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「ロゼッタ! よくもこの僕に恥をかかせたな! お前との婚約なんか破棄してやる!」


 婚約を祝うはずの夜会。

 ダンスホールの中心で倒れる私に対して、婚約者であるカイン様は怒鳴りつける。


 周囲は何事かと息を潜め、音楽は鳴りやみ、緊迫した空気が流れていた。


「僕との婚約を祝うためのパーティで倒れるなんて、前代未聞だ! お前と婚約なんかした僕が馬鹿だった! さっさとこの女を追い出せ!」


 癇癪を起こすカイン様に、従者が慌てて声をかけた。


「し、しかしカイン様……! ロゼッタ様は先週からずっと体調不良を訴えておられました!」

「だからなんだ!? 女の体調を優先してパーティを引き伸ばすべきだったとでも言いたいのか! 僕は次期当主だぞ! 僕を優先するに決まっているだろう!」


 カイン・クリントン公爵令息。クリントン公爵家の長男であり、次期当主候補だ。


 伯爵家の長女として生まれた私は、彼の正妻候補として、幼い頃より厳しく育てられた。

 私の後ろには常に教育係が腕を組んで立ち、私の一挙一動を叱りつける。監視の目は寝ている間も続き、息吐く暇も無く深く寝入ることも許されない日々を送った。


 公爵家と繋がりを持てば、家が一生安泰する。そんな父の目論見を実現させるための傀儡に等しかった。


 机に縛り付けられ、外を出歩くことも許されず、ただ理想的な公爵夫人になるようにと教育を施された。


 結果、十七歳になった今年、念願叶ってカイン様から求婚されたのだ。


 私はカイン様を好きじゃない。

 それでも、受け入れるしかなかった。そうするより他に生き方を知らなかった。


 幼い頃から続いた不眠。

 常に監視の目がある不安。

 決して失敗を許されない緊迫感。


 いつの日にか、人前に出るのが恐ろしく感じるようになった。

 医者から告げられた診断結果は、"大衆恐怖症"。カイン様いわく"ただの根性なし"。


 今夜は婚約を祝うという大事なパーティだった。私の品定めを貴族らが行い、カイン様を盛大に持て囃す日。


 大勢の視線が私を舐めるように見る。

 王族の一部となる女は、果たして本当に相応しい女性なのかどうか。


 無数の目に見られる恐怖に耐えて、耐えて、耐えて……ついに、私は最後の最後で貧血を起こしてしまった。


 カイン様は、私が自分に恥をかかせるためにわざとやったと勘違いし、激怒した。

 違います、ごめんなさい、お許しください。そう声を発せないほどの吐き気と戦い、失いかけていた気が戻ってきた時には、私は屋敷を追い出されていた。


 当然、戻った実家でも父からの罵声が飛んだ。


「この……ヒューストン家の恥さらしが!」


 父が投げた花瓶が私の真横を通過し、壁にぶつかって割れる。


「お前に一体どれほどの教育費や賄賂を払ってきたと思っている! これで全て無駄になった! 全部お前のせいだぞ!!」

「ごめ、んなさい……ごめんなさい、お父様……」

「大衆恐怖症だと!? そんなのは病気でもなんでもない! お前がただ自分に甘えているだけの、やる気がない証だ!」


 私がもっとしっかりしていれば。

 私がもっと強い心を持っていれば。

 自分が悪かったのだと責めれば責めるほど、心臓が酷く痛み、全身が刃物で刺されているような感覚に陥った。


 一通り私を罵倒し続けた父は、ふと糸が切れたように椅子に座る。そしてため息混じりの声を発した。


「出ていけ。ロゼッタ。もうお前はヒューストン家の者ではない」

「お許しください、お父様!」


 乞うても許しは得られなかった。

 一晩にして私は、婚約者も家も未来も失ったのだ。ひいては、自分の生き様さえも否定されたような気がした。



 ◾︎◾︎


 朝、カバン一つ分の荷物を携え、家を出た。


 何も知らない馬車の御者が、行先はどこかと尋ねてくる。


「行先は……」


 婚約を破棄され、家を追い出された伯爵令嬢の行く末はどこだろう? 

