいた。その目には、何の感情も宿っていないように見え、まるで災害が引き起こした破壊と痛みを、他人事のように感じているかのようだった。


バッシュの胸の中に、言いようのない違和感が広がる。この災害の原因の一つには、ヴァルとエリオスとの確執があったことは紛れもない事実だった。


ヴァルがエリオスのことを傷つけなければ、あるいは父親が早くにエリオスをこの街から遠ざけていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。いや、もうそんなことを言っても、死んだ命は戻ってこない。どんなに悔いても、過ぎ去った時間は取り戻せない。


その思いが胸を締め付ける。バッシュはふと、もしヴァルが別の選択をしていたら、今のこの惨状は避けられたのかもしれないと思った。しかし、そう考えても、何も変わることはない。今目の前に広がるのは、破壊された街と、失われた命の数々だ。


「……ヴァル。アンタ、これを見てもなにも感じないのかよ」


その問いが、口の中で渦巻くが、口に出すことはできなかった。ヴァルはただ黙って立ち、何も言わない。彼の顔には、どこか遠くを見つめるような無表情が浮かび、その目は過去の記憶の中に沈んでいるように見える。バッシュはその目を追い、何を考えているのか、何を感じているのかを読み取ろうとした。しかし、答えは得られなかった。


今、ヴァルの心の中に何が残っているのか。彼が抱えている痛みや後悔は、どこへ消えてしまったのだろう。バッシュはその問いに答えることができず、ただ空虚な気持ちが広がるばかりだった。


すると見覚えのある黒々とした大きな犬が正面から歩いてくる。


「エゾフ!!」


バッシュがエゾフに声をかけた直後、ふとその口元に何かが咥えられているのに気づいた。

ヴァルもそのことに気づき、すぐに手を伸ばそうとするが、エゾフはそれを察知したかのように、素早くその首を引いて避けた。そして、まるで「こっちだ」とでも言いたげに、ヴァルの方へと歩き始める。


「なんだよ?どうしたんだ?」


バッシュはその様子を見て、少し困惑しながら問いかける。しかし、ヴァルはその答えを待たずに、エゾフが咥えている物に目を凝らす。すると、彼の顔が急に硬直した。


「……ネックレスだ」


ヴァルは低い声で呟き、すぐにエゾフの後を追おうとするが、エゾフはまたしても素早く避け、今度はその首を振りながら、さらに先へと進んでいく。


「ネックレス?」


バッシュは少し驚きながらも、ヴァルの反応を見て、ようやくその意味を理解した。


「アナスタシアのネックレスをあの犬が持っている……!」


ヴァルの声は震え、そしてその目は焦燥と驚きが入り混じったものとなっていた。


バッシュはその言葉に驚きつつも、エゾフが必死に何かを隠そうとしているのがわかる。エゾフはまるでそのネックレスをヴァルに見せたくないかのように、口に咥えたまま、さらに早足で歩き始めた。


「おい、待て!」


ヴァルはその後ろを追いかけるが、エゾフは一向に止まる様子を見せない。バッシュはそのやり取りを見守りながら、何かが動き出す予感を感じていた。


やや遅れて、老馬のトロントがやってきた。

足元はおぼつかなく、危なっかしく歩くその姿は、年老いた体を必死に動かそうとするかのように見えた。トロントは一歩一歩、足を踏みしめるたびに、どこか不安定で、しかし懸命に前へ進んでいた。


ヴァルはその姿を見て、すぐにトロントだと気づいた。年老いた馬の足取りに、どこか懐かしさを感じると同時に、深い感慨が胸に込み上げてきた。かつて共に戦った戦友、共に過ごした日々が今も彼の心に強く残っている。


ヴァルはそのまま足を止め、静かにトロントに近づいた。老馬はヴァルの姿を認めると、少しだけ首を上げ、力なく鼻を鳴らした。その音が、長い年月を経たかつての絆を語りかけているように感じられた。


戦友を慈しむように、ヴァルはそっとトロントの鼻筋を撫でた。馬の毛はもう少し荒く、砂埃の匂いがした。それでもその温もりは変わらない。ヴァルはそのまま目を閉じ、しばらくトロントの存在を感じながら、穏やかな時間を過ごした。


「よく来たな……トロント。無事だったか」


ヴァルは静かに呟き、老馬の頭を優しく撫で続けた。その手のひらに、かつての戦友と共に過ごした日々の記憶がよみがえり、心の中で深い安堵を感じていた。


「待て!エゾフ、どこにいく!」


バッシュは怒鳴りながら、必死にエゾフの後を追った。足元の瓦礫を蹴散らし、崩れた街を抜けると、ようやく道に出た。息を切らせながら走り続けると、道の真ん中でエゾフが立ち止まり、こちらを振り返った。


その口には、ネックレスの紐がぶら下がっており、飾りが揺れるたびに、光を反射してきらりと輝いた。エゾフはそのまま、まるで「こっちだ」とでも言いたげに、バッシュをじっと見つめている。


バッシュは立ち止まり、息を整えながらその様子を見つめた。ふっと視線を上げると、道の上に明確な轍が刻まれているのが目に入った。まだ新しい、車輪が通ったばかりのような跡。エゾフがそれを見て、何かを察したように、さらに一歩踏み出す。


「おまえ……」


バッシュはその轍を見て、思わず声を漏らした。エゾフが咥えているネックレスは、まるでその轍と繋がるように、何かを伝えようとしているかのようだった。バッシュはその意味を急いで考え、そしてようやく気づいた。


「まさか、アナスタシアを見たのか……?」


その言葉が口をついて出たとき、エゾフは何も言わず、ただそのネックレスをぶら下げたまま、道の先を見つめ続けていた。


轍は薄暗い森へと続いていた。

道に深く刻まれた轍は、不気味に森の奥へと伸び、やがてその先が見えなくなっていく。まるで何かがその道を引き寄せ、森の中へと吸い込まれていくかのようだ。


空はまだ深い闇に包まれており、薄明かりもなく、全てが沈黙に包まれている。木々の間から漏れるわずかな星の光が、轍の先を照らし、ひときわ長く、歪んだ影を地面に落としていた。風はほとんどなく、まるで時間が止まったかのような静けさが広がっている。その静けさの中に、何か不安を感じさせるものがひそんでいるようだった。


その先には、巨大な山脈がそびえている。

山々は暗い空を背にして、無言でバッシュを見下ろしているかのように感じられる。

その頂はまだ雲に隠れており、岩肌は暗闇の中でぼんやりと浮かび上がっているだけだ。その冷たい印象は、どこか不安を煽るようで、山脈の輪郭は鋭く、深い闇の中で際立っている。風が山脈の間を抜けていくたび、ひんやりとした空気がバッシュの肌を撫で、心の中に不安を呼び覚ます。


森の中は重く、沈黙に包まれているが、その静けさはまるで何かが待ち構えているような、息を呑むような緊張感を漂わせていた。


轍はひたすら森の奥へと続いていた。そこに何が待っているのか、バッシュには分からなかった。ただ、暗闇の中に漂う不穏な気配が、彼の背筋を冷たくしていた。

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