かわいい王子と失礼な男
エリオット王子と遭遇してから数日後。
ジムニー男爵家は大慌てで外出の準備をしていた。
「サラ、この服変じゃないかしら」
「いいえ奥様。たいへんお似合いですよ」
「だ、旦那様!お待ちください、まだこちらが……っ」
「ああ、ああ。イカンな。どうにも落ち着かん」
「ハハハ!そりゃそうだ。俺だって驚いたよ。まさか、ウチみたいな弱小貴族が王宮に招待されるなんてな」
「ウチって言っても、招待されたのはカルディアでしょう?カルディアの付き添いで、お父様とお母様が行くだけで」
「そうですわ。わたくしたち兄弟はお留守番ですよ」
「カルディア……。何かやらかしたのかね」
「何もやらかしてませんわ、ティンダムお兄様」
騒がしい広間に入ってきたのは、支度を済ませたカルディアで。お調子者の長男、ロックス・ジムニーがそれを見て「オ。主役のお出ましだ」と冷やかす。
カルディアが広間に入ると、姉二人が寄ってカルディアを見つめた。ウットリとした目である。
「一段と愛らしいこと」
長女、テネシア・ジムニーはカルディアの綿菓子のような栗毛を一束掬って、キスを落とした。
「悪い妖精サンに連れていかれませんように」
次女のバレット・ジムニーは、カルディアの真雪のような柔い左手を包んで、自分の胸で抱きしめた。
「ふふっ。私は今日も、お姉様たちの妹であることを嬉しく思いますわ」
「カルディア……」
姉二人は可愛いことを言うカルディアを優しく抱きしめた。ロックスはそれを見て「姉妹仲のいいことで」と不貞腐れたように言う。が、ティンダムがテネシアとバレットの上からカルディアを抱きしめたのを見ると、何だか悔しくなって、年下たちを丸ごと抱き込んだ。
「お戯れもそこまでよ。カルディア、そろそろ行きましょう」
「はい、お母様」
「テネシア、家のことは任せたぞ」
「はい。お気をつけていってらっしゃいまし」
兄姉たちは揃って玄関までやってきて、カルディアたちを見送った。
カルディアは馬車に揺られながら、チョットだけ不安になっていた。
普通の令嬢であれば、きっと浮足立って王宮へ向かうだろう。年頃の娘が憧れるロマンである。しかし、カルディアはそういうロマンを含め、豪奢な建物や宝石、ドレスやアクセサリーなどに興味がなかった。興味があるとすれば、釣りや狩猟、山菜取りに作物の栽培といった、血生臭くて泥臭いものであった。
いち貴族の令嬢としてどうかと思われる趣味を、男爵は仕方なしに許している。許す一方で、いくつかの約束事もしていた。ひとつは、カルディアが社交界デビューするまでに、キチンと淑女教育を受け、その全てを会得すること。であるが、これはすでに十四のときに達成していた。それと同時、刺繍や裁縫、ダンスにテーブルマナーなどで雇った先生方は男爵家との契約を早々に終え、それ以来屋敷に足を運んでいない。
いまだ、マンドリクがカルディアの教育係を担っているのは、彼女たっての希望で、カルディアの興味に沿った学習が施されていた。
マア。マンドリクが、カルディアの興味を自分のやりやすい方向へ誘発していることもあるのだがが。元来純粋なカルディアがそれを知る由はないのである。
カルディアは車の窓から街を覗く。お昼時だからか、レストランは賑やかで、露天も列を成していた。ああ、私もあの中へ混ざりたい。町娘の恰好をして、鳥の串焼きを食べたいわあ。
憂いが吐息になる。
王宮に行って、何をするのかしら。
すぐに帰れるといいのだけれど……。帰ったら、畑に植えた紅芋を収穫して、皆のおやつにしよう。
そんなことを考えていれば、あっという間に王宮に着いた。
謁見の間にて。カルディア、ジムニー男爵、男爵夫人の三人は玉座に通じる黄金色の絨毯をその足で踏み、最上の礼をした姿勢で、国王と王妃の入場を待っていた。
何の音のしないところから、扉の開く音がする。重い扉の音であり、高揚感を煽る音である。
国王、王妃が座ったのを感じ取ると、カルディアが口を開けた。
