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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第6章 エコーズ・オブ・パスト
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エゾフの聞き耳

あたし達は壊れた人間どもの住処から少し離れた場所で体を伸ばしながら、遠くの人間たちの騒ぎを眺めていた。


街中は突然現れた動く石の人形による破壊でひどい有様だ。粉塵が舞い上がり、崩れかけた建物の影から悲鳴や怒号がかすかに聞こえてくる。こんな状況では、あたしも動き回るのは危険だと判断して、トロントと共に静かに息を潜めていた。


エゾフは自分の体をいたわるようにその黒々と豊かで美しい毛を舐めた。


まったく、人間ってやつはどうしてああも自分たちで争い、わざわざ自分たちの居場所を壊すんだろう。あたしには到底理解できない。


ふと視線を移すと、気味の悪い2人組の男が壊れた街を出ていくのが目に入った。

1人は背が高く、異常に手が長い。まるで、だらりと垂れ下がった枝みたいだ。もう1人はそいつよりも背が低くて、いかにも弱そうな人間だったけど、そのくせ高い方を叱り飛ばしている。それがまた妙な光景だった。


「……あいつらは……」


最初は信じられなかった。だが、背の高い男の異様に長い手足、背の低い男の苛立った仕草――間違いなく、あの2人だ!


「なんであいつらが、こんなところに!?」


声が漏れそうになるのを必死にこらえて、あたしは身を低くする。以前、あたしはこの2人の狩猟犬としてこき使われていた。扱いはひどかったし、いい思い出なんてひとつもない。


あいつらに見つかるわけにはいかない。こんな場所で再会なんて、冗談じゃない!


瓦礫の陰からそっと様子をうかがうと、2人組は何やら大きな箱を台車に乗せて押していた。その様子にぞっとしつつ、あたしはさらに身を隠す体勢を取る。


彼らは台車に長い箱のようなものを乗せて運んでいる。あたしの鼻は少しだけ、あの箱から妙な匂いを嗅ぎ取ったけど、深く気にしないことにした。人間のやることに首を突っ込むと、ろくなことがないのは分かってる。


「にぃに……ほんとうに山イク?」


低い声でつぶやくように尋ねた背の高い男に、すぐさま短気な叱咤が飛ぶ。


「ぼく、山いきたくない……」


背の高い男が弱々しく呟いた。だが、すぐさま背の低い男の声が荒々しく響く。


「オイ!ブルート!!センペル様のご依頼だぞ!ワガママを言うな!」


叱られた背の高い男は肩をすくめるだけで、何も言い返さない。

一方で、背の低い男は苛立った様子で箱の蓋を閉じようと力任せに叩きつける。ガタン!と乱暴な音が響くが、どうにも閉まりきらない。


「なんだ!?これは!!」


苛立ちを爆発させた男は蓋を押し開け、内側を覗き込んだ。引っかかりの原因を見つけると、指で摘み上げて外に出す。


「……ネックレス? くそ!石も金属も付いていない!こんな金にもならないガラクタがオレ様の手を煩わせやがって!」


その言葉を吐き捨てると同時に、男はネックレスを力任せに放り投げた。錆びた鎖のようなものが宙を舞い、偶然にもあたしの足元までコロコロと転がってきた。


嫌な匂いはこれのせいか――そう直感したあたしは、慎重に鼻を近づけた。しかし、その瞬間、そばにいた老馬のトロントが体を寄せてきて、脇腹を軽く突いてくる。


「……なんだよ、トロント?」


トロントは鼻を鳴らして、ネックレスから遠ざけるように促しているようだった。ただの古いガラクタにしては、どうも妙な気配を感じる。


「なによ?飾りの方を口に入れるなって?」


あたしがそう言うと、老馬のトロントは返事をするように頷いた。本当に変なやつだ。


このトロントという馬は、あの男か女か分からない奇妙な人間が連れている馬だった。神明の加護を受けて人間と仕事をしているらしいが、馬にしてはどうにも鈍臭い。なのに、食べる量と寝る時間だけは一丁前だ。


こんなやつが野生にいたら、クマやオオカミに襲われてあっという間に喰われてしまうだろう。だから、あたしがしっかり見てやらないといけない。


まぁ、そんなトロントの鈍臭いところも、嫌いじゃないんだけどね。


視線を少しずつ動かすと、2人組の男が台車を引いているのが見えた。荷物を運び終わったらしい。ノロノロと、芋虫のように動き始めていた。


「さぁ、急げブルート。センペル様がお待ちだ。オレらぁこれからイーグリス鉱山まで行かなければなんねぇんだ。ワガママを言っている暇はないぞ」


イーグリス鉱山!?


