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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第6章 エコーズ・オブ・パスト
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永遠を作る者

奴隷兵舎と教会と倉庫の往復の日々が続き、ヴァルはふと、この日常がずっと続けばいいのにと思うようになった。


穏やかで、何も特別なことのない日々。


だが、それがどこか心地よく、彼にとっては安らぎそのものだった。


アナスタシアの手から漂う穀物の匂い。

細やかな話をする彼女の姿に、ヴァルはいつの間にか心が寄り添っていた。

穏やかな日常と彼女の小さな仕草、その全てが、どこか遠くの痛みや過去を遠ざけてくれた気がした。


暖かな光が差し込む時間の中で、ヴァルは心の底に、ふと願いを抱いた。何も変わらず、この日々がずっと続いてほしい――その小さな願いを胸の奥にしまったまま、ヴァルの足音が廊下の冷たい石畳を響かせた。


どうして自分はこんなところにいるんだろう?と、ヴァルはぼんやりと思った。


ここは宮殿の奥まった場所にあり、その先に進むほど、空気は粘り気を帯び、不安を煽るような何かが漂っていた。


隠しようのない、不穏な気配。

ヴァルは無意識のうちに背中を震わせ、周囲を警戒した。廊下に漂うのは、湿っぽく、生々しい……生き物の血の匂いだ。その匂いは息をするたびに鼻腔を突き、喉元でひやりとした恐怖が息づいた。


何があったのか。誰の血なのか。答えはわからない。だが、心の奥に冷たい不安が灯る。この場所に続くほど、ヴァルの心の中で迷いと恐怖が増幅していった。


足が止まった。両脇には屈強な兵士が立ち、ヴァルをただじっと見つめていた。その顔には感情が表れていないが、圧倒的な威圧感が漂っていた。彼らはヴァルの動きに細心の注意を払いながら、その存在そのものが逃げる余地を消しているかのようだった。視線の端々からは、「逃げるな」という意思がにじみ出ている。


喉の奥には、帰りたいという言葉が詰まっていた。


できることなら、何よりもアナスタシアのいる倉庫に戻りたかった。


穏やかな時間と、彼女の穀物の香り、何気ない話が心を救ってくれたあの場所に戻りたかった。しかし、兵士たちはその一歩すら許さないように立ちはだかり、彼らの背中には戦場のような冷徹な強さが満ちていた。


廊下の冷たい空気が肌を刺し、光が揺れて兵士たちの鎧が不気味に輝く。その存在感がヴァルの心を押し潰すように迫ってくる。逃げることはできない。逃げたとしても、その先には未知の暗闇だけが待っている。思考が止まる。足元の石畳が濡れているかのような冷たさに、ヴァルは身を硬直させた。


「あー!来てくれたのー?いやぁ、悪いねぇ。

宮殿なんかに呼び出しちゃって。」


弾けるような明るい青年の声。その笑顔には純粋さや友好が感じられたはずなのに、その背景には鮮血が飛び散っていた。ヴァルは目を見開き、凍りついた。青年の手には、血に染まった肉切り包丁が握られており、その刃はまだかすかに滴る血で赤く輝いている。


何をしているんだ?コイツは?


その疑問がヴァルの頭を駆け巡る。青年の顔には、まるで無邪気な子供のような笑みが浮かんでいる。しかし、その笑みの奥に何か邪悪な意図や狂気が見え隠れしているようだった。


「やっと来てくれたんだね。楽しみだなぁ」


青年の言葉が続く。その口調には、明るさや陽気さが見て取れたが、それが無邪気ではなく、不気味な輝きを帯びている。ヴァルは全身が震えた。何かが始まろうとしている。この青年が何をしているのか、何を考えているのか、どうすればいいのか——その答えが見えない。


青年の顔がじわりと近づいてくる。笑みが不自然に歪んだように見えた。その瞬間、ヴァルの心に、逃げるべきか、立ち向かうべきか、何かを選ばなければならない予感が走った。


