夢の守人 真
「本日からRês3部隊Cに配属されました41629です。よろしくお願いします」
踵を鳴らして敬礼し、無感情に挨拶をした。
あれから、五年。
ソフィアや子供たちと共に検体となっていた二年を足して、既に私は十五になろうとしていた。
そんな私の敬礼に驚いたように目を丸くしていたのは、新たなRêsであるミサだった。
その年齢、わずか九つ。
今年誕生日を迎えれば十歳だそうだが、それは歴代最速でのRês昇格であり、既に彼女はRêsの中で三位の実力者となっている。
戦闘能力だけではなく、稀代の天才と呼ばれるほどの明晰な頭脳を評価されているようで、彼女には専用の研究室が用意されているという特別ぶり。
さぞ気難しいお子様なのだろう、とよそよそしく挨拶してみれば、その印象は全く異なるものだった。
「えっと……あなたは私のお付きになるとかいう、選抜戦士候補生?」
「はい。これから三か月ほどになりますが、お側で勉強させていただきます」
「それは私次第でしょ?最短の任期が三か月ってだけ。それで、名前は?」
「…41629です」
「名前を聞かれて出席番号を答える子供がいる?あなたの名前、教えて」
「戦士となった日に捨てました。我々は使い捨ての部品です。合わなければ再び調合し、摩耗し壊れるまで命令を全うするだけの歯車。検品用の番号だけで十分では?」
「それはシウバの言葉?私はシウバじゃないよ。あの人嫌いだし。命令しか聞けないって言うなら、これは命令。捨てた名前、私が拾ってあげるから、教えて」
変なことを言う人だった。
戦線では出会ったことのない、まっすぐな瞳。
その目に根負けするように、私は五年間口にしなかった言葉を手繰り寄せた。
「…………フェルトです」
「苗字は?」
「孤児でしたので、ありません」
「ふーん、そっか」
フェルト、フェルトね、と何度も反芻し、少女は嬉しそうに笑う。
「良い名前だね。これからよろしく、フェルトちゃん!」
フェルトちゃん、など、孤児院にいたころにも呼ばれたことがない。
だというのに、彼女はまるでそれが当たり前だとでも言うように、握手を求めた。
「…挨拶は、敬礼だと教わっています」
「あーもう、はいはい。これも命令です。さぁ、手、出して」
言われるがまま、おずおずと出した私の右手を、彼女はガッチリと握った。
「覚えておいてね。私の部隊じゃ、これが挨拶だから」
そう言って、ミサは楽しそうに笑った。
ミサは一言でいうと、変人だった。
Rêsの直属部隊など、どんな非道な作戦に駆り出されるのかと訝しでいたら、与えられる命令と言えば、やれご飯につれていくだの実験と称してポップコーンを作るだの、どれも滅茶苦茶なものばかりだった。
紅茶とケーキばかり食べる偏食家で、きゅうりしか挟まれていないサンドウィッチを美味しそうに頬張る姿は理解しがたいものがあった。
コケから作った『リトマス紙』とかいうものにレモンをかけて色が変わった日には大喜びし、最近は食べ物を腐らせない方法を研究している。
とても、私が知っている人類解放戦線の研究とは程遠い。
戦線は、いかに人を殺すか、そればかりだ。
だというのに、彼女はいかに人が生きて行けるようにするか、そればかり。
それも治療ではなく、疫学的な観点で。
不思議という一言で表すには、あまりに異質な人だった。
「…それで、隊長。今日は何ですか?こんな夜中に森を歩こう、なんて…そろそろ説明が必要では?」
私の前を歩くミサへ、勾配のある道を登りながら問う。
「いいからいいから!」
ご機嫌な彼女は、いつもこうだ。
説明、という論理的な工程を省きたがる癖がある。
彼女の中にある天才的なインスピレーションは、しかし彼女自身にも粒立てて解ってはいないのだろう。
黙って追従していると、次第に木々が閑散としていき、星空が目立ちだす。
さらに登っていった先には、展望台広場があった。
「到着です!どう?」
なるほど、確かに美しい眺めだった。
今宵は満月で、深い山々の葉擦れも相まって、心地の良い景色が広がっている。
「これを見るために、わざわざ?」
「その通り!人生には無駄が多い方が豊かなのさ!ほら、飲みなよフェルトちゃん」
そう言って彼女が投げてよこしたのは、『缶ビール』と呼ばれるアーティファクトだった。
「…これは、なんですか?」
「今日ね、エールを触媒にして抽出してみたの!そしたら、多分どっかの世界のお酒が召喚できた!二つあるからさ、一緒に飲も?」
「…飲めるのかどうかもわかりませんし、そもそも戦士にアルコールは御法度です」
「相変わらずお堅いなぁフェルトちゃんは。好奇心に従わなければ科学は発展しないよぉ?さ、これはめーれーです。一緒に飲むのです!」