 一人で生きる術もお金を稼ぐ方法も世間一般の常識も知らない。

 そんな私は、どこで生きていけばいいんだろう。


 修道院? 売春宿? それとも……

 知らない。私は傀儡である以外の生き方を何一つとして知らない。


「……海に行きたいわ」

「かしこまりました!」


 行く末を考えると涙が出そうだった。

 だから私は、考えるのを止めた。


 私たちが住むタマリア王国は、一部が海に面している。

 海、という存在の概念は知っている。教本を通じていくつか写真もみた。しかし実際に見たことはない。


 住んでる場所から海まではそう遠くないけれど、私は屋敷より外に出たことがないのだ。

 軟禁に近い生活だったので、外の世界を知らない。


 ずっと知りたいと思っていた。

 だから、現実逃避の先に出てきた答えが「海に行きたい」だったんだと思う。


 次第に潮風の匂いがしてきて、馬車を降りる。


「ありがとうございます」

「お迎えはどうされますか?」

「……いらないわ」

「かしこまりました。そういえば今日は、大きな船がいくつも来ているようですね」

「何か催し事があるの?」

「さあ。わたくしもそこまで詳しくは。では、良い一日を」


 一人になった私は、砂浜を歩く。


「ここが……海」


 青く透明な海水が押し寄せては引いていく。

 キラキラと太陽の光を反射した海面は、うっとり魅入るほど美しかった。


 カバンを置いて、靴を脱ぎ、海水に足をつける。

 ひんやりと冷たくて、指先の間を通る砂がくすぐったかった。


「来ちゃった……。私には行けない場所だと思ってたのに……こんな簡単に……」


 恥さらしの烙印を押されたこんなにも醜い私を、海は拒むことなく受け入れてくれている。

 罵倒することも否定することもなく、無作法に踏み入る私の足をそっと撫でる。


 その姿に、今は亡き母を思い出した。


 どれだけ厳しい教育の中でも、時折誰にも見られない場所で黙って抱きしめてくれた。

 頭を撫でて、手を撫でて、体を包み込み、強く私を抱きしめてほしい。


「ごめんなさい……お母様。私、期待に応えられるような立派な娘にはなれませんでした……」


 視界が滲む。ずっと堪えていた涙がこぼれ落ちる。


 私の足は、一歩、また一歩と海の中へと進んで行った。

 そのたびに、目には見えない誰かが私を許してくれているような気分になった。


 ああ……このまま全てを包まれたい。


 そう思って目を閉じた時だった。


「何をしているんだ!」


 背後から大声が聞こえて、ビクリと肩を上げる。振り返れば、一人の男性が私の方を見ていた。


「そこを動くんじゃないぞ!」


 男性は強ばった表情のまま海の中に入ってきて、水をかき分けながら私の元まで真っ直ぐにやってくる。

 そこでようやく気がつく。

 私はいつのまにか、腰よりも深い位置に進んでしまっていた。


 私の前まで来た彼は、私の手首を強く掴んだ。


「逸るな! 海は命が恵まれる場所であり、捨てる場所じゃない!」


 顔を上げ、目が合った男性はやけに綺麗な顔立ちをしていた。

 すらりと背が高く、健康的な褐色肌。緩めのウェーブがかかった長めの黒髪は、ハーフアップで一つに纏められている。

 長いまつ毛に覆われた凛とした碧眼は、彼の逞しさをそのまま表しているように見えた。


 格好は海で仕事をする人によく見られる、袖なしの緩い服装だ。でも、妙に仕立てがいい良質な生地にも見える。


 民族衣装のようにも見えるけれど……どこの国の人だろう? 