その言葉を耳にした瞬間、あたしの中で緊張と電撃が走った。それは、あたしの故郷の名だった。イーグリス鉱山――あたしの母親が番人をしている場所。あたしが今、どうしても葬儀屋を連れて、そして弔ってもらわなければならない場所でもある。


その言葉が、あたしの頭に強く響いた。


そして、あの葬儀屋の男女を連れて行かなくてはならない場所だ――あたしの家族を弔ってもらうために。


奇しくも、あたしはその2人組と同じ行き先を目指すことになる。だが、どうやってその男女を山へと導くのか?


あたしは思わず足元を見つめる。すると、先ほどあの2人組の狩猟犬が投げ捨てたネックレスが転がっているのが見えた。


あれだ――あの男女の匂いのするものだ。


ふと、閃く。


「コレを……使うべきだな。」


あたしは小さく唸りながら、それを足元から拾い上げた。山に向かわせるための道具――これをダシにしてあの男女を動かすことができるだろうか?


あたしの頭は一瞬でフル回転する。

このネックレスを咥えてあの男女を山まで誘い出すのだ!よし。アイデアは悪くない。


あの男女をイーグリス鉱山に連れて行けば、母親を弔わせられる。そして、ヴァルにも再会できるかもしれない。あたしの大事な家族を、あいつに弔わせるためには……あたしには、もう選択肢はない。


「トロント。行くよ。」


静かに、しかし確固たる決意を込めて、あたしは言った。


ネックレスの紐部分をそっと咥え、そのままそっと身を翻す。狩人たちの注意を引かないよう、息をひそめて足音を忍ばせながら、あたしは瓦礫の間を抜け出した。


トロントが不安げに鼻を鳴らした。


その音が少しでもあたしの決心を揺さぶればと思ったが、やっぱり、振り返ってその大きな馬の目を見ると、観念したようにトロントも歩き出した。


ポクポクと、その鈍い足音を響かせながら、まるであたしを追ってきているようだった。


(ごめんね、トロント。でも今はアンタにかまってやる時間はないんだ)


