承_3
またこの夢なのか、そう思った。
クリスがイギリスに戻ってそれから、エドワードとは何度か連絡を取った。数ヶ月が経った後、学術の用事でマサチューセッツのケンブリッジに行くのだと言ったら、近くに住んでいるから、是非会いに来てくれと言われた。
正直嬉しかった。旅先に友人がいることなど今までなかったからだ。
ケンブリッジに着いた翌日に、クリスはエドワードに言われたカフェを訪れていた。チャールズ・リバーのすぐそばに木々に囲まれてひっそりと佇むレンガ造のその店は、昼過ぎにも関わらず客入りも見たところほぼなく、まるで別世界のようであった。その店に近づくだけで、秋口であるにも関わらずゆるりと暖かく、落ち着いた気持ちにさせられるようなカフェだ。
扉を開けると、先に来て待っていたエドワードが嬉しそうにニコニコしながらテーブルの向こうで手をあげるのが見えた。
久しぶりに会うものだからクリスは少し緊張していたが、彼の柔和な雰囲気がそれをすぐに緩和させた。香りと湯気のたつコーヒーを楽しみながら、彼らは近況報告と改めての自己紹介をした。以前に会った時はあまりしっかりと互いのことを知り合わなかったからだ。
そうなのだろうとは思っていたが、エドワード・アダムズの"アダムズ"はかの十二使徒の一筋"アダムズ家"である、ということを確認した時は流石に驚いた。
「本当に?あのアダムズ家なの?」
「あのアダムズ家だよ。でもそんなに大層なものじゃない、気を遣わないでくれると嬉しいかな」
エドワードは初めて見せる表情で笑う。苦々しさの混じったそれは、彼とアダムズ家の距離感を表しているのだろうかとクリスは思った。
クリスはコーヒーに口をつけながら、曇る眼鏡を透かして数瞬エドワードの表情を見る。
コーヒーを置くと、クリスはぎこちなく笑ってみせる。
「私の家には血筋なんて気にするような人は居なかった。だならあなたがどれだけ偉くても、いつでも無理やり講釈を垂れてあげる」
エドワードは一瞬目をぱちくりさせると、漏れ出すように笑い始めた。
少々無理をした冗談が面白かったし、冗談を言ってくれようとするくらいに距離が縮んでいることが嬉しかった。アダムズ家という身分を明かして、友人で居てくれようとする人間は少なかったからだ。
クリスは少々自分の発言を顧みて、慌てて口を開く。
「いや、貴方の組織内での地位が高いことは理解して──」
「クリス」
嬉しそうにニヤニヤしながら、エドワードは軽く握った拳をクリスの目の前にぐいと差し出す。クリスが意図を測りかねてエドワードを見ると、エドワードは目線でクリスの掌を示した。意図を理解したクリスは(あまり自信はなかったが)そろそろと拳を持ち上げて、エドワードの拳に少し触れた。エドワードは触れた拳をぐいと押し込む。
その力強さにクリスが目を丸くすると、その様子を見てエドワードはいたずらっぽく笑った。
「これでいいんだ。いいだろ?」
「…うん」
エドワード・アダムズの機構における数少ない、クリス・カラスの初めての、友人ができた瞬間だった。
………
「どうして予言学の研究を?この学問が見捨てられた学問だということは承知の上なんだろう?」
エドワードは少々真面目な顔つきで問うた。かなり話し込んだ後の、突っ込んだ質問だった。ただ、この問いをするのは出会ったきっかけを考えると必然であるとも言える。
クリスは頷くと、空になったカップに目を落として話し出す。
「見捨てられた以上に危険である…それは理解してるつもり。なにせ、私の両親も予言学を研究して…失踪したから」
エドワードは少しだけ目をつむり、それからカップに目を落とすクリスを見据える。
「虫喰い仮説…歴史の空白に手を付けることは、史学を志すものにとっては禁忌のようなもの。それは長年続く学問の中で培われた不文律でもある。『かの空白に手を出したものは、その空白に葬り去られる』」
「でもその空白を明るみにしない限り、予言学は完成しない」
目を伏せていたクリスは、そう言って目線をあげた。エドワードと目が合っていて、彼は彼女の目の内に強い感情の火花が散るのを見る。
「そこまで予言学にこだわるのは…君の両親が予言学の完成を目指していたから?」
「そう。学問の動機としては不純だってわかってる、けど!私から両親を奪ったあの"空白"を暴いてやりたい」
火花は散り、そして集まり、クリスの目に強い意志として灯る。
「そこに私の両親も居るんだと思ってる。…私を置いてどこかに行ってしまった両親に、言いたいことがたくさんあるから」
その意志を受け止めて、エドワードは再び考えるように目をつむる。しばらくして、エドワードは覚悟したように口を開く。
「実を言うと、予言学の研究について手伝えることが──」
「やっぱりここにいた!」
クリスの知らない声がカフェ中に響き渡った。そちらを見れば、整えられていない黒髪の女学生がカフェの扉から半身を出してこちらを伺っている。
エドワードは"あれ!?"などと言いながら腕時計を確認し、そうこうしている間に黒髪の女学生はこちらに向かってきていた。
「今日は教授とミーティングだって言ってたじゃない!なにを呑気にアフタヌーンティーをしてるのよ!」
女学生はずんずんと歩いてきて、エドワードの背で死角になっていたクリスの存在に気づくと、それを想定していなかったのか立ち止まって固まってしまう。
「………」
「………」
クリスもまた、なんと言ったらいいのかわからず無言であり、二名の間には気まずい瞬間が流れる。
エドワードは沈黙に耐えきれず、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「すまない、クリス!どうやら予定を忘れるくらい話し込んでいたらしい。また連絡するよ!」
カフェのマスターの白い目を受け流して会計を済ませると、エドワードは女学生に謝りながら一緒に店外へ向かう。
あなたが設定したミーティングでしょ、と脛にローキックをかまされるエドワードの表情はどこか嬉しげで、それをクリスは黙って眺めていた。
二人が店を出ていったあと、クリスは空のコーヒーカップの持ち手に指をかけて少し傾けた。少しだけ底に残ったコーヒーを見つめて、クリスの思考は潜っていく。
どれだけ潜っても堂々巡りだ。楽しかったはずなのに、少しだけ残ったモヤモヤが頭の底でぐるぐると回っている。私は、友人に私より仲の良い友人が居ることが嫌だと感じるような人間だったのか。
人間関係というものが、時折とてつもなく面倒なものになることに、クリスは気が付き始めていた。