 所々に飾られている装飾品が豪華さを演出しているのかもしれない。


「あの、貴方は……きゃっ!」


 名前を聞こうとしたとき、高めの波に襲われる。

 ふらついた体は、彼によって抱きとめられた。


「名乗る前に、まずは俺と共に岸に上がって。それから着替えて体を温めると約束してほしい」


 真剣な表情で伝えられ、言われるがままに頷いた。



………

……



「あははは!」


 港に留まった大きな船の上で、何人かの船乗りの笑い声が重なり合う。


 その中でも、特に若い一人の青年が気さくな口調で口を開いた。


「にしても、ユージンったらよぉ。勝手に相手を自殺者だと思って海に飛び込むなんて……お前、泳げないのにな!」

「うるさい! 黙れ、ルーカス! だいたい、泣きながら海の中に入ってる女性がいたら誰だって勘違いするだろう」


 ユージン。

 先程私を助けてくれた人だ。ルーカスと呼ばれた青年は、互いの口ぶりを見る限り心許す関係性なのだろう。


 渡された飲み物で温まりつつ、私はようやく話しかける。


「あの、貴方たちは……」


 私の問いかけに彼らは一度顔を見合せたが、すぐに微笑みが返ってきた。


「俺の名前は、ユージン・インディリッヒ。サタディア王国の第一王子だ。ルーカスは俺の幼馴染であり、従者を担っている。良い奴だから、仲良くしてやってくれ」

「どうもー。ユージンの世話役だよー。ここの船員はただの船乗りに見えて、みんな海軍。安全性は高い船だから安心してね」


 少し規模の大きすぎる話に、意識がふらつきそうだった。


 サタディア王国はさすがに私でも知っている。海を挟んだ向かいにある大国だ。国土の全てが海に囲まれた島国でありつつ、実支配領域は世界最大規模。

 この世界の海は、サタディア王国が支配しているといっても過言ではない。


 もっとも、友好的な国としても有名だが。


 聞けば、タマリア王国に外交を兼ねて招待されていたらしい。


「あの……失礼ですが、王都に泊まらないんですか?」


 一国の王子たる一行が船の上で待機だなんて、対等性が感じられない。

 私の進言に、ユージン様が首を振った。


「いや、俺たちが希望したんだ」

「そうなんですか?」

「ああ。俺たちサタディアの民は、海に生まれて海に生きると言われている。

 だから、できるだけ海のそばで寝泊まりしたいんだ」

「まあ、パーティがあるのは一週間後の一夜だけだし? それまで港町での生活を自由に楽しませて貰ってるよ。この国の浜辺も案外いいね」


 ルーカスさんの補足に、ユージン様も頷く。

 文化の違いか、考え方の違いか。そんなものなのかと納得しかけていると、今度は私に質問が飛んだ。


「君はどうして海に? 見たところ、相当爵位の高い女性に見えるが……」


 ユージン様は飲み物を飲みつつ、私のドレスに視線を送る。私の持つ衣装はどれも、公爵家に相応しいようにと仕立てられたものばかりだ。


 濡れた服は着替えたけれど、今ではこの服すらも息苦しくてたまらない。


「私の名前はロゼッタ・ヒューストン。……元、伯爵令嬢です」

「元?」


 不思議そうな顔をされるのも当たり前だ。

 私はポツポツと、これまでの経緯を語った。


 ようやく語り終えた時には、夕方になってしまっていた。


「なんて酷い話だ。甚だ許し難い」


 ユージン様が苦しそうな顔をするので、私は咄嗟に言葉を重ねる。


「カイン様も父上も悪くないのです! 全ては、私が不出来だから……」

「違う。人の価値は、不出来だからという理由で奪われてはならない。何人も、他者から自由を奪う権利を持ってはいない」

「価値と自由……?」

「そうだ。人の価値は、枯れることのない海のように尊く、人の自由は果てない水平線よりも広い」


 真剣に語るユージン様の碧眼に呑まれそうになり、私は目を逸らした。


 少しばかり訪れた沈黙を破ったのは、ルーカスさんだ。


「湿っぽい話は終わりにしようぜ! せっかく俺たちと出会ったんだ。歓迎だろ、ユージン!」

「……そうだな。よし、みんな。今日は宴だ! 下から酒をうんと持ってこい!」


 わああっと船中から歓声が上がった。

 そうと決まればあっという間。


 甲板には椅子とテーブルが並べられ、次々に料理やお酒が運ばれてくる。

