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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第6章 エコーズ・オブ・パスト
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冷笑の来訪者

倉庫の中では驚くほど穏やかな時間が流れていた。

外の世界でどれだけ荒波が押し寄せようと、この膨れた穀物の袋に囲まれた空間には、一瞬の静寂が息づいているようだった。


だが、この袋の中身すべてが戦争の前線へと運ばれていく未来を想像すると、その静けさはかえって不気味にも思えた。


アナスタシアは袋の一つにそっと手を置く。その手が触れた瞬間、袋の中身が目に見えて膨れ上がっていく。小麦、米、野菜、果物――彼女の手の中に収まるものなら何でも増やせる。その能力がどういう原理で動いているのか、ヴァルにはまるで理解できなかった。ただ、その奇跡を目の当たりにしながらも、心に浮かぶのは感嘆よりも別の感情だった。


アナスタシアは静かに額の汗を拭う。その表情にはわずかに苦痛がにじんでいる。これほどの能力を使う代償は、想像以上に大きいのかもしれない。

ヴァルは彼女に目を向けると、自分の腕をギュッと握った。そこには、つい先日アナスタシアが癒した傷跡が残っている。すでに痛みも痕も消え失せているが、記憶はまだ新しい。


「あれはただ便利なものではなくて命を削っているのかもしれないな……」


ヴァルは心の中でそうつぶやいたが、言葉にはしなかった。


ヴァルとは反対にアナスタシアは話すことが好きだった。

倉庫の中、ぱんぱんに膨れた穀物の袋に囲まれた空間で、彼女は次々と話題を変えながら、楽しげに語り続けていた。


「ねえ、ヴァル。この前教会の庭で見た花の色、覚えてる?あの薄紫のやつ。名前はわからないけど、あなたの瞳の色に似ている色だったわ」


「ああ、それと、聞いてくれる?小さい頃、私ね、井戸に落ちかけたことがあるの。でもその時、不思議なことが起きたのよ――」


ヴァルは黙って彼女の言葉を聞いていた。彼女の話は特に結論があるわけでもなければ、壮大な物語でもない。それでも、どこか穏やかで、心に温かい灯火をともすような力があった。


ヴァルはアナスタシアの話を聴く代わりに返事はしなかった。やはり奴隷兵士の決められた規則には従わなくてはならない。しかし、自分が話さなければ良いのだ。勝手に話す分には、そう……話を聴くだけなら。


◇◆◇◆


日々は淡々と過ぎていった。ある日アナスタシアを教会に送り、ヴァルが奴隷兵舎の自室に戻ろうとすると部屋の扉が開いている。


「やあやあやあ。キミがヴァルくんだね!?」


予想外の声が響いた。扉の向こうには、すでに中に入って待っていた青年が立っていた。濃い緑色の上等な服を身にまとい、まだどこかあどけなさが残る顔つき。眼鏡をクイっと上げる仕草には、どこか知的な余裕が見て取れた。


「一度キミに会ってみたかったんだよ!勝手にお部屋で待たせてもらったけど、驚かせたら悪いね!」


青年の隣には、護衛役なのだろうか――ヴァルよりもずっと背が高く、鎧をまとった大柄な男が立っていた。鉄格子のような兜が顔を覆い、その顔立ちは見えない。ただ、時折、荒い呼吸が「プシュー」と漏れている。


その男の存在感は圧倒的だった。ヴァルは緊張の余韻を残しながら、その二人に視線を向けた。青年の胸元に王国の紋様をあしらったブローチを見つけて、ヴァルはその場で膝を降り傅いた。王国の紋様を身につけて良いのは、王国直系親族以外に他ならなかったからだ。


「やだぁ。やめてよ。ボクは確かに王族直系だけど、ずっと昔に継承権は放棄しているんだ」


だって、めんどくさいでしょ?そんなことボクは興味ないし。青年は無邪気にそういうとヴァルのそばに立った。


「顔を見せてよ。……ボクの可愛い人形たちを壊したのはキミだろう?」


青年の言葉は不気味に響き、ヴァルの心を冷たく揺さぶった。青年はじっとヴァルを見つめ、ゆっくりとその場に座ろうとした。その瞬間、鎧を着た大男が四つん這いになり、椅子の役割を果たした。


「ホラ!あの月のない日の晩のことだよ!」


青年の笑い声が、低く、不気味に揺れた。


「……!」


ヴァルの脳内に、あの晩のことが鮮明に蘇った。冷たく、暗く、不吉な記憶が脳裏を走り、癒えたはずの腕の傷がじわじわと痛み始めた。


「ふふふ。思い出してくれたかな?」


青年の笑みには底知れない恐怖が滲んでいた。


「傷付ける気なんてなかったんだ!でもすこし……ホラ?キミたちは死を恐れない勇敢な兵士と聞いて……試してみたくなるだろう?」


その言葉は、ヴァルの胸の奥に静かに刺さった。青年の目には、興味と遊び心、そして確かな狂気が浮かんでいる。何を試されたのか――その考えが、胸の中で渦を巻いた。


ヴァルは冷や汗をかきながら、静かに剣を握る手に力を込めた。顔を上げると、青年の顔が正面に映った。その瞳には、明らかに人間を人間と思っていない冷酷さが浮かんでいた。


