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いただきます



 『食う』


 『飯を食う』


われわれ人間にとって、最も原始的な行為であり、また崇高な儀式でもある。


また、同じ『食う』でも、ただ腹を満たす為だけに行う行為と、腹だけでなく心も満たし、健康に気を配り、命に、一食の食事に係る事象、時間、それら全てに感謝の気持ちをもって心から


『いただきます』


の一念をもって全身全霊で向き合う姿勢を『食事』と呼び、前者と後者では同じ『食う』でも質が異なる。




子供のころ、目一杯体を使って遊んだ学校からの帰り道、学校近くの駄菓子屋で食べた一個¥50のミニカップ麺。


中学生になり、部活帰りに食べた、近所のパン屋の焼きそばパンと牛乳。


高校生になって、学校まで電車を使って通うようになってからは、立ち食いソバのコロッケそばが、激しさを増した部活帰りの空腹を満たしてくれた。


あのころ食べた、それらの食べ物は腹だけでなく、心も満足させてくれた。



今、同じものを食べたとして、あの頃の幸福感は中々味わうことはできない。



あの頃の輝きは、忙しい日々を送っていく中で日に日に薄れ、日々の食事も味気ないものになっていく。


ここにも、社会の荒波に揉まれ、食の楽しみ方を忘れてしまった1人の若者がいる。




残業続きの疲れ切った身体を引きずり、何とかたどり着いたコンビニで弁当を買ってきた。

アパートに帰ってからは、さっとシャワーだけ浴びて、別に興味もないテレビ番組を横目に、コンビニで弁当と一緒に買った缶ビールのプルトップを開け、缶の注ぎ口から直接ビールを喉に流し込む。



今日も残業で帰りが遅くなってしまった。


夕食はコンビニで買ってきた唐揚げ弁当だ。


ビールを半分ほど残し、コンビニの唐揚げ弁当をレンジで温める。

たった、これだけの動作で手軽に食べれるコンビニ弁当は忙しい日々を送る彼にとって、とてもありがたい存在だった。



レンジで温めた唐揚げは、弁当の容器の中で温まった米から噴き出す蒸気で衣がふにゃふにゃに蒸され、ビールのつまみとしてもイマイチだが、手軽に食べれて貴重な時間を節約できる。

それ以上のものを求める気はなかった。


味気ないビールと、イマイチな唐揚げをおかずに、弁当容器の三分の二を占める白米を黙々と口に運ぶ。


今日もこうして1日が終わっていく。




弁当を食べ終わり、残りのビールを飲み干してぼんやりとテレビを観るでもなく観ていると、ふと思い出したことがあった。



子供の頃食べた唐揚げは、もっと違う食べ物だったような気がする。



学校から帰ってくると、玄関を開けた瞬間からニンニクとショウガと醤油の香ばしい香りが漂ってきて、台所を覗いてみると鍋一杯の油の中で、衣をまとった鶏肉が


『じゅわわ、じゅじゅじゅ~』


と旨そうな音と香りのハーモニーを奏でている。


油が音を立て、鶏肉に熱を加えるたび漂ってくるショウガとニンニクのスパイシーな香り。


油を切るために、用意された金属製の網ボウルに山のように盛られた唐揚げは茶褐色に輝き、その見た目もさることながら、鼻孔をくすぐり続ける旨そうな香りが空腹の胃袋を刺激する。


今日も目一杯体を使って遊んだ学校帰りの空腹に、その光景は刺激的過ぎて母親の目を盗んで唐揚げ山の中の一個を口に頬張った。



揚げたての唐揚げを口に含んで、歯で噛み砕くと口いっぱいに旨味が広がり、鼻から香ばしい香りが抜けていく。



『今夜は白飯を何杯食べようか』



頭の中は、この旨い唐揚げで何杯の飯が食えるか、今夜も記録更新しそうな予感に胸が踊る。




それが子供の頃大好きだった、我が家の唐揚げだった。



 今年の春、大学を卒業し何とか勝ち取った就職先での勤務をはじめて8か月が経ったが、初めて社会に出る身としては覚えなければならないことも多く、自分の時間を持つことも難しい中、食事は会社帰りのコンビニで弁当を買って帰るのが日常となっていた。



