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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第6章 エコーズ・オブ・パスト
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奇跡の代償

「どうしてあんなモノをオレに見せた……!」


ヴァルの声は怒りで低く震えていた。


「いや、ただ少し趣向を変えてみたくてね」


センペルはそう言うと、ハンカチでメガネを丁寧に拭き始めた。血飛沫がかかっていることさえ、彼にとっては些細なことのようだ。


「いつもはさ、嫌がる奴隷を無理やり殺したり、アレしたりこれしたりして薬を飲ませているだろう?

やっぱり自分の置かれている状況を正しく開示して納得してもらった方が良い結果が出るのかもしれないと思ってね」


軽い口調で言いながらも、その声には冷徹な響きがあった。


「今回は対象の状態を変えてみたらどうなるか、実験したくなったんだよ。進歩には挑戦が必要だからね」


ヴァルは歯を食いしばりながら睨みつけた。


「こんなこと……許されるはずがない」

「そうかな?」


センペルは首を傾げて微笑んだ。


「お父様の許可はちゃんと得ているよ。だから、これは合法なんだ」


彼は一歩ヴァルに近づき、親しげな笑顔を浮かべながら囁くように言った。


「どうだろう?君がこの薬を飲んで成功すれば、貴族……いや、上手くいけば王族と並ぶ地位を与えられると思うだ!なんたって……」

「……地位だと?そんなものに興味はない」


ヴァルは低く答えたが、その言葉の裏で心が揺れるのを感じた。頭の片隅に、倉庫で笑うアナスタシアの姿が浮かんで消える。


「あれ?なんかボクが思い描いていた展開と違うな……」


センペルは意外そうな顔をして驚いた。


「どうして!こんなに良い話は他にはないよ!」

「良い話とは……とても思えない。お前、おかしいぞ」

「そうだよ!」


センペルは大げさに手を広げ、楽しげに笑った。その様子はまるで、狂気の塊が形を取ったかのようだった。


「ボクはおかしい!普通の人間じゃない!でも、それがどうした?この世で『普通』なんてものに何の価値があるっていうんだい?」


ヴァルはセンペルの声に含まれた歪んだ熱を感じ、眉をひそめた。その軽薄な口調の裏に潜む冷酷さが、なおさら胸を掻き乱す。


ヴァルの瞳が揺れるのを見て、センペルは薄笑いを浮かべた。その笑みは、心の奥底をえぐるような冷酷さに満ちていた。


「……アナスタシアのことを考えてるんだろう?」


突然名前を出され、ヴァルの胸がざわつく。センペルの口調は、悪意がありながらもどこか親しげで、そのギャップが不気味さを増幅させた。


「……何が言いたい?」


ヴァルは低く問い返したが、胸の内にわずかな動揺が広がる。


「ただの興味さ。あの子、とても良い笑顔だったね。キミもそう思うだろう?」


センペルは愉快そうに肩をすくめ、小瓶を指先で回す。その仕草一つ一つがヴァルの神経を逆なでする。


「でも、ちょっと残念な話があるんだ――どうやら、彼女の“力”はもうほとんど残っていないみたいだね。見たよ、彼女の手……」


ヴァルの目がわずかに見開かれる。


「可哀想に。傷ついた皮膚がね、もう治らなくなってる。まるで枯れた木みたいに、細胞が乾いてるんだ。力を使いすぎたのか、それとも……」


センペルは楽しそうに口元を歪めた。


「キミのせいなのかな?」

「……何を言ってる?」


ヴァルの声は低く、だがその裏には怒りが見え隠れしていた。

センペルはその言葉を重ねるたびに、冷たく笑った。その笑いには、嘲笑と共に鋭い洞察が宿っているようだった。彼の目はヴァルをじっと見つめ、言葉の刃をさらに深く突き刺そうとしている。


「ねえ、ヴァル。キミは彼女を守りたいんじゃないのかい?でも、その力を奪ったのは……他でもないキミ自身なんだ。」


ヴァルはその言葉に一瞬、反応できずに立ちすくんだ。頭の中が真っ白になり、何かを言おうとして口を開いたものの、言葉が途切れてしまった。心臓が速いペースで鼓動し、冷や汗が背中を伝った。


「は……?」

「よく考えてみたまえ。あの手からなんでも溢れ出せる“奇跡”の仕組みさ。どうなっているんだろうとは思わないのか?」


センペルの声は、まるで毒を含んだ風が吹くようにヴァルの耳を刺した。ヴァルはその言葉が何を意味しているのかを理解しようとして脳内を整理したが、その瞬間、言葉が絡まり合い、真実に辿り着けない。


「恐らく、ボクの見立てではあれは奇跡ではない……未来からの前借りに過ぎない。」


その言葉が、ヴァルの心の中で何度も反響した。


未来からの前借り。


それが意味するものが何なのか、ヴァルは恐怖を感じた。アナスタシアの手から生み出される「奇跡」が、何らかの未来から流れ込んできたものだったという可能性。その思考が、彼の胸を締め付けた。


