第68話
一夜明けて
セイガはひとり、湖の畔に立っている。
修行のためだ、まずは眼前の相手を想像しながら剣を振る。
構え、防ぎ、反撃に繋げ、大きく後ろへと飛び、間合いを取る。
相変わらず、時の神殿は無風だが、遠くの青い空は絶えず雲を流している…そして朝日が湖を明るくしていく…
何度目かの動作を終えて、セイガが一息つく。
(今日は、いよいよ過去のエルディアへと行く日だ)
前にも一度、ユメカと別の枝世界へと行ったことがあったが、今回はその時のワクワクとは少し違う、心が引き締まるものをセイガは感じていた。
ちなみに昨日のうちに、ハリュウとメイとユウノとマキさんには時の封印を掛けて貰い、セイガ達の隠していた事情を説明していた。
ハリュウは何となく知っていたのだろうが、メイとユウノはかなり驚いていた。
特にユメカのこと…人が生き返るというのは…やはり衝撃だっただろう。
(メイとユウノは…元の世界に帰れるとなったら…どうするんだろう)
ふたりにとってはその可能性が目の前にあるのだ。
セイガは不思議と…元の枝世界には執着が少ないのだが、エンデルク等帰るために動いている者も少なくはない。
(ベルクは…どう思っているのだろう)
ふと、セイガはそう思った。
もしかしたら、ベルクもエルディアに帰るために七強にまで登りつめたのではないか…そんな風にセイガは感じた。
真相は分からない、ただ本気で戦ってみて、ベルクには何か目的があるように見えたから…
セイガは大きく首を振る。
今は…動く時だ。
セイガは従者が朝食を報せに来るまで、鍛錬を続けた。
ミナっちを含め、全員が朝食を終えて、セイガ達は時の神殿の端の棟へと案内された。
中央の建物に比べるとやや小さい造り…その入口には扉がひとつ。
ミナっちが手を伸ばすと、両開きの扉がゆっくりと開く。
中の光景にセイガ達は驚いた。
広く、白いその中には何もない……
いや、よく見るとキラキラと砂を降らせたような輪郭、実在はしていないのかもしれないが、光り輝く門のようなものが中央に見えていた。
「これは…昇世門?」
枝世界へは結構行ったことのあるユメカが最初に気付く。
枝世界に行く時は、鍵を用い、昇世門を通る必要があるらしい。
ちなみに、この日のユメカは深めの赤いワンピースに同色のシックなリボンを頭の上にのせ、三つ編み姿に黒いサンダル姿だった。
昨日とは別の服装なのは、たくさん荷物を持ってきたからだろう。
「そうですよ~ とはいえ、これは私にしか開けられない特別なものですけどね」
「それって…ミナっちが鍵を持っているというコトですか?」
昇世門を開ける為には鍵が必要だ、ユメカはてっきりミナっちがその鍵を持っていると思っていたのだが…
「いいえ~ ここは文字通り、私にしか開けられないのですよ~」
ミナっちが両手を前に出すと、光の門は色を増し、形が鮮明になっていく。
「ふふ…そっか、ミナっちの力でしか、この門は開かないんだ」
「そういうことです~ しかも私の力を使うから、過去の世界にも行けるのですよ~ すごいですね~♪」
『褒めてあげてください 時紡ぐ聖名様は 褒められるのが大好きなのです』
周囲を浮遊している従者が、ミナっちを照らしている。
『凄いですな、流石神の御業…感涙です』
最初に感嘆したのはマキさんだった。
昨日は夕食時から従者の面々と話していたらしいが…立場が似ているからかとても仲良くなっていたようだ。
「うん、絶対すごいよ…やっぱり神様はちがうよね」
「ええ…素晴らしい御力です」
フェルステン姉妹も素直に尊敬している、そんな雰囲気にユメカはちょっとだけ面食らっていたのだが…
「あはは…でも本当に今回はミナっちのお陰だもんね」
「ああ、そうだね…ミナっちは凄いと思います」
「まあ、オレは女神とか関係なくミナっちは美人だと思うから…つまり最高です」
そうして、全員の賛美が終わり
「うふふふふふ~♪」
ミナっちはご満悦のようだ。
「それでは早速~過去のエルディアの扉を開きますよ~」
「ところで過去って…どれくらい昔なの?」
メイの疑問、もし何千年前もの昔だったらメイ達には区別がつかなそうだ。
「安心してください~ だいたい10年ほど前ですよ~」
「よかった、それなら大丈夫だね♪」
メイの笑みに合わせて、門の輝きが増す。
「みなさん~ 門の中まで来てください」
5人が慎重に部屋の中央に集まる、門はやはり実体がないのか、触ろうとしてもすり抜けるのみだった。
「ではでは~ いきますよ~~」
全員が無言、周囲がどんどん明るくなっていき…
光が世界を支配する。
眩しさから解放され、セイガが目を開けた時…
目の前には見知った存在があった。
…山の神ベルクツェーンだ、胡坐姿でなにやら幼い子供を乗せている。
「べうく、べうく♪」
その女の子はぺたぺたとベルクの頬を両手で触りながら体を揺らしている。
どこか見覚えのあるその姿…
「ああああ! これってボクだ!」
メイが大きな声を上げる、確かによく見るとメイの面影がある、小さくて明るい元気そうな5歳ほどの女の子。
「5歳くらいということは…12年ほど昔のようですね」
冷静にユウノが語る。
「ここはベルクツェーン様の祠です…懐かしい」
大きな石を組み合わせて作られた建物、その奥にベルクは座っていた。
セイガ達5人はその目の前に立っているのだが、ふたりとも全くこちらには気付いている様子はない。
