四百年前の因縁
ひとりだと寂しくて死んでしまうと言われている儚い生き物が、こんなにも不遜な男と結びつかない。これまでのうさぎのイメージが総崩れしてしまうではないか。
こくりとカフェラテを飲み込むと、謙介がキッチンから顔を出した。
「南朋ちゃん、ぜひうさぎたちに触れていってね。うさぎは大人しいから、噛みつかれたらどうしようと心配しなくても大丈夫だよ」
謙介の心遣いに嬉しくなった南朋は頰を綻ばせる。
「うん、どうもありが……」
「やんちゃなやつは、口に触ったら噛むけどな。俺も噛みつくから、唇に触るなよ」
「言われなくても触りません」
口を挟んでくる因幡に即答しつつ、残ったカフェラテを飲み干す。「けっ」と短い悪態を吐いた因幡は、ふんぞり返って足を高々と組んだ。
木漏れ日が似合いそうな柔らかなこのうさぎカフェに、因幡の存在は不安要素に思える。それとも、本来の接客では礼儀正しいのだろうか。オーナーである謙介はどうして因幡を採用したのだろう。
「あの……謙介さん。因幡さんは友人なの?」
「そうだねえ、古い友人ということになるのかな。何しろ彼は、蔵にあった壺から出てきたからね」
「……壺から……」
謙介が何を言っているのかわからず、目を瞬かせる。
彼は南朋の隣に座ったので、因幡と謙介のふたりに挟まれることになった。
「うちに蔵があっただろう? あの蔵に、大妖怪が封印されているという家宝の壺があったんだよね。でも蓋を閉じている紙が劣化してぼろぼろになったから、剥がしたんだ。そうしたら中から煙が溢れ出して、気がついたら目の前に因幡が立っていたんだよ」
「……はあ」
壺から男性が現れるなんて、にわかには信じがたい。南朋は生返事をしたものの、その内容を空想とは言い切れなかった。
父が語った昔話と合致していたからだ。
直江兼続は、姫をさらおうとした大妖怪を封印した。そしてその壺は、上杉家の蔵に仕舞われたという。
因幡は拳を握りしめ、悔しげにこう言った。
「俺は直江兼続を絶対に許さねえ! あいつにやられたおかげで、大妖怪の俺が四百年も壺に押し込められていたんだからな」
南朋の背筋を冷たいものが伝う。
口端が引きつるのを必死に抑えながら、おそるおそる因幡に訊ねた。
「あのう……直江兼続は昔の武将だから、もう亡くなってるわよ? 因幡さんが壺で眠っていた間に、時代は変わったんじゃない?」
まだ、南朋は苗字を名のっていない。
南朋が直江兼続の暫定子孫であるとは、因幡は知らないはずだ。
「それはわかってる。四百年前、なお姫と俺は恋仲だった。それを親父の直江兼続が引き裂いたんだ。このまま引き下がれねえからな。俺は、直江の子孫を嫁にもらう。きっと、なお姫の生まれ変わりが俺を待っているはずだ」
「……へえ~、お嫁さん、見つかるといいね……」
待っていません、と言いたいが、寸前で呑み込む。
カフェラテを飲んだはずなのに、喉がカラカラに渇いていた。
南朋は直江家のひとり娘である。
どうやら、因幡の探している嫁とは、南朋ということになるらしいが……
そもそも彼の話は真実だろうか。なお姫と因幡が恋仲だったとは初耳だ。父の話のニュアンスは、因幡が無理やり姫をさらおうとしたという感じだった。
しかし、四百年の間に直江家に伝わる話がねじ曲げられたとも考えられる。直江兼続が娘と恋人との仲を裂いたなどという記述では、ご先祖様の威信が損なわれてしまうからだ。
それ以前に、四百年前の大妖怪という自己紹介が眉唾物だが。
ついと手を伸ばした南朋は、因幡の耳に触れてみた。
「うぉっ⁉」
「ひゃあ……あったかい、柔らかい……」
すべすべの皮膚は体温が高く、純白の毛は極上の質感だ。この手触りは作り物ではないと確信した。血の通った本物の耳だ。
因幡は驚いた声を上げたが、なぜか振り払おうとはしない。顔を真っ赤にしながら、南朋が触りやすいように頭を傾けた。
「おい、勝手に触るなよ。でも、もっと触っていいぞ」
「どっちなの。このへんでやめておきます。勝手に触ってごめんね、因幡さん」
うさぎの耳が本物かどうか確かめようと、迂闊に触ってしまった。うさぎは耳が敏感なので、無闇に触ってはいけないと聞いたことがある。
ぱっと手を離すと、因幡は不遜に言い放った。
「おまえの手は気持ちいいな。特別に、呼び捨てにすることを許してやる」
「ありがとう……因幡」
どこの殿様かな?
あなたはカフェのアルバイトだと思うんですけど。
これがまさしく殿様商売というやつだろうか。
大妖怪である因幡様の許可を得られたので、ありがたく呼び捨てにさせていただく。
『大妖怪』という肩書きはともかくとして、因幡は人外の者であるとわかった。
四百年もの間、壺に入っていたという話も本当かもしれない。彼は随分と浮き世離れしている。それに謙介は冗談を言うようなタイプではない。