『あぁ、旨い唐揚げがたべたいなぁ』


そんな思いがふと頭をよぎった。










 今日も仕事が忙しく帰りが遅くなってしまった。


『明日は休日だから、疲れた体を一日中ごろ寝でもして癒すか』

 そんなことを考えつつ、いつもの帰り道をコンビニの弁当を下げて、とぼとぼと歩く。


 彼女でもいれば、休日が楽しみにもなるのだろうが上京する時に別れた彼女とはそれっきりで、毎日毎日仕事に追われる身の上としては彼女なんて作ってる暇もない。

休みの日は昼過ぎまで布団で過ごし、あとはソファでぐったりと漫画を読んだりするのが休日の過ごし方になっていた。

そんな休日の食事といえば宅配サービスを利用したファストフードか、買い置きのカップラーメンだ。


ふと、昨晩思い出した子供の頃食べた唐揚げが無性に食べたくなってきた。


いつも食べてるコンビニの弁当も、レンジで温めればすぐに食べれて便利だが、イマイチ味気ない気がしてくる。


『あぁ、あの香ばしくジューシーな唐揚げで思う存分白飯を食べたい』


一度そう思ってしまうと忘れようと思っても頭から離れない。

 旨い唐揚げで腹いっぱい白飯を食う、幸福な子供時代を思い出し、いよいよ旨い唐揚げが食べたくて仕方なくなってきた。


 確か家の近所にスーパーマーケットがあったはずだ。


最近はスマホアプリでもレシピを簡単に調べることができるし、試しに明日自分で作ってみようか。

 料理なんて一度もしたことはなかったが、旨い唐揚げで白飯を何杯も食べる魅力を忘れることは難しそうだし、挑戦してみようかという気にもなってきた。






 翌日、昼前に目が覚めると昨晩思い出した唐揚げの熱が冷めやらず、自然とスーパーマーケットに足が向いていた。


今日はまだ何も食べていない。



店内に入るとまず鶏肉を目指し精肉コーナーへ向かった。


鶏肉。

鶏肉にも色々種類があることを初めて知った。


唐揚げにするにしても、好みによって使用する鶏の部位は変わるようだ。


もも肉を使った唐揚げは、ジューシーでガツンと食べ応えがある。

むね肉を使った唐揚げはサッパリしていて、脂っこいのが苦手な人はこちらを好むらしい。


 料理に挑戦してみようという気にならなければ一生知ることのなかった情報だろう。


子供の頃の思い出の唐揚げはジューシーで白飯が進む唐揚げだった気がする。



スマホでレシピサイトを見ながら店内を物色していると、『唐揚げが上手に作れる粉』なるものを発見した。


これがあれば、難しい下味処理なども簡単に済ますことができるようだ。



だが、せっかく料理に挑戦してみようと思ったのだから本格的に自分で作ってみようという気になり、普段買うことのない『ニンニク』『ショウガ』『料理酒』をカゴに入れてみる。


なんとなく、これらの食材に手を伸ばしたことで自分が料理のできる男になったような気がしてくる。


何事も形から入るのは間違いではない。自分のとった選択に確信めいた自信がわいてくる。



チューブに入ったニンニクやショウガもあるようだが、今日は休日だしおろし金を使って自分で下ろす所まで挑戦してみよう。


 なんとなくのイメージで、かごの中にキャベツ4分の1カットとレモンを入れてレジに向かった。



夕食の時間まで時間はたっぷりあるし、どうせ挑戦するなら本格的なものに少しでも近づけたい。

旨い唐揚げで、白飯を何杯も食う。


その魅力を味わうことができるなら、貴重な休日の時間すら惜しくはない。

今夜、昔食べた唐揚げの感動を再び味わうことができるかも知れないと思うと自宅へ向かう足どりは軽くなっていった。




 アパートに帰り着くと、手洗いをし早速鶏肉の下準備に取り掛かる。


スーパーマーケットからの帰りの道中でレシピサイトを参考に予習をしておいたのだ。


食べやすい大きさに切り分けた鶏肉をすりおろしたニンニクとショウガ、しょうゆ、料理酒を加えて、揉みこむ。


少しの間冷蔵庫で寝かせ、味がなじむのを待つ間、キャベツの千切りに挑戦してみる。


なるべく細く切りたいところだが、実際挑戦してみると太さもバラバラ、普段とんかつ屋などで見かける千切りとはかけ離れた出来栄えだったが、初めての挑戦なんてこんなものだろう。


