少女の本音
カルディア・ジムニーは、ジムニー男爵の三女である。その家族は、父、母、長女、長男、次女、次男、そしてカルディア。毎日贅沢をするにはチョットばかり足りないところはあるけれど、自然豊かな虹の国で皆仲良く暮らしていた。
「先生、先生。氷の国の王子様って、どんな方ですか?」
「おや。彼の方々にご興味がおありで」
「ン〜、興味というか……敵を知ろうとおも」
「テキ?」
「エ、あ。そう、なんですよ!チョット興味がありまして、ね。自国のことは粗方学びましたから、外国のことももっと知りたいと言いますか……アハハ」
「そうですね。次回からは、他国についても学べるようにいたします」
「ありがとうございます、先生」
晴れた日の昼下がり。
カルディアは、自分用の書斎で家庭教師のミラー・マンドリクと勉強をしていた。「本日の授業はここまで」と言って退出しようとするマンドリクを引き留めて、いま最も気になることを訊いたのだ。
マンドリクは座るカルディアの横に立って、書棚を見ながらぽつぽつと説明を始める。
「氷の国の第一王子は、オスカー・フォン・アイスラーク殿下です。現国王陛下と王妃殿下の嫡男にございます。それから第二王子は、側室の公爵令嬢を母にもつ、シリウス・フォン・アイスラーク殿下です。カルディア様は、いったいどちらの王子殿下にご興味がおありでしょう?」
「……」
何だかチョット揶揄われているのかしら。マンドリク先生は、きっと私に恋愛感情の毛が生え始めたと思っているのだわ。恋愛なんて興味ないのに。
カルディアはムスッとしてみるけれど、そういえば、と思う。
氷の国の王子様と結婚して殺されるのは知っているけど、どっちなんだろう。王子が二人もいるなんて知らなかったから、考えが及ばなかったわ。
カルディアは困って、横のマンドリクをチラ、と見る。すると、彼はニコと笑うだけで、何も言わなかった。いじわる……。
マンドリク先生って、性悪だわ。気づいていたけど。
「結婚できなさそう」
「何か」
「第一王子のことを教えてください」
「かしこまりました」
マンドリクは地獄耳だった。
「先ほども申しました通り、第一王子はオスカー殿下です。御歳はカルディア様の三つ上。現在、十九歳でございます。たいへんに聡明で、見識が広いとのこと。国王になるべくして産まれた御方だと、専らの評判にございます。それに……」
「ウン」
「かなりの美丈夫だそうで。マアこれは噂ですから、実のところ、どうなのかは分かりません」
「へえ……」
国王になるべくして産まれた、ね。
カルディアはマンドリクの話を聞いても、あんまりイメージが湧かなかった。何だか、遠い空に浮かぶ白雲のような存在だと思った。
ふわふわ。輪郭の見えないオスカー像は煙のように消えていく。
「それじゃあ、第二王子はどんな方?」
「第二王子のシリウス殿下は、控えめな方だと聞いております。ご年齢が十四歳ということもあり、まだ正式に社交界デビューなさっていませんので、オスカー殿下よりも詳細な実態は掴めておりません。しかし、オスカー殿下に引けを取らず、美しい方だと言われています。こちらも噂ですが」
話し終えたマンドリクは机に立て掛けた杖を取り、コツンコツンと床を突きながら短い挨拶をして退室した。
それからカルディアはウーンと、考える。
どちらが自分を氷漬けにする冷血王子か、と。
第一王子は聡明で国王の気質がある。第二王子に関しては情報が乏しいので、よく分からない。
カルディアは小さい頭でグルグル考えた。
そして。
「分かるわけないわ!」
勢いよく部屋を飛び出していったのだった。
カンカン。コンコン。
鉄を打つ音が心地よく流れる場所――城下の鍛冶屋にカルディアは忍び込んでいた。
「ミルトン!」
「……」
「おーい、ミルトーン」
「……」
「ミ・ル・ト・ン!」