 仕事を切り上げた船員が合流し、賑やかな食事会が始まった。


 私は隅の椅子に座り、隣にはユージン様がいる。何人もの船員がユージン様と会話を交わすのを横目に見ていた。


 やがて私の視線に気づいたユージン様がニコッと笑う。


「どうした? 酒が合わなかったか? ここの国の酒より少し辛かったか。好きなものを自由に食べていいぞ」

「あ、いいえ……美味しいです。少し驚いただけです」

「驚いた?」

「ええ。その……ユージン様は王子殿下であらせられるのに、皆様随分気さくだなと……」


 普通、王子にタメ口混じりの敬語で話しかける人はいない。仮に酒の場が無礼講だったとしても、私にはとても馴染みのない光景だった。


 私の言葉に、ユージン様はカラッと笑う。


「はは! 俺たちの関係性は他の国では珍しいみたいだな。いつも外国に行った時は驚かれる」

「いつもなんですか?」

「ああ。俺たちは……そうだな、家族なんだ」

「家族……」


 まさか本当に血が繋がっているわけでもないだろう。

 私は瞬きをしながら話の続きを待つ。


「俺たちは海の民。海は全ての生き物の母だ。同じ母から生まれた兄弟。家族。血を超えた運命共同体。なんだっていいが、とにかく……地位なんてのは、後付けだ。国の有事の時以外は、俺たちは対等なんだよ」

「……少し、理解に時間がかかりそうです」

「俺は、皆に普通に接して欲しいと思っている。皆も俺に普通に接したいと思ってくれている。ならば、形式なんて邪魔だろう? 自由意志の優先が第一だ」


 またここで、自由という単語が出てきた。


 今日だけで複数回聞いた自由。

 私には想像もつかない、自由。


 自由って……なんなんだろう。


 私がカップを見つめていると、ユージン様から声がかかる。


「ロゼッタは、今何がしたい? 何を思っている?」


 少し考えて、答える。


「……この息苦しいドレスを脱ぎたいなぁと思っています」


 ユージン様は一度目を丸くしたあと、破顔した。


「あはは! いいぞ、ロゼッタ! それもまた自由だ! みんな。たった今、ロゼッタが初めての自由を選択した! 祝おう!」


 ユージン様の合図に合わせて、船員らが楽器を持ち寄り、歌を歌い始めた。

 陽気な音楽に合わせて、それぞれが踊りを始める。


 ユージン様が立ち上がり、私に向かって手を伸ばす。


「踊りをどうですか、お嬢さん」


 キザなセリフに、私はクスッと笑う。


「……貴方の国のダンスを知らないわ」

「でもそれも?」

「……自由に踊っていいのでしょうか?」

「そういうことだ、ロゼッタ」


 私は手を取り、赴くままに踊る。


 楽しい。

 楽しかった。

 初めて知った、自由の喜び。


 こうして賑やかな食事も初めてだ。いつも監視されながら淡々と食べる食事とは違う。

 何を手に取っても怒られない。食べ方が間違っていても構わない。


 人との触れ合いがこんなにも楽しく、周囲の目が気にならないのは初めてだった。


 ユージン様と踊りながら、私はポツリと呟く。


「……私ね、多分死にたかったんです」


 ルーカスさんは勘違いだったと笑っていたが、多分深層意識の中では死を選択していた。


 自覚するのが今になっただけだ。


「ああ。そうだろうな」

「私は傀儡でいる以外の生き方を知りません。糸を切られて、どうしていいのか分からなくなってしまったんです」

「……そうだろうな。こうして救えたのは何かの巡り合わせだ」


 それが今や、楽しさを知ってしまった。

 私はまだ笑えたんだと知った。


 自分が生きていた世界が、ちっぽけに感じた。


「……ユージン様。救われておきながら、私の心はまだ貴方に伝えたいことがあるようです」

「俺はそれを聞きたいと思っている」


 なんて図々しい女だろう。

 そう思いながらも、まるで導かれるように言葉を紡ぐ。


「ユージン様。私にもっと、自由な価値を教えてください」

「承ろう。君が自分の価値に自信を持ち、それでいて自由に生きられるのならば」


 そうして、私は船で一週間を過ごすことになった。


【大事なお願い】

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