破滅の先に
6-15
ヴァルが教会に戻る頃には、夜の闇に包まれた街を鮮やかな赤い炎が照らし出していた。宮殿の方向からは、燃え盛る炎と崩れ落ちる瓦礫の音が遠くまで響いている。煙は空高く昇り、雨上がりの空に浮かんだ月を遮っているようだった。
教会の前には数人の僧兵が集まり、驚愕の面持ちで火の手の上がる宮殿を指差していた。何が起きているのか理解できない様子で、彼らは声を上げることもなく立ち尽くしている。
その時、暗闇の中から現れた人影が一人。ゆっくりと近づくその姿が月明かりに浮かび上がると、彼らは息を飲んだ。
ヴァルだった。
彼の衣服には戦いの痕跡が刻まれ、肩から滴る血と煤の匂いが夜風に乗って漂ってくる。まるで闇そのものから生還したかのようなその姿に、僧兵たちは言葉を失った。彼の歩みには迷いもなければ、恐れもない。ただ真っ直ぐに教会の門を目指して進んでいる。
教会の門をくぐると、そこには顔見知りの僧兵が立っていた。彼はヴァルの姿を見た瞬間、一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐにそれを隠し、神妙な顔つきで立ち尽くしていた。彼もまた、ヴァルに何が起きたのかを尋ねる勇気を持てない一人だった。
ヴァルは歩みを緩めることなく、無造作に僧兵へ声をかけた。
「……馬を用意してくれないか」
その一言は低く、冷たい響きで、拒否を許さない圧を帯びていた。 僧兵の一人がわずかに手を伸ばし、声をかけようとしたが、その目がヴァルの冷たく鋭い瞳と交わった瞬間、言葉は喉の奥で消えた。どの僧兵も、その場から動こうとしない。彼らには分かっていた。今のヴァルを止めることなどできないと。
ヴァルは一瞥もくれずに教会の階段を上り、扉の向こうへと姿を消した。背後では僧兵たちが何かを囁き合っているが、それはもう彼の耳には届かなかった。
教会の中に足を踏み入れると、外の騒がしさが一気に遠のき、冷たい静寂が彼を包み込んだ。ヴァルの目の奥にはただ一つの目的――アナスタシアの元へ帰るという決意だけが灯っていた。
ヴァルがアナスタシアの寝室に足を踏み入れると、穏やかな香油の香りが漂い、死の穢れを寄せ付けぬよう焚かれたその香りが部屋全体に漂っていた。アナスタシアの顔は穏やかで、眠るようにベッドに横たわっていた。
ヴァルがその顔を見つめながら、呟いた。
「帰ったよ、アナスタシア」
その瞬間、扉の向こうから怒声が飛んだ。
「お前が……お前が聖女様を追い詰めたんだ!!」
侍女の声は怒りに満ちており、すでに涙と憤りが混ざり合っていた。
「一体何をしたの?どれほどの罪を背負えばいいと思っているの!お前のような者が……!」
その言葉に続いて、扉を挟んだ向こう側で、侍女がさらに強い調子で罵倒した。
「……悪魔め!お前は……悪魔だ!!」
その叫びが空気を引き裂き、部屋の緊張が高まる。侍女の怒りはもはや制御できず、わなわなと震えた。
しかし、顔に見覚えのある僧兵が無言で侍女の肩を叩いた。その重い力が、彼女の動きを止める。侍女の体が萎え、泣き声が小さくなる。
そのやり取りを見ながら、ヴァルは心の中で静かに呟いた。
(アナスタシアのためなら……悪魔にでもなれるさ)
その言葉は彼の心の奥深くに染み込んだ。自身の心がどれほど闇に囚われ、どれほど罪を背負っても構わない――彼の中には、ただ一人の女性のために力を捧げる決意が揺るぎなく存在していた。
彼女を守るためなら、どんな存在にも変わることを厭わない――それが彼の信念であり、恐怖や後悔を超えた真実だった。
「……帰ったよ、アナスタシア」
ヴァルの声はもう一度、静かに、そして確かに部屋に響いた。