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氷の国の第一王子①


「はい」

「ありがとうお兄様」


カルディアはぶどうジュースを渡されて、ちびりちびり飲んだ。もうお酒は飲める歳なのだが、ティンダムの計らいで飲まないようにされているのである。カルディアはそんなこととは知らず、おいしいおいしいと。ちいさい口で飲んでいる。


ダンスホールに入ってすぐ。ティンダムはカルディアをエスコートしつつ、目立たない、影のある空間に誘導した。その間にも、チラチラとカルディアを見ては、惚ける男たちがいたので、兄は凍てつく視線で彼らを脅したのである。

しかし。そんな過保護な兄の存在に怯むことなく、カルディアに近づく男がいた。


「素敵な夜ですね、可愛らしいウサギのレディ」

「ア。ケイス卿!」

「こんばんは」

「ええ、こんばんは。あなたも来ていたのね」

「まあ。ウチの妹もデビュタントだからね。そのついで」

「そうだったの。あとで紹介してくれないかしら」

「喜んで」


ハロルドは薄茶色の髪の毛を丁寧に後ろに撫でつけ、高貴な顔をしていた。カルディアは何だかそれが可笑しくって、会話の途中に笑ってしまう。

「どうしたの?」と問われれば、「ケイス卿があんまり素敵なものですから」と冗談を言う。マア、あながち冗談でもないが。

ハロルドはそれを聞いて、ニコと笑うと。膝をついて、カルディアの右手を取った。


「カルディア。美しいウサギのレディ。私と一曲踊ってくれませんか」

「……ふふ。ええ、喜んで」


了承の言葉を聞いて、ハロルドは取った手の甲に軽くキスをした。それから立ち上がって、彼女をホールの中心に連れていく。

何も言わずに離れたことを思い出して、カルディアは慌てて振り向いた。見れば、ティンダムが兄の顔で笑って手を振ったので、「いってきます」と唇で伝えた。


ハロルドもカルディアもダンスが上手かった。だから、歩くようにダンスをして、いつものように会話を愉しんでいた。


「ずいぶんお兄さんに可愛がられているんだね」

「そうみたい。私もお兄様たちのこと大好きよ」

「私のことは?」

「ケイス卿も嫌いじゃないわ。ただ、その憎たらしい口が惜しいだけ」

「ククっ!それはどうにもできないな」


恋愛の駆け引きみたいな会話も、彼らにとっては他愛ないものである。恋愛に満たない、幼い感情は、友人のそれか。兄妹のものか。それは二人にも分からない。

カルディアは、真摯に目の前の男を見つめた。ハロルドも、可憐な女を花を愛でるように見た。


「そういえば、今日は特別な来賓があるって聞いたけど……」

「そうなの?」

「あれ、知らなかったのかい?」

「ええ。興味ありませんもの」

「あなたらしい」

「どうも」

「ククッ……。それで、その来賓っていうのが、氷の国の第一王子らしい」

「エ」


足が止まった。心臓も止まりそうだった。

ハロルドが心配そうに声を掛けてくれるが、よく聞き取れない。それでも何とか曖昧に返事をして、ぎこちなく踊りを続けた。

まさか。氷の国の第一王子が、この場にいるですって……。

今朝の悪夢を思い出しては、脂汗が滲み、気分が悪くなる。

カルディアは完全に動揺していた。しないわけがなかった。

ハロルドはカルディアの異変に気付くと、すぐにダンスの輪から外れて、端の方で休憩させた。

途中で貰った水を彼女に渡す。けれども、その手は小刻みに震えていて、グラスを落としそうだったから、ハロルドが彼女の手をしっかり包んだ。


「大丈夫だ、カルディア。ゆっくり深呼吸をして」

「っ」


焦点の合わない瞳。震える身体。青白い顔。カルディアは、何かを怖がっている、のか……?