と、一人でに缶を開け、ぐびぐびと飲み始めてしまう。
「うまっ!」
命令、と言われてしまえば戦士に拒否権はない。
仕方なく、講習で習った通りの缶の開け方を実践し、口に運ぶ。
人生で初めての、お酒だった。
「…ちょっと苦いけど…癖がなくて、おいしい」
孤児院にいたころ、ソフィアと一緒に大人が飲んでいるエールを舐めてみたことがある。
その味はもっと激烈で酸っぱく、とてもおいしいと呼べるものじゃなかった。
だがこれは、聖水のように透き通っていて、控えめな炭酸と苦み、そしてコクが深くまろやかで、気づけばあっという間に飲み干していた。
「すっかりお酒に嵌ったようだね?」
「…そうですね、これほどおいしいのなら、また規則違反を犯してもいいかもしれません」
「おお、酒の魔力恐ろしや。けど残念、これはアーティファクトだから、また飲めるのは当分先かな」
「残念です」
「けど今おいしかったのはきっと、二人で飲んだからだよ。エールでよかったら、また一緒に飲もうよ」
満月を逆光にして、ミサは笑う。
それがあまりに純真無垢で、聞かずにはいられなかった。
「…どうして、隊長は他のRêsとこうも違うのですか?」
「どうしてってそりゃあ……目指してるところが違うからじゃないかな」
「……どこを、目指しているのですか?」
「うーん…まぁ、フェルトちゃんにならいっか」
少し照れ臭そうに頬を掻いてから、ミサは顔を赤くして言った。
「私はね、みんなに、幸せになってほしいんだ」
「……え?」
「こう、ね?人類のためぇ、とか、戦争で勝って今度こそ本物の人権をぉ、みたいなのもいいけどさ…そんな事より、私は今戦線で暮らしてる子供たちや戦士のみんな、さらに世界中のみーんなが、幸せになれる道を探したいんだ」
照れちゃうなぁ、と自分を仰ぎながら話した内容は、私が予想していたものとは全く違った。
「それが…隊長の夢?」
「ゆ、夢っていうと大げさだけどさぁ…まぁ、そうなるかな?」
この世界には、飢餓やそれに伴う感染症などで死ぬ人がとても多い。
ミサが研究している食品の加工技術が発展すれば、沢山の人を助けられるかもしれない。
まさか、そんな事を考えて、あの滅茶苦茶な実験を?
「…許されるんですか、そんな思想。戦線が、シウバ様が、見過ごしてくれるとは思えません」
「あはは、まぁそうだねぇ…フェルトちゃんは、シウバが怖い?」
「…はい。私は、あの御方に選抜されたので」
「なら、私が殺してあげよっか」
背筋が凍った。
思わずミサを見るが、その表情は微笑んだまま。
「うそうそ、じょーだん。でもね、実際、私の夢はまだ設計図も未完成な、それこそおしゃまなお子様の寝言に過ぎない。それを一人で形作るのは、不可能だと思う」
「……」
「だからさ、フェルトちゃん。私専用の、ナイトになってよ」
「え?」
「私だけの、特別な騎士様に。私の泥船に乗るのは、嫌かな?」
それが、どういう意味なのか。
戦線への反逆か、あるいはもっと壮大な、何かへの誘い。
そうとわかっていながら、私はこの日、ミサの手を取った。
その日から、私はVllを貸与され、名誉ある選抜戦士となった。
それは酒の勢いに任せた愚かな旅路だったのかもしれないけれど、きっと。
最後の走馬灯に思い出すという事は、とても大切な思い出になったという事なのだろう。
私は、あなたの夢の守人になりたかった。
あなたの夢を陰ながら守り続ける、一人の騎士になりたかった。
その傍らで、ささやかにエールを酌み交わせたなら、それで十分だと、本当に思っていた。
私にとってはそれが、思い描いた初めての夢で。
それなのに。
まだ、私はあなたの設計図を見ていない。
何も知らない。
何も、守れていない。
だから、こんなところで死ぬわけにはいかないのに。この愚鈍な体たらくは、放たれた炎をただじっと見守るばかり。
こんな、わけもわからず終わるなら、いっそ。
あの時に、死んでおけばよかった。
君なら、こんな失敗はしなかったろうにな。
ソフィア。
諦めて、目を閉じようとした刹那に、私の視界を一杯の黒が覆った。
「ギリギリ間に合ったな」
レーザーの光が瞬いて、炎が裂ける。
「……み…さ…?」
長い髪が棚引き、小さな体で私をかばい、皮肉たっぷりに笑って振り向く。
誰かに重なって見えたその人は…
「よお、随分元気そうに寝てるみたいで、安心したぜ?フェルト」
002が、そこに立っていた。
私はその背中に、夢の続きを見た。
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