ついでにレモンを8等分に切り分けて用意しておく。


 そろそろ、下味がなじんだ頃だろうか。

冷蔵庫から下ごしらえした鶏肉を取り出し、鍋にたっぷり食用油を注ぎ入れ、温める。


自宅で揚げ物というと料理初心者にはハードルが高いようにも思った。


油をどれくらいの温度まで温めればよいかも知らず、火事を起こす心配が頭をよぎったりもする。


幸いなことに自宅アパートの調理器具はIHコンロだったため、料理初心者には挑戦しやすい環境となっていた。


下味がなじんだ鶏肉に片栗粉をまぶし、温まった油にそっと落としてみる。


片栗粉をまぶした鶏肉が油に触れたとたん、『ブクブク、ジュワ~』と盛大に泡が立ち込め、同時にショウガとニンニクの香ばしい香りが漂ってくる。


『うわぁ、本当に揚がってるよ』

と思わずテンションも上がってくる。


ここで焦って、次から次へと鶏肉を投入してはいけない。

油の中に大量に鶏肉を投入してしまうと油の温度が急激に下がり、カラッと揚がらず、べっとりとした食感になってしまうのだ。


予めレシピサイトで予習をしておいて良かった。


 一つ一つ丁寧に揚げ、揚がった唐揚げはしっかりと油を切る。

どうやらそこらへんが一番のポイントのようだ。


お世辞にも上手とは言えないキャベツの千切りを山のように皿に盛り付け、出来上がった唐揚げをキャベツの隣に積んでいく。


かなりの量の唐揚げが出来上がった。


スーパーマーケットに出かける前に炊飯器にセットしておいた白米も炊き上がったようだ。


まずは、愛用のどんぶりに軽めで一杯。

ビールを飲みたいとも思ったが、今夜のテーマは


『旨い唐揚げで白米を食う』


だ。

ビールで空腹を邪魔したくない。



 最初の一口を頬張る。


前歯で嚙み切ると、熱々の肉汁があふれ出し鶏肉にしみ込んだ下味が口いっぱいに広がっていく。


あふれる肉汁を一滴もこぼしたくない。

広がる香ばしさを少しも逃したくない。


一気に口の奥に閉じ込めて、熱々の肉汁が無限にあふれ出す鶏肉を奥歯で噛み砕く。


肉の繊維が奥歯で噛み砕くたびにほどけていって、肉が砕けるたびに溢れる肉汁。

汁。汁。まだ出る。あふれ出す、甘い、脂が甘い。


ショウガとニンニク。隠し味の醤油。酒。

ちゃんと味がする、意味を感じる。手間暇の意味を感じる。


隠し味が肉のうまみを引き出しているのがわかる。旨い、肉が旨い。まだ、一個目。

なのにもう言葉がでない、感謝。突然胸に去来する感謝。


この一個の唐揚げを食うために、鶏を育ててくれた人に感謝。飯を腹いっぱいに食べれる日本人に生まれてこれた奇跡に感謝。自分で作ってみようと思った偶然の思い付きに感謝。子供の頃旨い唐揚げを食べさせてくれた母親の愛情に感謝。


まるで鶏肉から溢れ出す肉の旨みや脂のごとく、若者の胸に次々溢れ出す、感謝。感謝。


実感。

生きていることの実感。



旨い!!圧倒的だ、違う。いつも食べてたコンビニ弁当の唐揚げと全然違う。



飯!!ファーストコンタクトの余韻冷めやらぬうちに飯を掻っ込む。

旨い!!米が旨い!!いや、もう米が口に入ってくる寸前の空気すら旨い!!



口の中に残った旨鶏脂が米の甘みを引き立たせる、ふいに気づく。

『うわ。米って一粒一粒かみしめることを意識して食うと、こんなに甘みを感じることができるのかぁ』


唐揚げと白米による旨味の無限ループ。

もう、止まらない。皿の肉を、炊飯器の米を食いつくすまで止まらない。


肉を頬張る。米を掻っ込む。肉を頬張る。米を掻っ込む。


せっかくだから、太さもバラバラで不恰好な千切りキャベツも口に頬張る。

奥歯で噛み締める。


『え?え?旨っ!』

キャベツのシャキッとパリッとした歯応えが、噛むたびにストレスを解放していく。

楽しい。

噛むたびに『パキッ』とキャベツが口の中で砕けていくのが楽しい。


口の中で砕けたキャベツから出る水。


やっぱり甘い。

ただ甘いだけじゃない。

自然の優しさを感じる。


広い高原で朝露に濡れるキャベツ。

口の中で噛み砕いたキャベツから、ひんやりとした空気に包まれた爽やかな朝の高原の美しい光景が脳裏に浮かんでくる。


たまにコンビニで買う袋に入った千切りキャベツと別物。

コンビニで買った袋入り千切りキャベツは、噛んでもここまで水が出なかった。

全然違う。


やってみて良かった。


ここで、カットしておいたレモンを思いっきり握りつぶして熱々の唐揚げにレモン汁を『ぶしゃぁっ!!』とぶっかっける。


これが、正解!!リセット!!もう結構食ってるのに全部リセット。

また始まる旨味の桃源郷。


こんなに飯を旨いと思ったのはいつ以来だろう。


一心不乱に掻っ込む。








皿の唐揚げも炊飯器の白米も食いつくした。

腹はパンパンだ。


こんなに幸福なことはない。

パンパンに膨らんだ腹を抱えて、ポットに湯を沸かし、日本茶を淹れる。


多めに茶葉を入れて、熱めの湯で濃い目のお茶をすする。

旨い。


渋みの中に光る若干のお茶の甘みが、口の中で爽やかな清流を感じさせる。

パンパンに膨らんだ腹が落ちついていく。


お茶。

お茶がこんなにもうまい。


あぁ、今日ほど満たされた日はない。



毎日仕事で忙しく、食事と言えるような食事にも中々ありつくことができないが、たまの休日にこうして食事と向き合うのも悪くないな。


満足な食事を摂れた幸福感と、自分の力で作り上げた達成感。

去り行こうとしている休日を、そんな幸福な余韻を感じながら過ごす。


悪くない休日だ。



次の休日も何か旨いものを食べたいなぁ。


アパートの窓の外、ビルの陰に沈みゆこうとしている夕陽をぼんやりと見送りながら、そんなことを考えていた。




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