「ふふ。ロイスお兄様好みの綺麗な顔だね。まぁボクには人の美醜はわからないけど」


青年の声は甘く、歪んだ優雅さを含んでいた。その言葉が冷たくヴァルの胸を突き刺し、心拍数が上がった。


青年は余裕の表情を浮かべ、靴の先をゆっくりとヴァルの顎にかけた。冷たい革の感触がすぐに伝わり、ヴァルは自然と息を詰めた。


「どうかなぁ?お詫びにボクの宮殿にある研究室に来てよ。面白いモノをたくさん見せてあげるよ」


青年の口調には、友好的な誘いのような響きがあるが、その裏には冷徹な威圧が渦巻いていた。言葉の端々から感じる「招待」の意味が、ヴァルには脅迫のように聞こえた。


ヴァルは瞬時に選択肢を考えた。行けば危険だが、抵抗すれば――

青年の足元にある靴がじわじわと圧力を強め、ヴァルは息を殺した。


「キミが選ぶのはどっちかな?」


青年の声が、ヴァルの心に冷たく響いた。


物音が突如として扉の外から響いた。


「センペルさまぁ!」


その声と共に、扉が勢いよく押し開かれ、荒々しい足音が響いた。部屋の中へと飛び込んできたのは、屈強な体格に濃い皮の服を纏った男――奴隷商人のガルザックだった。


ガルザックの姿が部屋の中に入ると、空気が一気に引き締まる。鋭い目つきと無骨な体から漂う存在感が、ヴァルの心臓をさらに速く鼓動させた。


センペルは一瞬、顔をしかめた。何か不愉快な顔をしているが、すぐに表情を取り繕い、冷ややかな笑みを浮かべた。


「やぁ、ガルザックさん。お邪魔させていただいておりますよ」


その声には、皮肉めいた響きが隠れていた。


ガルザックはその笑みに一切動じず、厳しい眼差しでセンペルを見つめた。


「このような下賤の者どもの寝食の場にどのようなご用で……?」


ガルザックの言葉には明確な警戒心が滲んでいた。その直截的な問いに、センペルは楽しそうに肩を揺らし、軽い調子で答えた。


「はは。社会見学だよ」


その言葉に、ガルザックの顔が一瞬強張る。


「社会見学?」


「そう……宮殿の外には面白いことが色々あるんだよ。この場所で人々がどのように暮らしているか、実際に見て学ぶのも悪くないだろう?」


センペルの笑みは、不気味さを増しながらガルザックの不安を試すように揺れた。


センペルの笑みが一層不気味に歪んだ。彼の瞳には、何か冷徹な意図が宿っているようだった。


「良いモノを見させてもらったよ。じゃあ……またね、ヴァル=キュリアさん」


その言葉にヴァルは一瞬、背筋が凍るのを感じた。彼の声にはただの興味や好奇心だけではなく、何か底知れぬ力や策略が隠れている気がした。


センペルは一歩後退し、その優雅な姿勢のままガルザックと共に扉の向こうへと姿を消した。扉が閉じると、空気が重く、ひんやりとした静寂が部屋を支配した。


ガルザックは扉を見つめたまま、再びヴァルに視線を向ける。


「お前は……次から次へと厄介ごとを持ち込みおって!!」


突如、ガルザックの怒声がヴァルの耳に響いた。その怒りは凶暴で、抑えきれないほどの力を孕んでいた。ガルザックは無慈悲に手を振るい、ヴァルの腹部に強烈な一撃を見舞った。


「ぐっ!」


衝撃がヴァルの体を貫き、息が詰まる。腹から強烈な痛みが走り、視界が歪んだ。


ガルザックはすぐさまヴァルの肩を掴み、強引に彼を押し倒した。その大柄な体と鎧の重みが、ヴァルの身体にのしかかる。


「お前のような下賤の者が、勝手な真似をして面倒事を引き起こすのは許せんのだ!」


ガルザックの声は怒りに満ち、息を荒げながら、さらにヴァルを睨みつける。その鎧越しの威圧感が、ただの暴力ではなく、心理的な恐怖をもたらしていた。

ヴァルの視線は地面を見つめ、息を整えようとするが、ガルザックの圧迫感によりそれさえ難しい。


「お前のような輩には、厳しい教訓が必要だ……理解したか?」


その言葉が、ガルザックの怒りを表すように、さらに強い力で肩を掴んだ。


「わかったか?」


ヴァルの口がかすかに震えたが、何も言えない。ガルザックの怒りは容赦なく、ヴァルは久しい折檻の痛みにギュッと唇を噛み締めて耐え続けた。

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