「わあああ!」
ミルトンと呼ばれた少年は作っていた剣を手放して、椅子から転げ落ちた。カルディアはアハアハ笑って、彼に手を差し出す。せっかく手を貸そうと思ったのに、ミルトンが自力で起き上がったものだから、彼女は面白くなかった。「つまんないわ」と言ってそっぽを向いてしまう。
「どうしたの。また抜け出してきたの?」
「そうね。そんな感じ」
「ふーん」
「ネ。ミルトンてさ、どんな子が好き?」
「……は?」
「だから、どんな女の子が好みなのかって聞いてるの」
グッと顔を近づけられて、ミルトンは慌てた。どもりながらカルディアの名前を呼んで、華奢な肩を引き剥がす。
それから深呼吸をひとつ。落ち着いてから、カルディアに向き直った。
「カルディア、何かあったね?」
「……」
「全部話さなくていいよ。話したいこと、訊きたいことだけ訊いて」
「……ウン。あ、のね。今朝、怖い夢を見たわ。私の未来の夢。私が結婚相手に殺されて、死んでしまう夢……」
「カルディア……」
カルディアは初めてそれを口に出して、自分が泣きそうになっていることに気付いた。声は震えて、弱弱しい。
ミルトンがそっと彼女の右手を握った。大丈夫だよ。そんな声が聞こえてくる。カルディアはチョットだけ安心して、ミルトンを優しい目で見た。
「結婚したくないと思ったわ。怖い思いをするくらいなら、優しくて大好きなお父様たち、ミルトンやみんなに囲まれて、ずっとここで暮らしたい……!」
「っ」
「このままがいいわ。ずっとこのまま……。ミルトン……ミルトンも、結婚なんてしないでよ?」
「っ……。ああ、きっとしないよ。カルディア」
ピスタチオグリーンの綺麗な瞳が、涙で濡れて揺れていた。ミルトンは衝動的に彼女を腕の中に収めて、ぐずる赤子をあやすように、ゆっくり。ゆっくりと、背中を撫でた。
ミルトンは彼女を抱きしめながら思う。
できもしないことを言ってしまった。ボクは近いうちに結婚するだろうし、カルディアもこれから社交界で出会う好き男と結婚するだろう。貴族で、しかも女の子だから。カルディアの意思に反して結婚の話は進んでいく。そうなったら、結婚して幸せだと言ってほしい。たとえボクたちが側にいなくても、この国でなかろうとも。幸せで溢れていてほしい。だって、カルディアに悲しい顔は似合わないから。
しばらく二人は抱きしめ合っていた。カルディアの呼吸が静かになったのを肌で感じて、ミルトンは彼女の頬に纏わりついた癖のある栗毛を、まあるく撫でてよけてあげた。睫毛はまだ、しっとり濡れていた。
「落ち着いた?」
「……ウン」
「ボクは、カルディアの一番近いお兄チャンだからね。また何かあったら、いつでもおいで」
「……ありがとう、ミルトン」
カルディアの真っ赤になった鼻をツツ、と人差し指で突く。すると、彼女が笑ったので、つられて彼も笑った。
鍛冶屋からの帰り道。
カルディアは赤くなった目元を擦りながら、トボトボと歩いていた。
夕日の赤が目に染みる……。
そう思って早く帰ろうと、歩を速めたときである。
「!」
ドレスの裾を引っ張られて、思わず立ち止まる。振り返れば、視界の隅に淡いブルーが見えて、目線を落とす。そこに、ちいさな男の子が頬を膨らませて立っていた。今にも泣きだしそうである。
カルディアは男の子の身長に合わせてしゃがんで、ニコ、と笑った。
「こんにちは。私はカルディア。ボクのお名前は、なんて言うの?」
「……エリオット」
「エリオット、素敵な名前ね。パパとママがつけてくれたの?」
「ウン」
「そうなの。エリオットに素敵な名前をくれたパパとママに、私も会いたいわ……。パパとママはどこにいるのかしら?」
「……わ、わから、ない」
「ア」
エリオットは堪えていた涙をとめどなく流した。カルディアは男の子を抱きかかえ、「ヨシヨシ」「大丈夫だよ」と声を掛けた。