「前借り……?そんなこと……」

「興味深いことに、彼女の力が発現して以来、この地の田畑では不自然な異変が起きている。農民たちが怒るのも無理はないね。」


ヴァルの声がかすれた。目には迷いが浮かんでいた。その迷いは、アナスタシアを守りたいという気持ちと、その力を失わせたことへの罪悪感が生まれせめぎ合いだった。

センペルはその反応を見逃さず、さらに言葉を続ける。


「キミが彼女を守りたくても、その力の仕組みをキミ自身が破壊してしまったんだよ。あの能力が未来からのものなら、キミの行動がその未来を歪ませる結果を招く。キミが選択を誤れば、彼女の存在そのものが崩壊する。」


センペルの言葉は、ヴァルの心に鈍く響いた。彼はこれまでアナスタシアを守るために行動してきた。しかし、センペルが指摘するように、その守りが結果的にアナスタシアを破滅させる一因となっている可能性がある。その考えに恐怖が押し寄せた。


「お前は、何を言ってるんだ……?」


ヴァルは声を絞るようにして尋ねた。その声には、明らかな動揺が滲んでいる。センペルの言葉が、彼の中で真実として揺らぎ始めていた。


「もっと簡単に言おう。ヴァルとアナスタシア。キミ達が出会ったことで未来の歪みを生み出してしまったからだ。そのため、アナスタシアの能力は枯渇し、力を失いつつある。」


センペルの言葉は、刃のようにヴァルの胸を貫いた。その瞬間、ヴァルは自分がこれまで行ってきた行動、アナスタシアの力に頼ってきたことが、実は破滅の一歩だったことを理解し始めた。その事実は、彼の心を絶望に追い込んだ。


「それが……奇跡の正体、だと……?」


ヴァルが震える声で言った。その声には、迷いや後悔が色濃く滲んでいた。センペルは一瞬だけ笑みを浮かべ、皮肉めいた表情を浮かべた。


「そうであれば、この国は君をアナスタシアのそばに置いておくわけにはいかなくなるだろうなぁ。」


言葉を残して、センペルはその場を離れた。


ヴァルの胸には、真実と疑念が交錯し、頭の中に不安が渦巻いた。アナスタシアの存在、彼女の能力、そしてその力の正体。すべてが不明瞭な霧の中に包まれた。


ヴァルは立ち尽くし、心の中で何度もその言葉を反芻した。彼の心は揺れ、迷いが膨れ上がる。この後に及んで、自分はまだアナスタシアのそばにいたいと心から思った。


「どうしたらアナスタシアのそばにいられるか考えているのかい?」


答えはまだ見えなかった。ただ、彼の心はその選択を迫られ、冷たく、重い未来へと向かっているようだった。


「いや、なに簡単なことだよ。ヴァル=キュリア君」


再びセンペルは小瓶を取り出し、わずかに光を宿す液体をヴァルの方へと向けた。


「今のまま何もしなければ、いずれアナスタシアの奇跡の力は枯渇してしまう。」


センペルはゆっくりと、ヴァルの目をじっと見つめながら言った。


「どうだろう?ボクが作ったこの薬を飲んでみたらどうだい?上手くいけばあの兵士たちのように強靭で、永遠の力を手に入れることができる。」


彼の声には、あたかも未来を約束するかのような冷徹さが漂っていた。


「そうすれば、彼女との未来を守る道も拓ける。」


センペルは少し間を置いてから続ける。


「薬の力で彼女を守り、そして君自身も生きながられえる。どちらが良いか、簡単な選択だとは思わないか?」


ヴァルの心の中で、怒りと恐れが交錯する。だがその一方で、センペルの言葉に引き寄せられる何かがあった。あの兵士たちのように、力を手に入れれば……アナスタシアをあらゆるものから守れるかもしれない。


「魅力的だとは思わないか?」


センペルは挑発的に微笑んだ。

その言葉には、底知れぬ計略と冷徹さが滲んでいる。センペルの口元には、あくまで笑みを浮かべながらも、どこか「悪魔的」な印象があった。それがとても嫌だった。


「ボクはね、親切で言っているんだよ、ヴァル君」と彼は声を低くし、まるで暗い契約を取り交わすかのように言い放った。


その声には、陰湿な冷酷さが滲んでいた。センペルの目は、ヴァルをじっと見つめ、まるで彼の心を読むかのようだった。


ヴァルは気持ちを落ち着かせるように深呼吸し、テーブルの上に無造作に置かれた肉切り包丁に手を伸ばした。手のひらに包丁の冷たい感触が伝わる。


一瞬の躊躇もなく、ヴァルは包丁を力強く振り上げた。


「……オレ達に構うのはやめろ」


包丁が鋭い軌道を描き、鈍い音を立てて木製のテーブルを貫通した。テーブルの一部が真っ二つに裂け、破片が飛び散る。


「おや……交渉決裂かな」


センペルは予想外ではないとでも言わんばかりに、残念そうに首を横に振った。


その瞬間、ヴァルの背後には、はち切れんばかりの殺意を漲らせた兵士たちが、威圧的に一歩前へと踏み出してきた。彼らの目は血走り、武器を握る手には確かな殺意が満ちている。


「丁重にお見送りしなさい」


センペルの声は冷静で、しかしどこかのっぺりとした威圧感があった。彼の指示を受け、兵士たちは一斉にヴァルへと圧力をかけるべく動き出す。


そして、センペルはにっこりと冷笑を浮かべると、最後に小さな声でこう付け加えた。


「……困ったことがあれば、いつでも頼ってくださいね」


その言葉は、冷たい陰りを含んだ一種の約束のようであり、脅しのようにも聞こえた。

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