過去の世界には干渉できないとミナっちが言っていたが、これがそういうことなのだろう。
「べうく大好き♪」
幼いメイがベルクの肩へとよじ登る、どうもベルクの姿は現在と全く変わらないようにセイガには見える。
「ベルクはずっとこの姿…なのか」
「はい、少なくとも私が物心ついた時から全く御姿は変わっていないです」
「…ボクも」
メイは何だか顔が赤い。
「…あ!?」
「べうくとぜったいけっこんする~!」
体を伸ばした幼いメイがベルクとキスした。
「あーーー! 昔の自分を見るのってすんごく絶対恥ずかしいんだけど!」
ベルクは無言、だけれどされるがままだった。
…嬉しいのかもしれない。
「もう!これっていつまで続くの!?」
『うふふ~ これはメイちゃんとユウノちゃんの過去として問題は無い~?』
ミナっちの声だけがする、ミナっちは過去の世界にはいないようだ。
「ハイ! これは間違いないデス」
「私も問題はないと思います」
『うふふ、それでは次に行きましょう~♪』
ミナっちの声に合わせて周囲の景色が霞む、そして…
続く景色は森の中、弓矢を構えた凛々しい横顔の男性がいる。
その後ろには3人の子供たちの姿。
「…父さんだ♪」
亡き父の若い姿にメイの目頭が熱くなる、3人の子供はユウノとメイ、それからメイと年恰好の似た男の子…
「あの子は?」
「ゆーちゃん、ええとねあれはヨルハ、ボクと同い年で幼馴染なんだ」
幼いメイよりは大人しそうな感じで、3人の中では一番ビクビクと遠くの鹿を眺めている。
「いやあ…それにしてもユウノさんはもう既に美少女ですな」
幼いユウノは今のメイよりは年下のようだが、ハリュウが言うように嬋娟とした雰囲気が備わっていた。
一番のお姉さんだからか気丈に振舞おうとしている。
「恥ずかしいです…本当は森の中は怖かったのですけれど…」
子供たちが見守る中、メイの父は無言で狙いを定めると…
ヒュンと矢が森を走り、大きな鹿をたった一矢で仕留めた。
「…いい腕だな」
セイガが感嘆する。
「うん、父さんは里一番の狩人だったんだ♪…ボクの誇りだよ」
『メイ殿の弓矢も御父上が作ってくれたのですよね』
「…うん、弓の技術も父さんが教えてくれた、それだけじゃなくて護衛の手段や攻撃魔法も父さん譲りだから…」
メイは自分の手をじっとみつめる。
「いいお父さん…だったんだね」
ユメカがそっとその手を包んだ。
『どうやらここも大丈夫なようですね~』
強い父の姿が消えていく…
それから、幾つもの風景を見た。
メイが両親と仲睦ましく食事をする姿、ベルクが里の者達の前で川を塞いでいた大岩を取り除く姿など…そんな中、ハリュウは早々に飽きたのかひとり後ろで胡坐をかいていた。
「…この犬は?」
セイガがメイ達に話し掛ける。
次の光景は納屋に座り込む白い犬、どうも苦しそうだ。
「ええと…マンジュー?…じゃない、このこはマンジューのお母さんだ♪」
「ということは…もうすぐマンジューが生まれるのですね」
「マンジューというのは…犬のことかい?」
不思議な語感、セイガが『世界構成力』で調べると、地元のお菓子屋で馴染みの深いお饅頭が翻訳される。
「うん、ボクの家のわんこなんだ♪ 名前は白くてモチモチしている東方のお菓子から取ったんだよ」
なるほど、それでお菓子が出たのかとセイガも得心する。
4人がそわそわとしながら母犬の様子を窺う、自分たちは関われないとはいえ、新しい生命の誕生には心が騒ぐ。
少し大きくなった当時のメイも、泣きそうにしながらもその場から離れず、自分の母親の後ろから様子を見ている。
父親が母犬に寄り添い、介助をしながら…
数分後、遂に仔犬が出てきた。
総勢4匹、みんな無事である。
「…良かったぁ」
ユメカが最初に口を開く、メイやユウノはこの状況は知っていただろうが、それでも手に汗を握っていた。
「このうち1匹は早くに死んじゃうんだけどね…残りはマンジューも含めて里の牧羊犬として大活躍するんだよ?」
メイがひっそりと説明する、過去は変えられない…けれども生きていて欲しい…そんな願いがこもった言葉だった。
「そっか…それにしてもこれらの光景には何か共通点というか意味があったりするのだろうか……」
セイガの疑問に
『はい~大抵の事象は揺らぎとして枝世界に内包されますが、取るに足らない小さなことが、世界を変える可能性もあるのですよ~ うふふ』
ミナっちの声が答える。
「揺らぎ…というのは?」
『小さな分岐はどちらも存在するという現象です~ 例えば10年前のある日、ある人が朝にご飯を食べた事象と食べなかった事象…これで世界が分岐すればとても面倒ですよね、こんな場合はどちらの事象もその世界であったことになるのです、過去を見る人によってどちらにもなるのですよ~』
難しい説明にセイガは頭を悩ます。
「ええと……つまり枝世界の中でもさらに揺らぎという幾つもの可能性があるということ…ですか?」
『そうですね~ 一般的に人は過去に戻って観測できませんから、揺らぎがあっても困らないのです~ 記憶違いだとかはいくらでもありますから~』
「過去というのは絶対に変わらないものだと思ってました」
「うん、私もそう思ってたけれど…過去が幾つもあるのは…ちょっと素敵だな」
ユメカが指を振る。
「だって、自分の中では消せない過去でも…誰かを傷つけずにすむかもしれないもの……」
その瞳には、何が映っているのだろう…
「うふふ、なんちゃって、それじゃあもう次に行きましょ♪」




