#11 ケイタ 23
―ケイタ 23―
約束の時間よりも早く着いたぼくは、一人だったこともあって、少し落ち着かないでいた。ソニック・レコードのいつもの部屋。
寺田さん立会いの元、シュウとデモ・テープのレコーディングは済ませていた。あれから2ヶ月ほど経っていた。今日はその音源に対する何らかの話がもらえるのだろうと思っていた。ところが呼び出されたのはぼく一人だったのだ。
音楽活動は一旦停止し、ぼくはバイトに精を出していた。仕送りが途絶えたぼくは、とりあえず家賃と生活費を自分でなんとかしなくちゃいけなくなっていた。大学の卒業まではあと3ヶ月ほど。就職はしない。未来はまったくの白紙だった。
寺田さんがにこやかに入って来る。ぼくはその笑顔に、さらに不安な気持ちになるのだった。
「ごめんね、呼び出して。大事な話なので直接話したくて」
「あ、いえ。って言うか、ぼく一人なんですか?シュウは?」
「うん、実はね、その話をしなくちゃならない」
寺田さんの顔付きが変わる。やっぱりそうか。ぼくはなんとなく察してしまった。
「ケイタくん一人で行こうと思う。ソロシンガーだ。会社でいろいろと相談した結果だ。悪く思わないでほしい」
ぼくはつばを呑み込んだ。
「バンドブームはもう終わりだ。今後はシンガーソングライターの時代が来ると読んでる。ソロシンガーの方が売り出しやすいんだ。実際、いい曲を作っているのはケイタくんの方だ。シュウくんにはぼくの方からちゃんと伝えるので、心配しないでくれ。そもそもなんで二人でやっているんだろう。君一人でも充分やれるだろうに。元々友達だったとか?」
ぼくは胸が痛かった。シュウに対して申し訳ない気持ちも当然あるんだけれど、それと同じように詩織にも、同じ思いを感じるのだった。
デモ・テープのレコーディングが終わってすぐくらいだった。ぼくは詩織に呼び出され二人で会ったのだった。
どこにでもある大衆居酒屋。お客の話し声であふれ、店員の威勢のいい声が響いている。
「確か、前に会ったのが去年の12月だったよね。今10月か、早いなぁ」
「うん、そうだね。あれからシュウと組んで、いろいろあったなぁ」
せっかく詩織と会うのに、今のぼくには去年のような高級店に連れて行く金銭的余裕はないのだった。
「家の方はどう?」
「うん、きっとバタバタしてるんだろうな。詳しくはわからないけど、自己破産ってのも時間かかるみたいで。とりあえずオレはバイトでしのぐしかないからさ」
「卒業したらどうするの?」
「まだ何も決めてない。今回のデモ・テープでソニック・レコード引っかからなかったら、、うーん、尼崎に帰らなきゃいけないのかなぁ?」
詩織がカバンから何かを取り出して、テーブルに置いた。透明のポーチに入っているが、銀行の預金通帳と印鑑だ。
「ケイタ、悪く思わないでね。コレ使ってほしいの。ぜんぜんたいした金額じゃないんだけど」
「えっ?」
「シュウには内緒にしてね。将来お店やりたいなぁと思って、少しずつ貯めてたの。シュウはお金あると使っちゃうからこっそりと。ケイタには音楽続けてほしいのよ」
ぼくはポーチを開け、通帳を開いた。毎月2万とか3万とか、総額は100万を超えた金額だ。
「ね、たいしたことないの。でもこれで卒業くらいまで持たせられれば、音楽の方もなんとかなるかもしれないでしょ。わたし、ケイタの家にはお世話になってたから、恩があるから、放っとくなんてできないの」
「詩織・・・」
「お金はまた働けばいいだけだから。ケイタが音楽続けてくれないと、シュウまたダメになっちゃう」
「・・・」
ぼくには何も言えなかった。通帳は預ることにした。使うつもりはないけれど、返すこともできない。
いろんな葛藤があった。一緒にやってきたシュウに対してとか、シュウとの活動を後押ししてくれた詩織に対してとか。それでも最終的には、ソニック・レコードで寺田さんのお世話になるしか、ぼくには道がなかった。大学の卒業を控え、何も決まっていない未来を前に、音楽を続けることができるんだ。願ってもない話だ。ぼくは音楽を続けたかった。
ヘア・メイク担当の若い女性の人が、慣れた手付きでぼくの髪をひねっている。スタイリストが用意した服に着替える。自分じゃ絶対こんな服買わないわ。鏡に映る自分は、なんだか自分じゃないみたいだ。
撮影スタジオ。シャッターを切る音に合わせフラッシュが焚かれる。ぼくはただ指示されたポーズを取るだけだ。宣伝などに使うアーティスト写真。そこにはぼくの顔をした別の自分、アーティストとしての山口ケイタがいた。
ぼくはある時から、自分の意思を捨てることにした。一人の新人アーティストを売り出すために、どれだけの人が関わり、どれだけの意見が飛び交い、方向性だの戦略だのとプランが立てられ、当然大きなお金も動く。とてもじゃないけど、ぼく一人で立ち向かえる世界じゃないことを知るわけだ。
ぼくがしたことと言えば、寺田さんの指示で何度も歌詞を書き直したことくらいかな。ぼくとは関係ない所で、いろいろなプロモーションの計画が立てられ、レコーディングのスケジュールも決められ、ようやくデビューが決まった。ぼくからしたら、架空のアーティスト『山口ケイタ』のデビューだ。
その頃のぼくはまだ、詩織が倒れ、東京にいないことを知らなかった。
ーつづくー