第65話
オリゾンテの2階部分は全周が広めのバルコニーで囲まれている。
海辺のバルコニーからの眺めは最高で、食事客の目当てのひとつでもあるが、メイは反対側、山の見えるバルコニーにひとり佇んでいた。
その表情は…陽光の影になっていて読めない。
「メイ、大丈夫かい?」
「あ…セイガさん……うん、ちょっと人が多くて疲れちゃったみたいだったけれど…今は平気だよ♪」
振り返るメイの表情には、少しの驚きと、無理に明るく振舞おうとしている笑顔が見て取れる。
「そうか…それにしてもハリュウは残念だったね」
メイの気分を晴らしたい、そんな気持ちでセイガが話を振る。
ハリュウは予定では今日の午前中には帰還する筈だったのだが、サラの話ではまだ戻れないらしい。
任務中ということで、額窓でも連絡が取れずにいた。
「はは、可哀そうだけど…日頃の行いだよね」
そんな軽口も、ある意味信頼の証なのだろう…
「それに今日は可愛い子が多いからハリュウがいるとうるさくなっちゃいそうだったし……早く来ればいいのにね」
メイが寂しそうに微笑む。
「そうだな、メイは…楽しんでいるかい」
「うん、はじめてあった人もいるけれど、みんないい人そうだったし、面白いし、料理もごちそうばかりだし…絶対思い出に残る…いい日、だよ」
メイは手すりに体を預け、遠くの山を眺めていた。
きっと故郷の山を思い出していたのだろう…
「それは良かった」
そんなメイが、迷いなく横のセイガを向き、
「セイガさん…ほんとうにありがとうございます」
大きく頭を垂れる。
さらさらと綺麗な黒髪も流れ落ちる。
「今回の歓迎会もそうだけれど…セイガさんとゆーちゃん、それとおまけでハリュウにはいつも感謝しています」
顔を上げ、セイガを真っすぐ見上げる。
そこには何か覚悟のようなものが感じられた。
「…いいんだ。メイは俺にとって大切な仲間だし…俺自身もメイに感謝している」
「…ボクに?」
意外だったのだろう、メイは両手を顎に添えながら首を傾げる。
「ああ、メイは自分ではそうは思っていないのだろうけれど…とても心が強い子だよ、傍にいるから分かる。俺がキツイ特別訓練を終えて…今こうやって頑張れるのはメイのお陰でもあるんだ」
「そうなんだ…それなら……嬉しいな♪」
(でも、一番はゆーちゃん…だよね)
「…話には聞いてたけど…特別訓練ってそんなに大変だったの?」
メイの問いに、セイガは身振りを交えつつちょっと大げさに説明をした。
「そんな…何度死んだか分からないって…絶対噓でしょ?」
「確かに死んではいないけど…それくらいは心が折られた…けれど、最終的には楽しかった、とても大切な時間だったと思う」
それくらい、この7日間はセイガの中で大きな意味があった。
メイは、そんな時にずっと近くにいなかった自分を改めて想う。
「…なあ、ひとつ…聞いていいか?」
セイガの瞳は少しだけ…怖かった。
何を言われてしまうのか…
「…うん、いいよ」
神妙な表情でセイガの言葉を待つ、その様子にセイガも気付いたのか
「あ!、…そのあまり重い話では無いんだ…ええとその……未来というか仮定の話なんだが…」
そんなセイガの慌てように、メイの心が少し解される。
「ベルクとのことが全て終わったとして…そうなったらメイはどうしたい?」
「どう…って…」
「ほら、前に学園にも通ってみたいとか話をしたこともあるじゃないか、そんな風にメイの望みというか…夢、みたいなものを聞きたいんだ」
今のメイの望み、それはベルクを倒すことだろう。
でも、それではない…メイの夢をセイガは知りたかったのだ。
「……そんなことが聞きたいの?」
メイは、少し拍子抜けしている風だ、しかし何も考えて無かったのだろう…ゆっくりと考え込んだ。
「ボクね…きっと、幸せになる……」
セイガは微かに驚きながらも、それを表に出さないようにしてメイの言葉に耳を傾ける、
「父さんと、母さん…ボクにずっと愛を注いでくれた大事なひと……生きている間は何もお返しが出来なかったけれど、きっとふたりともボクに絶対幸せになって欲しいと思ってた…気がするんだ」
遠い山、影が濃くなりつつある姿をメイが見つめる。
正しくはその先にある、かつての山と里の模様を…見つめる。
「元気で、健康で、笑顔で…そして幸せで…そんな毎日をのんびりと過ごせたら」
(出来ることなら大切な人と一緒に)
「ボクの夢は、こんな感じです。ちょっとぼんやりしているかも…だね」
セイガが首を振る。
「そんなことない、メイには幸せになって欲しい…俺も出来る限り協力するよ」
セイガも山を眺める、その先は遠く、果てのない空…
「それじゃあ、ボクのコト貰ってくれる?」
「…え?」
陽光に照らされたセイガの顔が赤くなる。
「なんてジョーダンだよ☆ びっくりした?」
嬉しそうに微笑むメイを見て、セイガも幾分か嬉しくなる。
「びっくりというか……」
「ちょっと涼しくなってきたね、そろそろお店にもどろっ…ボクもっと食べたい料理がいっぱいあるもん♪」
急いでセイガの手を引くメイ
「そうだな」
(今は…どうかこのままで)
照れくさそうに笑いながら、ふたりは店内に戻った。
