おさわりカフェ!?
だが親戚の直江だから、どうだというのだろう。
アルバイトの因幡さんはどうにも態度が大きすぎる。
南朋の顔を舐めるように近づいてくるので、掌で押し戻しておいた。
「あのね、因幡さん。女の子にそんなに近づいたら誤解されるわよ?」
顔はいいのに残念な性格のようだ。
漆黒の髪と瞳の謙介と対比するように、白銀の髪と真紅の瞳という華美な因幡だが、見かけだけでなく中身も正反対である。
因幡は顔に掌を当てられても一歩も引かない。それどころか南朋の手首を取り、自らの顔から引き剥がすと、さらに身を寄せてきた。驚くほどの図々しさだ。
「重要なことだ。何しろ直江の姫だったら、俺の嫁になるんだからな」
「……はい?」
その言葉に、南朋は父の話を思い出した。
直江の姫といえば、直江兼続の娘である、なお姫のことではないだろうか。
けれど、あの逸話はご先祖様の創作ではないかと思う。歴史から消された姫だとか、妖怪退治だとか大仰すぎる。それに身内でもない因幡が、なお姫について知るはずがない。
首を捻っていると、奥のキッチンから謙介の爽やかな声がかけられた。
「南朋ちゃん、ラテアートはうさぎでいいかな?」
「うん! うさぎでお願いします」
謙介がラテアートをしてくれるらしい。近くで見てみようと足を向けるが、因幡が掴んだ手首を離さないので、そのままふたりは手をつなぐようにしてキッチンへ赴いた。なんでこうなるの。
キッチンカウンターの向こうでは、真剣な眼差しをした謙介がミルクピッチャーを傾けていた。カップに注がれた真っ白なミルクが、ふわりとうさぎの形になる。
そこにアートピックで、うさぎの目や髭が書き入れられた。手早いので簡単そうに見えるが、とても繊細な作業だ。瞬く間にうさぎの顔が描かれたカフェラテが完成する。
「はい、できあがり」
「わあ、可愛い。謙介さんって、凄腕のバリスタなのね」
「そんなに褒められると照れるな。単なるうさぎ好きなんだけどね。ほかにも、うさぎのホットケーキやうさぎパフェなどがメニューにあるよ。僕は料理が大好きだから、調理担当なんだ。因幡は接客だね」
この男に接客を任せて大丈夫なのか甚だ疑問だが、カフェをひとりで切り盛りするのは混雑している時間帯などは難しいだろう。キッチンからほぼ出られない謙介のサポートとして、因幡がホールを担当しているらしい。
ラテアートの施されたカップを銀色の盆にのせて、因幡は余計なひとことを吐く。
「謙介の料理は全部うさぎの顔がついてるからな。そのうち、うさぎを捌いて鍋にするんじゃないか」
「さすがに鍋料理は出せないかな。でも要望があれば考えておくよ」
あはは、と謙介は楽しげに笑っている。双方とも本気らしい応酬に、南朋は微苦笑を零した。
店内にはテーブル席もあるが、ガラスの仕切りに面したカウンター席が設けられていた。ガラス越しの部屋にいた動物たちが目に入り、ぱっと表情を輝かせる。
「わああ……うさぎがいる! かわいい!」
室内のサークルでは、黒や白、茶色にぶち模様など、様々なカラーのうさぎたちが遊んでいた。小柄なネザーランドドワーフに、耳の垂れたホーランドロップもいる。もふもふしたうさぎたちが、ぴょこぴょこと歩いているのを見るだけで心がほっこりする。
壁際にはいくつものケージが設置されていた。ここがうさぎたちの家らしい。訪れたお客は飲食を楽しんだり、隣の部屋でうさぎを触ったりできるようだ。
因幡がカウンターにカフェラテを置いてくれたので、その席に座る。
が、なぜか彼は南朋の隣に腰を下ろした。
「カフェだけの利用もできるが、大体の客はおさわりをする。おさわりは十分につき三百円だ。ただし、おさわりして水だけ飲むのは御法度だ。ワンドリンクオーダー制というやつだな」
「はあ……。おさわりですか」
ご丁寧に店のシステムを説明してくれるのはありがたいが、彼の使用した単語に眉をひそめる。
おさわりする対象はもちろんうさぎだが、なぜかいやらしい意味に聞こえるのは気のせいだと思いたい。無論、因幡は大真面目である。
「こいつらは俺の眷属だから、とても賢いんだ。うさぎ同士で喧嘩もしないから、こうして遊ばせておける。おやつをあげた客の膝にのることもある。なついて可愛いと評判だ。もちろん、客が持参したおやつをやるのは御法度だ。うさぎのおやつは一個百円で俺が売ってやる」
「ははあ……。ボスがいるから統率が取れているってことですかね」
「そのとおりだ。わかってるじゃないか」
可愛らしいうさぎが描かれたカフェラテを口にしながら、横目で因幡を見やる。
口の中に広がるまろやかな甘味を感じつつ、南朋は小首を傾げた。
因幡は言うことも態度も尊大で、まるでうさぎたちは彼の部下のような物言いだ。『俺の眷属』という特殊な設定を用いているようだが、因幡自身もうさぎというシチュエーションなのだろうか。
近くから見る因幡の耳は精巧な作りをしており、まるで血が通っているかのような質感がある。そういえば、ふわりとした銀髪に覆われているためか、顔の横にあるはずの人間の耳が見当たらないが……
まさか、本物のうさぎ……って、そんなわけないよね。