「お目にかかれて光栄です。国王陛下、王妃殿下。ジムニー男爵家が三女、カルディア・ジムニーにございます。本日のご招待、誠に嬉しく思います」
「ああ。来てくれてありがとう。カルディア嬢、そしてジムニー男爵、男爵夫人」
「面をあげて、楽にしてくれ」と国王が言えば、カルディアたちはそれに従う。近くで国王を見る機会など、そうそうにないので、カルディアはジッと高貴な御方を見つめてしまった。国王は見られていることに気づいたけれど、全く意に返さず、薄く笑んでいた。
岩を削ったような四角い顔に、漆黒の瞳が力強い。身体が大きく見えるのは、隆々たる筋肉の存在だけではないだろう。威厳があり、公明正大な国王である。
カルディアは、国王のその様に圧倒され、息をするのも忘れていた。
「本日、カルディア嬢を招いたのは、先日の礼と、頼みがあるからなのだ」
「ア」
国王は眉尻を下げて、困ったような顔をした。それを見て、カルディアは父親の顔だと思った。
「先日は、我が息子、エリオットを助けてくれてありがとう」
「とんでもございません。偶然にございます」
「いや。それでも、嬢は善い行いをした。国王として嬉しいことである」
「恐れ入ります、陛下」
カルディアは再び、礼の姿勢に戻る。王宮なんてと思っていたカルディアも、国王と話している今は大いに興奮していた。目はかっ開いて、じくじくと血液が指の先、足の先を巡るのが分かった。汗の玉が一滴。こめかみを伝って、顎に留まる。それを感じて、いけないと思うも、拭われない玉は呆気なく絨毯に落ちた。
「それで……」
「?」
国王は言い淀む。
カルディアは何かしらと、緊張と興奮で紅潮した顔をあげた。
「息子が、またカルディア嬢に会いたいと言っているのだが。どうだろう、相手をしてやってはくれないか」
「ありがたき幸せにございます。エリオット様のお相手、カルディア・ジムニーがお承りいたします」
間髪を入れずに返事をしていた。半ば、反射である。
まさか。国王からのお願いを断るような国民はいないだろう。それも、こんなに立派な国王陛下の。
だからカルディアも快く引き受けたのであった。
「こんにちは。殿下」
「!」
「お久しぶりですね」
「カルディア!」
中庭に案内されて行けば、エリオットがガゼボで静かに本を読んでいた。そこでカルディアは、ビックリさせようと思っていたずらをはたらいたのである。
カルディアを見つめる目は丸から、三日月になって。それを見た彼女も嬉しくなって笑った。さっきまでの緊張は消え、穏やかな心地になる。
フフ、エリオット様は天使みたいだわ。白い餅のような頬に、カルディアは思った。
エリオットは読んでいた本をパタンと閉じると、カルディアの腕を引いてガゼボを降りた。
「みせたいものがあるんだ」
「?」
得意気な口元はちいさくてかわいい。カルディアは「何かしら」と言って、喜んで腕を引っ張られた。後ろからこの前の護衛の青年もついてきていた。たしか名前は、ヴィ―さん……だったかしら。
「これみて」
「ワ!」
連れてこられたのは、薔薇の広がる庭園。全方向に色とりどりの薔薇が、綺麗に区分けされて植わっている。虹の国を象徴する七色が、この庭に全て集まっていた。カルディアは目を瞠って、感嘆の息を漏らす。
「素敵……」
「よかった。ぼくは、はなとかよくわからないんだけど、ママがおはなすきだから。カルディアもすきかなって、おもって……」
「殿下」
なんて愛らしいのだろう。カルディアはものすごくエリオットを抱きしめたくなった。潰れるくらいに、この気持ちを伝えたいと思った。嬉しい……。
この美しい光景を見られたこともそうだけれど。何より、エリオットがカルディアのことを思って、この薔薇園に連れて来てくれたことが嬉しかった。
「ありがとうございます殿下。私は果報者ですわ」
「カホウ?」
「しあわせ、という意味です。私はエリオット殿下のおかげで幸せになりました、と申しましたの」
「カルディア、しあわせになった……?」