セイガが最初に目にしたのは、アルザスと楽しそうに話すユメカの姿だった。
「あ、セイガとめーちゃん♪ 何処に行ってたの?」
ユメカは屈託のない笑顔でふたりを見ている。
「ええと…」
「ボクがね、ちょっと気分が悪くなって外の空気を吸ってたらセイガさんが心配して見に来てくれたんだよ」
メイの説明は大まかな意味で合っている。
「ええ? めーちゃん大丈夫?お腹痛いとか!?」
慌てて駆け寄るユメカをメイがふんわりと受け止める。
「うん、もうすっかり元気だよ、絶対にここのお料理をコンプリート…全部食べちゃうんだからね♪」
グッドサインを出しながらメイが胸を張る。
「もう、食べ過ぎだよ~…無理しちゃめっ…なんだからね」
ユメカがメイのお腹を擦りつつ、何事も無かったようにメイの手を引きテーブルの料理へと向かっていく…
「これは何~?」
メイが半月状の小さなお菓子らしきものを指差す。
「それはドルチェ、貴婦人のキスというクッキーでチョコレートをサンドしたものですよ」
オルタナの説明もそこそこにメイがその一つを手に取り口へと運ぶ。
「ん~~♪甘いモノは世界を絶対幸せにするよね♪」
ほろほろと消えていく食感を楽しみながらメイが甘い吐息を漏らす。
「ゆーちゃんも食べてみてよ☆」
ユメカは実はチョコレートはあまり好きでは無いのだが、あまりにメイが美味しそうに食べるので食べてみる。
「…ふぅ、あ、これは美味しいかも♪」
「でしょ♪」
「マスターが作るものはどれも絶品ですから」
まだまだ料理は尽きない、メイは次の食べ物を求めてテーブルを旅した。
一方、残されたセイガはアルザスに…ユメカと何を話していたか聞きたかったが…それは流石に躊躇う……
そうして何となくアルザスと視線を交わしていると…突然腕を掴まれた。
「セイガさん!」
ユウノだ、とても怖そうな…縋るような表情でセイガを見上げる。
「ユウノ?」
先程までは笑顔だったので、セイガは驚いた。
「セイガさん…急にいなくなっちゃ……嫌です」
涙を湛えたまま、ユウノがセイガの袖に顔を埋める。
思い返してみれば、席は離れていたが、何度かユウノの視線は感じていた。
セイガの方もメイとユウノが心配だったので、つい見ていたから気にしてはいなかったのだが…
ひとまず、周囲を慮りつつセイガは壁際までユウノを連れて行く。
何人かはユウノの異変に気付いてはいたが、無言だ。
「私…セイガさんがいないと…ダメなのです…」
まだセイガに顔をつけながらふるふると震えるユウノ
熱く柔らかな感触がする。
「大丈夫です…俺はいなくなったりしませんよ」
子供をあやすように優しくセイガがユウノの髪を撫でる。
長く、艶やかな黒髪…とてもいい匂いがする。
これ以上意識してはいけないとゆっくり距離を取ろうとしたその時
「ユウノ姉?」
背後からメイが声を掛けてきた。
(…まずい)
セイガは焦る…しかし
「メイ…どうしたの?」
やんわりとセイガから離れたユウノの表情はとても普通だった。
「向こうにすっごく美味しいチーズがあったんだけど…ユウノ姉はもう食べた?」
「いえ?それはまだ食べてはいないかも」
メイはユウノの異変には気付いてなかったらしい。
「だったら絶対食べた方がいいよ♪」
「ええそうね…頂こうかしら…それではセイガさん、失礼しますね」
ユウノがメイと手を繋ぎながら去って行く。
まるで今さっきの恐れや涙のことなど無かったかのように…
ぽかんとセイガが壁際で佇んでいると
「聖河さん…ちょっと」
くいくいと、袖口を引かれた、下を見るとそこには秘書のリンディがいた。
ルーシアよりも更に背が低いので一瞬反応が遅れてしまった。
「秘書さん…どうしましたか?」
「あの…あくまでわたくしの予想なので内密にして欲しいのですが…彼女、ユウノさんには気を付けた方がいいですよ」
思いもしない言葉だった。
「気を付ける…というと?」
「ハッキリとは見えなかったのですが、彼女は何か病気とか……体調に問題があるかも知れないです」
「それは大変ではないですか」
まさかユウノまで…何かあったらメイは…どうしたらいいというのだ。
「いえ、そこまで大事では無いかも知れないです。今さっき探知魔法で調べてみたら異常はありませんでした」
その言葉にセイガは安堵する。
「びっくりしましたよ…」
「ごめんなさい、ただ魔法や一般的な検査では見つけられない何かが彼女にはあるかも知れないのです…確証はありません、でも聖河さん、どうか貴方の心の奥で気に留めておいてくださいませんか?」
リンディ自身、ただの嫌な予感かもとは思ったのだが、どうしてもセイガに伝えたかった。
その真剣な表情を見て、セイガも頷いた。
「分かりました、ユウノのこと…気に掛けておきますね」
「ありがとう…出来れば本格的に調べてみたい案件ではあるのですが、健康な人に精密調査をしたいと言っても気を悪くするでしょうし…お願いします」
「いいえ、こちらこそ…ありがとうございます」
親身になってくれる、そんな彼女の気持ちが嬉しかった。
「ホント…杞憂であればいいのですが……」
そう、リンディが口を開いた時、巨大な何かが店のすぐ傍に…落ちた。