ミルトンもこんな気持ちだったのかしら。
先ほどの出来事を思い出しては、チョットだけ恥ずかしくなる。カルディアの目元は、男の子のように赤いままであった。
早いうちにこの子を親御さんの元へ帰してあげなくちゃ。
夕日は半分沈んで、夜の風が舞い込んでいる。
カルディアはいっそう明るく笑って、エリオットを呼ぶ。
「カルディアお姉チャンと一緒に探しましょ」
エリオットはべしゃべしゃの顔のまま、コクリ。頷いた。
さて。
「ね、エリオットのお家はどこ?」
「……」
「エ」
カルディアに抱きかかえられたまま、エリオットは指を差す。
それも、この国で一等大きな建物を。
それつまり、宮殿である。
エ、エリオットって、何者なの……。
何だか嫌な予感がした。警告するかのように汗腺が開く。
「お城に、住んでいるの?」
コクリ。
お願い。
「パ、パパと、ママって……何、してる人、かしら……」
「オウサマだって、いってた。ママは、オキサキサマなんだって」
違うと言ってほしかった。エリオットから「いまのはぜーんぶウソ。ドッキリ。やーい、ひっかかったひっかかった~」と悪ガキの言う台詞が出てくるのを待ったけれど、無垢な碧い瞳は嘘など吐いていなかった。
ど、どうしよう。きっと王子には護衛がついているはず。今ははぐれているだけで――マア、あってはならないことなんだけど――そのうち見つかる。そうしたら、私は誘拐犯にされるかしら。「たまたま通りがかった親切なお姉さん」と言ったら、信用してくれるかしら。
カルディアは大きく息を吐いた。困ったわ、と思ったとき。
「エリオット様……っ!」
「!!ヴィ―!」
「ア」
ヴィ―と呼ばれた青年は顔面を白くしながら、エリオットの元へ駆けてきた。その後ろには数名の騎士が追いかけた。
エリオットも青年を見ると、カルディアの腕から飛び降りて走って行ってしまう。
それから、感動の再会と言わんばかり。仰々しくエリオットを心配して、何も異常がないことを確認していた。
カルディアは思う。
ヨシ。逃げよう、と。今しかチャンスはないのである。善は急げだ。誘拐犯にされる前に逃げてしまおう。
そう思ったのに。
「エリオット様、あの娘さんはどなたでしょうか?」
「!」
忍び足で退散しようとするカルディアを目敏く見つけたのはヴィ―と呼ばれる青年である。
「カルディアだよ。ぼくのパパとママにあいたいんだって」
「エ」
王子……。その言い方では誤解を生んでしまいますわ。
「会いたい」と言ったのは言葉の綾。エリオットが迷子なのかを、遠回しに聞くためにつかった口上にすぎない。それを本当のことだと受けとられた。エリオットは純粋な子であった。
カルディアは心なしか頭が痛むような気がした。いや、実際に頭は痛くなっているし、抱えたいくらいである。
青年はカルディアをチラ、と警戒の眼差しで見る。その射抜くような視線に、彼女の喉は無性に乾いていた。カルディアは青年の視線に囚われたまま、唾をのむ。
「ヴィ―!にらんじゃダメ!カルディアは、やさしい、いいひと。ぼくをたすけてくれたよ」
「……エリオット様」
「いじめないで」
「……申し訳、ございません」
カルディアはエリオットの手を取って、広場の真ん中でダンスを踊りたくなった。それくらい嬉しかった。
エリオットのおかげで、誘拐犯の疑惑は晴れた。ありがとう、エリオット王子。ありがとう、神様。
心の中の教会で、神とエリオットに感謝を告げる。
「さあ、帰りましょう」と青年がエリオットの手を引いて、いつの間にかやって来た馬車に乗せた。カルディアはエリオットに一礼をして、ちいさく手を振った。
エリオットは走る馬車から、顔をチョコっと出して「バイバイ」と言った。だからカルディアも馬車が去ってから「バイバイ」と返した。
日はすでに沈んでいて、街の明かりがキラキラと輝いていた。