「ええ、とっても」
エリオットはキラキラ笑って、頬を染めた。カルディアも愛らしい王子の様子に微笑んで、また、どこまでも続きそうな薔薇をウットリ見つめていた。
珍しい色の薔薇をこんなに栽培しているなんて。王宮の庭師はいったいどれほど優秀なのだろう。カルディアの興味は結局そこに行きつく。
ジーッと一本の薔薇を見つめていれば、エリオットが「これほしいの?」と勘違いをした。カルディアは否定するが、エリオットの耳には届いていなかった。否定するよりも早く。エリオットは薔薇をもぎ取ろうとしたからである。
「っ!!」
「殿下!!」
茎に生えた鋭利な棘が、エリオットの白い手に傷をつける。手の皺に血が広がっていく。
慌てて駆け寄る護衛より先に、カルディアはエリオットを横抱きにした。エリオットの目が丸くなる。
「手洗い場はどこ!」
「ア、アチラで……」
「っ」
カルディアはお礼も忘れて、駆けていく。
エリオットは泣かなかった。カルディアがかっこよくて、美しくて、女神のように見えて。ただ、見惚れていた。
「これでもう大丈夫ですよ」
「……ウン。あ、ありがとう」
「薔薇は棘があるので、気を付けてくださいね。摘むときは、庭師の方にお願いなさるといいと思いますわ」
カルディアは水道の蛇口を締めた。傷口に触れないように、エリオットの右手を優しく包む。エリオットは何だかドギマギしていた。
「あとは、コレを巻いて……」
どこからか取り出したハンカチをエリオットの手に巻きつける。肌触りの良い、柔らかなシルクであった。
エリオットは「よ、よごれる」と慌てて、ハンカチを外してしまった。カルディアはチョット呆れたように、困ったように眉を下げて、エリオットの手からハンカチを奪う。そうして、もう一度巻き直そうとしたときである。
「ア」
背中を押されるように風が吹いて、カルディアの手からハンカチが離れた。それは、いともたやすく舞い上がって。近くの木の枝に引っかかる。
「ぼ、ぼくがとる」
「いえ、私に取らせてください。殿下」
「だめ」
「あら。殿下は私が木に登れないとお思いで?」
「ウン」
「ふふ。よくお分かりでしたね。私、チョットばかり木登りが苦手ですの。だから、降りてこられないかもしれないですね。そうしたら、殿下が私を助けてくださいますか?」
「……ウン」
「ありがとうございます。それでは、登りますね」
嘘である。カルディアは木登りが大の得意だった。はしたなくはなるけれど、ドレスを着ながら登ることもできた。ただ、エリオットに登らせたくなかった。手を怪我しているから、という理由もそうだし、王子殿下を登らせて、自分は悠々と見物に耽るマネはしたくなかったのである。
カルディアは重いドレスの裾をチョイと持ち上げて、幹に脚を掛ける。リズムよく、微妙な窪みに、出っ張りに爪先を載せ、グングン登っていった。今度は太い枝に跨って、横方向に進んでいく。っしょ、っしょ。進むごとに小さく声を出す。
あとちょっと。手を伸ばしたカルディアは、オマケの葉っぱがついたハンカチを掴むと「やった!」と喜んだ。しかしそれは一瞬のもので。
「!」
「カルディア!」
ベキ。と枝が軋む音がすれば、道連れのごとく枝は折れ、カルディアは地面に落下する。垂直に。突然すぎて、声すら上げられなかった。
「……」
ン?
しかし。地面に叩きつけられる衝撃、骨の砕ける音はなかった。
何だかおかしいわ。身体は痛くないし、それに――。
「ェ」
カルディアは遠くに空を見た。さっきまで地面が見えていたというのに。どうして。
それから、自分が何かの影の中にいて、何かに身体を支えられていることに気付く。
……え。
目に入る燃えるような赤の弓張り月と、ヘーゼルナッツを埋め込んだ瞳が美しい。陽の光に透ける毛先は、薄茶色であった。
カルディアはパチクリ、瞬きを数回。それから、口を半分開け、小刻みに震わせてから、赤くなる顔を両手で覆った。
「お怪我はありませんか?」
「~~~」
恥ずかしい。恥ずかしいわ!