「キミにね、見てもらいたいものがあるんだ」


青年は手元の肉切り包丁を置くと、手に嵌めた革の手袋を引っ張って取ると、無造作に小瓶を手にした。


「ふふ。あの晩に見たモノの正体を知りたいでしょ〜?」


青年が楽しげに手を叩くと、扉の向こうから重い足音が響いた。鎧をまとった大柄な男が、鎖で繋がれた痩せた姿の奴隷を引き連れて現れた。奴隷の顔には疲労と恐怖が滲んでおり、目が虚ろになっている。


大男は奴隷を青年の前に押し出すと、無言のまま立ち止まった。青年は手に持っていた小瓶を取り出し、キラリと光る液体が透けるそれを奴隷に向けた。


「さぁ、飲んでみようか?ふふふ……」


青年の声は陽気で、どこか楽しげだった。その表情には一片の憐れみもなく、血の気が滲んだ笑みが浮かんでいる。


奴隷は怯え、身体を引こうとしたが、大男の鎖がその動きを阻んだ。青年は穏やかな手つきで小瓶を開けると、恐る恐る奴隷の口元へと近づけた。


「さあ、おいで?」


青年の言葉が微かな唇から漏れると、奴隷の息が浅くなる。小瓶からは青白い煙が立ち上り、鋭い薬品の匂いが漂った。その匂いに、奴隷の顔色が一瞬変わる。


そして、青年はゆっくりと、小瓶を奴隷の口元に注ぎ込んだ。液体が奴隷の唇を通り、喉へと流れ込んだ。


「美味しいだろう?美味しいよねえ」


青年が愉悦感を含んだ笑みを浮かべる中、奴隷の顔色がさらに変わり、身体が強張った。

その瞬間、何かが変わったように、奴隷の目がわずかに輝いた。生きる気力が再び呼び起こされたかのような、激しい反応が現れた。


青年が手にした小瓶を片手に、目を細めながら言った。


「さあ、これから何が起きるか……楽しみだろう?」


大男は冷酷な表情で静かに立っており、その存在だけで場の雰囲気がさらに重くなった。


奴隷の身体が小瓶の液体を飲み干した後、瞬く間に肉体が完全な復活を遂げた。まるで死を乗り越えたかのように、顔色が戻り、呼吸が落ち着いていく。


「はっ、い……生きている……!」


奴隷は驚きと歓喜の表情を浮かべ、自分の手を見つめた。


しかし、その喜びは長くは続かなかった。


ふっと、突然、何かが支配するかのように奴隷の腕が動き出した。奴隷が慌てて自分の腕を見ようとする間もなく、その手が自身の首へと伸びる。


「なに!? なんだ……!?」


奴隷の声が困惑と恐怖に揺れたが、身体は自分の意思を超えて動き続けた。腕は力強く首を掴み、抵抗することなく締め上げる。何か不可思議な力が、奴隷の肉体を支配しているのだ。


「やめろ……!やめてくれ……!」


叫び声を上げる間もなく、首にかかる圧迫が増し、首の骨が折れる「パキッ」という鈍い音が響いた。


奴隷の目が恐怖に揺れている。何が起きているのか、理解する間もなく、全身が支配されていた。その瞬間、彼の自由は完全に奪われ、彼はただ、力に抗えない苦痛だけを味わっていた。


青年が静かに笑う。


「ふふ……驚いた?大抵のコはいつもこうなっちゃうんだよねぇ。」

「なんだ!?なにがおきた、お前は、なんなんだ…!」


ヴァルの声がかすかに震えた。影の中から、ゆっくりと青年の姿が浮かび上がる。青年の目は冷酷で、どこか不気味なほどの楽しさを湛えている。


「ボク?ふふ」


青年は軽く笑った。


「ボクの名前はセンペル。セラヴィード・センペル。そうだなぁ……永遠を作る者かなぁ?。」


その言葉が冷たく、重たく空気を震わせる。言葉の一つ一つが、ヴァルの心の奥に恐怖を根付かせるようだった。「永遠を作る者」という言葉が意味するものは何なのか、ヴァルには想像もつかず、身体が硬直した。


センペルの目には真っ暗な光が宿り、その笑みは何か不吉な未来を予告しているようだった。

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