第2話
やはり呼び鈴が鳴らない。
女性は何度かボタンを押しているが、そもそも音がしていない。
「困ったなぁ…まさかセイガ君に限って寝坊するとは思えないけれど」
年の頃なら20代半ばほど、膝まで届く長く青い髪を毛先の方でひとまとめにしている。
きりっとしたスーツ姿にタイトスカート、黒タイツとの間の絶対領域も見事で…
美人、そう評するのが最も適切な女性だった。
綺麗な青い瞳で見上げると、2階の一室のカーテンが揺れていた。
どうやら人はいるらしい。
額窓で呼び出そうとも考えたが、来訪することは既に伝えていたので女性はやや無作法かもと思いながらも邸内にそのまま入る。
人の気配はやはり2階から…
「ん…っ」
小さく、くぐもった女性の声がする。
(…え?)
誰の声かは予想がついたが…何をしているのかが分からない。
「どう?…私の……来た?」
「いや…温かい……まだ」
(え?ええ!?)
ぎしりと何かが軋む音がする。
ベッド…だろうか。
「もう一回…頼む」
近付くにつれて、声が聞き取りやすくなる。
(ってこれじゃ盗み聞きしてるみたいじゃない!)
女性は半ば混乱しながら首を振る。
「それじゃ…いくよ」
「ああ…俺も集中する」
ドアの前まで来てしまう。
「……あぅっ!」
それが限界だった。
「ふ、ふたりはここで何をしてるのかなっっ!!」
女性は大声を上げる、最悪の事態を見てしまうのは忍びないのでドアはしっかり閉めたまま…
『レイチェル先生!?』
中からふたりの声が同時にあがる。
「はい、私です…」
「ええと…大丈夫ですから…入ってきてください」
セイガはそう言うが…レイチェルは意を決してドアを開ける。
ベッドの縁にセイガが座っている、その背後、ベッドの上にユメカが膝立ちでセイガの肩を揉むように手を伸ばしていた。
無論ふたりとも服を着ている。
「あの…それは…何を?」
「てへへ…例の…『夢』を託す…『W真価』の練習…デス」
ちょっと恥ずかしそうにユメカ、
「あ……ああもうっ!」
レイチェルは自分の想像の…その恥ずかしさのあまり両手で頭を抱えてひたすら蹲るのだった。
彼女の名前は『レイチェル・クロックハート』、学園の教師であり、その戦闘能力の高さから『絶対領域の女』という異名を持つ実力者だ。
けれど、普段は温和で優しく、ちょっと愛嬌のある…こんなミスもするような…
ごく普通の女性でもあった。
「それで…結局上手くいったの?」
セイガの寝室ではお互いに気恥ずかしかったので、1階の居間に3人は移動していた。
「全然ダメですね」
「うんともすんとも言わないです、はぅ」
ふたりが試していたのは『W真価』、と名付けた現象だ。
本来、『真価』はこの世界に再誕した時、及びこの世界で生まれたものがある程度年齢を重ねた時に「1つだけ」選ぶことが出来る能力だ。
例外はない…筈だったのだが、少し前にセイガとユメカは『真価』を2つ持つ存在と出会い、さらに自分たちもユメカの『夢』の『真価』をセイガに託すことにより2つの『真価』を同時に使いこなしたのだ。
その効果は1つの時よりも遙かに高く、絶大で…この世界の存在意義さえも変えかねないものだったのである。
つまるところ、今回学園長に呼び出された大きな原因のひとつがこの『W真価』なのだ。
とはいえ、実は『W真価』が成功したのは最初の一度切りで、今となってはどうして成功したのかも説明が難しい。
あの時は特別な要因が幾つも重なっていて、当事者たるふたりですら分からないことだらけなのだ。
せめて、もう一度…実現可能か何度も試してみたのだが、何も成果のないまま結局今日まで経ってしまった。
「まあ…あんな力…簡単に出来たらそれこそ大事件でしょうしね」
ふたりの奇跡を目の当たりにしていたレイチェルも、直接見たからこそ分かってはいるがあれは普通の人間の扱っていい力ではない。
「恐らく…深淵の力も大きな原因なのでしょうけれど…それもあの日以来、みることが出来なくなってしまいました」
深淵の力、というのは正体不明の何か特別な力なのだが、今のセイガには使うことどころか感じることさえも出来なかった。
「私もなんだよね…やっぱりあの時はイロイロあって…ねぇ?」
ユメカが目配せする、ユメカ自身も大変な目に遭った末の恩恵なのだ。
「そのあたりは正直に話すしかないと思いますね」
レイチェル本人はふたりの味方だが、学園長を含め上の人間がどう判断するのか…それが心配だった。
「なんとかなるよ♪ 私だって今こうやって生きてるんだし、ね☆」
冗談っぽくユメカ
「そうだな、何があったとしても俺はユメカを守る…それだけは変わらない」
セイガは真っすぐに、ただ真っすぐにそう思った。
レイチェルも代表になったつもりで伝える
「みんなも…勿論力になるわ」
それはあの日、あの場所にいた全員のこと。
沢山の仲間の助けがあったからこそ、今の自分がいるのだと…この世界に来て間もないセイガは実感した。
「ええ…そうですね」
「えへへ…それじゃあ、たいへんだけど学園に行きますか~」
『おお~』
3人の声がそろう、もう、力は込めず…
肩の力が抜けたまま3人はセイガの家をあとにした。