カルディアは恥ずかしすぎて声は出ないわ、震えるわで、大変なことになっていた。しかもチョットだけ泣いていた。いっそ、自分を抱える男を気絶させたいと思った。カルディアならそのくらい朝飯前である。
しかし、生憎。両手は顔を覆うのに必死で、塞がってしまっている。
助けられてしまった不甲斐なさにすっかりショックを受けていると、上から微かに笑う声がした。
それを不快に思って、カルディアは覆った両手に隙間を開けて、薄く男を覗く。
「いや。すみません。クククっ……」
「な、何ですか?」
「ククっ。何だか人見知りのウサギのように思えてしまいまして。すみません」
カルディアは揶揄われていると思った。半ば逆ギレで「降ろしてください」と低い声で言えば、男は素直に従った。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「どういたしまして。可愛らしいウサギのご令嬢」
「!」
ドレスを摘まんで、淡々と淑女の礼をする。男の顔を見ないで言う礼は、これが一番であった。さっさと挨拶して、帰りましょう。
しかし。退がろうとするカルディアの耳に、男のミントのような声で、心外な言葉が放たれるのを聞くと、立ち止まってしまった。
「先ほどから聞きますけれど、見ず知らずの女性を動物に例えて呼ぶのは、失礼ではありませんか?」
「不快に思われたのなら謝ります。申し訳ありません。……ですが、あなたのお名前を知らない私は、こう呼ぶことしかできません」
「普通に呼んでください」
「これが私の普通ですよ、可愛らしいウサギのご令嬢」
「カルディアですわ!」
「そう。……ウン。可愛らしい名前だ。覚えておこう、カルディア嬢」
「ァ」
カルディアは負けた。見た目優男に一杯食わされて負けたのである。腹をイライラさせていたから、簡単に転がされた。
男の術中に嵌ったカルディアが、次なる怒りを煮えたぎらせる。そのときである。
男はカルディアの固く閉じた拳のひとつをそっと持ち上げて、その甲に柔らかいキスをした。
そして。
「ハロルド・ケイスと申します。それでは、またあなたに会えることを、楽しみにしています」
折った腰から顔をあげて、下からカルディアの瞳を覗き込んだ。カルディアはハロルドの端正な顔に、不意にドキリとしてしまう。それに気づいた男は、可笑しくなってまた喉を鳴らした。初いな、と思ったのである。そうして、本殿のある方へ静かに去っていった。
カルディアは可愛い顔をしかめて、男の口づけた右手を見た。
「カルディア、だいじょうぶ?」
「ア、殿下……」
カルディアはエリオットの存在をスッカリ忘れていた。
ちいさい王子の揺れる碧を見つめ返して、優しく笑んだ。癒される……。
「大丈夫ですよ。さ、戻りましょうか」
「ウン」
カルディアとエリオットは手を繋いで、薔薇園を抜けた。
帰りの道中。馬車のなかで、カルディアは不思議に思った。
あの薔薇園にはカルディアとエリオット。それから、王子の護衛がいるだけで、他の人は近くにいなかったはずであった。そもそも薔薇園には彼ら以外いなかった。
それなのにハロルドという男は、カルディアが木から落ちたときになぜ助けることができたのだろうか。まるでずっと側にいて、見ていたような……。
別れ際にエリオットに尋ねてみたが、彼のことは知らないようだったから、おそらく王子の護衛ではないだろう。それなら、いったい何者なんだろうか。
カルディアは考えてもまるで分らなかった。ふと、ハロルドにキスされた右手を見て、彼のカラッとした笑い顔を思い出す。
顔はよかったけれど、性格が最悪だわ。マンドリク先生をこね回してちぎって、また繋げたみたいな性格。
カルディアは嫌な男ね、と思いながら、静かに笑っていた。