ハロルドは汗で張り付いた栗毛を優しくよけてあげた。それからも、カルディアのまあるくて白い頬を、親指の腹で何度も撫でる。大丈夫。怖くない、という意味を込めて。

しばらくそうしていると、カルディアは落ち着いてきたようだった。声を出そうと、喉元に手を当てる。


「ア」

「無理して話さなくていい」

「ケ、イスきょ……」

「私がいる。だから怖くないよ。何ていったって、私は魔法が使えるのだからね」

「っ」


ハロルドは茶目っ気のあるウインクをした。彼なりの思いやりである。それを知って、カルディアは泣きそうになった。

私の周りは優しい人ばかりね。

ちいさく深呼吸をして、心を穏やかにする。そうして、強い瞳でハロルドを見つめた。彼女が真剣だったので、彼も真剣に向き合った。


「ケイス卿、信じられない話だけれど聞いて」

「ウン」

「私は、氷の国の王子様と結婚して、彼に殺されるみたいなの」

「…………エ?」

「私も信じられないわ。でも、何だか確信があるの」

「……いや。信じるよ」

「ウン……ありがとう」


ハロルドはカルディアの曖昧な説明でも信じた。信じようとしていた。それはきっと彼女の話だったからだろう。


「それで?その王子っていうのは」

「どっちのことか分からないんだけど」


カルディアは今朝の夢を思い出す。前回より鮮明に見た王子様の姿。

薄暗い部屋で、真白に光る髪の毛と。冷たいプラチナの瞳。鋭い目つきは針のようで、笑わぬ唇は赤かった。

その美しい顔は、彫刻そのものであった。彼の血は、はたして赤いのだろうか。


「もし。第一王子が、私を殺す王子だったら……私は……」

「カルディア。今すぐ帰ろう」

「ア」


揺れたピスタチオグリーンを見た衝動。ハロルドは紳士の振る舞いを忘れて、彼女の腕を引いた。

ここから連れ出さなくては。氷の国の第一王子に会わせてはいけない。直感がそう言っている。

カルディアは、歩幅の違うハロルドについていくのに精いっぱいで、もたれる足を懸命に前に出す。人をよけて、人にぶつかり、「ごめんなさい」と言って抜けていった。

メイドに整えられた髪は乱れ、静電気で綿毛のように浮いていた。

人込みのなか。ハロルドを呼ぶ声がある。


「ハロルド殿?どうされましたか」

「あ、ああ。テイラード公。すみません。妹の気分が優れないようなので、馬車まで送るところです」

「ン?君の妹とは、ケイス侯爵と一緒に先ほど会ったのだが……」

「テイラード公……。そういうことにしておいてもらえませんか?」

「……なるほど。面白い」


ハロルドは黒い塊を腹に隠すように、意味深な笑みを見せる。テイラード公爵は彼の余興に乗ってやろうと思った。何せ、あのハロルド・ケイスが。女性関係については全くの謎であるハロルド・ケイスがパーティ会場から女を引き抜いていたのだから。こいつに見初められた女はどんなに美しいかな。

ハロルドの後ろについて通り去る女をチラと見た。

白いドレス……。デビュタントか。

それから、ちいさな顔を見て。


「っ」


公爵は数秒。自分が何者であるのかを忘れた。ここに何しに来たのか、どうして自分は産まれたのか。知らず、省みていた。

意識を元に戻したとき、ああ。と思った。

女神に会ったのだ、と。

子どものころから語られてきた女神像とはずいぶん違っていたが、あの女こそ女神だと思った。

美しいには違いないのだが、女は愛らしかった。愛らしい女神であった。

赤く張った皮膚は感動を放出せんと張って、全身の細胞は興奮を叫んでいる。

公爵はひとり。ダンスホールで涙を流した。






「カルディア!」

「っ!エリオット殿下!」


会場をようやく抜け出したところの大広間。二階に繋がる階段からパタパタと降りてきたのは、ここにいるはずのないエリオットであった。

カルディアは目を丸くした。ハロルドも同様である。


「ど、どうしてこちらに……」

「カルディア、どこいくの?もうかえるの?かえらないで、ぼくとあそんで」

「で、殿下……」


エリオットはカルディアのドレスにしがみついて、駄々をこねた。王子と言えど、エリオットは五歳である。寂しいときは寂しいというし、遊びたいときは遊ぶ。そんな幼い子どもである。聞き分けなんてありはしない。

どうしてエリオット殿下が……?

疑問はあるが、とりあえず。

カルディアはいつかのようにしゃがんで、エリオットと目線を合わせる。ちいさな手をそれぞれに握って、優しく笑った。


「まだ帰りませんよ。ですが、今日はもう遅いので遊べませんわ。その代わり。エリオット殿下のお部屋までご一緒してもいいですか?」

「……ウン。あ、でも」

「?」

「碧の王子、ここにいたか」

「!」


上から、冷たさを均等に並べた声があった。それは、まるで氷霧のようで。カルディアの身体は寒さと恐怖を感じて、鳥肌が立っていた。

エリオットの後ろから、階段を降りてくる音がする。カツン。カツン。ゆっくりと、地獄の門が開いていくような音だった。

カルディアは顔をあげられず、ただ、息を潜めて汗をかいていた。見てもいないのに、何故だか近づいている人物の見当はついている。

いけない。さっさと帰らなかったからだわ。

絶望し、ふと。可能性を思い出す。

そうと決まったわけではない。まだ顔を見ていないのだから、もしかしたら夢の中の王子ではないかもしれない。

カルディアは希望の尻尾を掴んだ気分になって、おそるおそる。顔をあげた。


「っ」


ア。

カルディアは後悔した。美しい、彫刻のような顔を見て、また絶望した。

目の前の男が、夢の中の冷血王子と嫌になるくらい重なったのである。

オスカー・フォン・アイスラーク。氷の国の第一王子。

彼が私を殺すのだ、と。カルディアは静かに悟った。




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