心の中で呟く。

あたしがしていることが正解かどうかもわからなかった。それでも、あたしにはやらなければならないことがあるのだ。


◇◆◇◆


「まず……冷静になって、起こった出来事を整理しようぜ」


ロッソは長い鼻を掻きながら、そう言った。


「ここに繋がる扉を開けられるのはヴァルとオレだけだ。だが、もう一人、扉を開けられるヤツがいる。貸家魔女だ」


「貸家魔女?」


「ああ。時空の歪みやすい土地で、魔法を使って扉を繋げる商売をしているんだ。扉は任意の場所に繋げられる。」


バッシュは、ポトロが作った転移を可能にする鏡を思い出した。鏡と扉は物体としては異なるが、同じ作用を持つものらしい。


「この扉には、その女の魔法が掛かっている。貸家魔女なら可能だろう。だが、あれは基本的には南の王国に近い街にいたはずだ。こんな街にいるなんて…」

「貸家魔女…」


ヴァルはその名を呟くと、頭の中に覚えのない記憶が浮かんできた。その瞬間、彼は自分の魂が半分になっていることに気がついた。


「その女、いた」

「はぁ?」

「以前、巌窟街で見覚えのある顔を見かけて、そこを訪ねたことがある。その時、確か…」

「はぁ〜〜…!」

「話をした気がする…」


思い出せる記憶はそこまでで、それ以降は何も思い出せなかった。


「そんなの確定だろう!?真っ黒じゃねーか!」ロッソは叫んだ。

「でも、なんでこのタイミングで貸家魔女は扉を開けたんだ?ソイツならいつでも扉を開けられたんだろう?」


バッシュが問うとロッソは腕を組んだ。


「まぁ……扉はずっとオレの家にあったし、街が崩落する混乱を狙ってたんだろう?」

「そもそも貸家魔女が、その、アナスタシアって人になんの用があるっていうんだよ。しかも……その人は」


死んでいるんだろう?と、言葉が浮かんできたがそれをバッシュは言う前に飲み込んだ。

ちらりとヴァルの様子を伺う。ヴァルの手には淡く光るリヒトが乗っかっていた。それをぼんやりと見ているようだったが、やがてバッシュは異変に気がつく。


ちらりとヴァルの様子を伺う。ヴァルの手には淡く光るリヒトが乗っかっていた。それをぼんやりと見つめているようだったが、やがてバッシュは異変に気がつく。


「……?おい。リヒトどうしたんだよ?」


リヒトはただ、淡く光りながら、ヴァルの手のひらに乗ったまま、何も言わなかった。


「なんだよ。リヒト、どうしたんだよ?」


バッシュは不安そうにその光を見つめた。


「それが神命の梯子ってやつか?ふふーん……」ロッソは少し口元を歪め、興味深げに見つめた。


「なんか言えよ……?いつもみたいにさ」


バッシュのその言葉はただの驚きでなく、どこか恐れが混じりはじめていた。嫌な予感がする。それを悟ったヴァルが言葉を紡いだ。


「……もう、リヒトは話さない」

「な、なんでだ!?」

「リヒトと過ごしたオレの時間の大半はもう片方の魂にあった。それが失われたんだ」


バッシュはエルフの森で出会ったシュヴァイツァーの神明の梯子を思い出した。シュヴァイツァーの梯子は一つも言葉を話さなかった。話すまでには長い時間を必要とする──。

ヴァルの魂の欠片が失われた今、リヒトもまたそのような存在になったのか。


バッシュはエルフの森で出会ったシュヴァイツァーの神明の梯子を思い出した。シュヴァイツァーの梯子は一度も言葉を発しなかった。話すまでには、長い時間を必要とする──。


ヴァルの魂の欠片が失われた今、リヒトもまた、そのような存在になったのだ。


その後、バッシュはリヒトと話すことができなくなったことに呆然とする。リヒトと交わした最後の言葉が何だったのか、バッシュはすぐには思い出せなかった。あまりにも別れは突然で、心の中でその瞬間を整理することができなかった。


バッシュはヴァルがその出来事をあまりにも自然に受け入れているのを見て、胸の中で怒りが湧き上がる。どうしてそんなに冷静でいられるんだ?リヒトのことを失ったのに、どうして平然としていられるんだ?


「お前……」


バッシュは言葉をつかみかね、思わずヴァルの肩を強く掴んだ。


「お前、リヒトのことをなんとも思ってないのか?」


ヴァルは一瞬、バッシュの手に気づいたが、顔色ひとつ変えずに静かに見つめ返した。その姿に、バッシュの怒りはさらに燃え上がった。


「どうしてそんなに簡単に受け入れられるんだよ?お前にとってリヒトは、ただの使い捨ての道具だったのか?」


その言葉は、バッシュ自身も思ってもみなかったものだった。心の中で渦巻く感情をどう処理すればいいのか分からず、言葉が勝手に口をついて出た。ただ、怒りの行き場を失っただけだった。


「……ああ、そうだ。お前には分からないよな」


バッシュは自嘲気味に呟いた。手を放すと、すぐに後悔の念が湧いてきたが、口を閉ざしたままだった。


ヴァルはゆっくりと口を開いた。

「……リヒトは、神明の遣わしたものだ。」


その言葉には、どこか遠くを見るような静けさがあった。


「リヒトには、そもそも人格なんてない。あれは……ただ、葬儀を執り行うための力を人間に付与する存在だ。」


ヴァルは一瞬言葉を切り、手のひらに残る淡い光をじっと見つめた。


「それなのに、俺の元についたせいで……本来の姿から遠く離れてしまったのかもしれない。」


その声には、わずかな後悔の色が滲んでいた。


なんだよそれ……」


バッシュの声は震えていた。自分の感情がぐちゃぐちゃになっていくのをどうすることもできない。怒り、悲しみ、無力感――それらが混ざり合い、どこにぶつければいいのかも分からなかった。


ヴァルは俯いたまま、何も言わない。その静けさが、余計にバッシュの胸を締め付けた。


「くそ……!」


バッシュは拳を握りしめたが、それ以上何もできなかった。2人の行き場のない感情の渦の中で、ロッソは長いため息を吐いた。そして、少し皮肉っぽく口を開いた。


「揉めてるところ悪いが、結局どーするんだ?アナスタシアの体を奪ったやつのことを知っているのは貸家魔女だけだろう。この街にまだいれば良いが……」


ヴァルは無言のまま洞窟をぐるりと一周した。

中央には大量の氷と溶け出した水が洞窟の地面を濡らしていた。


そこには、かつて何か重々しいものが横たわっていたことを物語る、くっきりとした跡があった。湿った土が押し固められた四角い形状が地面に浮かび、周囲には微かな引きずった跡――運び去られた証が続いている。それが棺だとバッシュが直感的に思いついた時には、ヴァルはすでに扉の方へ向かっていた。


やはり、轍の跡を追い、アナスタシアの行方を探すつもりなのだろう。その背中を見た瞬間、なぜか以前よりもずっと小さく見えてしまった。

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