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米沢上杉あやかしうさぎ茶房  作者: 沖田弥子
第四章 なお姫を巡るふたりの男たち
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愛する女の幸せ

「恨む心を捨てるんだ。おまえはこれから、つがいを見つけて静かに暮らせ。おまえの、幸せのために」

 誰かを恨むことより、自分の幸せを見つけてほしかった。

 平穏に暮らして、つがいと子に囲まれ、誰でも手に入るような幸せを享受してほしい。彼を復讐に走らせてはならない。

 文太は泣きそうな声を出した。

「そんな……でも、因幡さまはどうなさるんです。わたくしは因幡さまを救いにやってきたのです」

 陰陽師のしかけた呪符は、壺のほかに蔵にも張り巡らされているのだろう。妖力の少ない文太には重荷だ。もしかしたら侵入したことにより、捕縛されてしまうかもしれない。すぐに文太を逃がす必要があった。

 因幡はわざと気怠そうに言った。あの日、縁側で寝転んだときのように。

「俺は疲れたから、しばらく壺の中で寝る。もう、ここには来るな」

 沈黙ののち、文太は渋々了承した。

「……わかりました。でもわたくしは、ずっと因幡さまの家来でございますから。因幡さまの言いつけを守りますが、わたくしが家来であることを因幡さまも忘れないでくださいませ」

「うっせえな。さっさと行け」

 彼に会えるのも、これで最後だろう。因幡は「ありがとうよ」と言いそうになったが、それを抑えた。思えば、城を出るときにすでに感謝を述べていたのだった。

 文太が去る音がかすかに聞こえ、そのあとはまた静寂が満ちる。

 以前、城の縁側で寝転んでいたとき、文太に言われたことが今頃になって身に染みる。

 季節がうつろうのは一瞬のこと。眠っている時間がもったいないとは思いませぬか……。

 あの美しい景色を、もっと目に焼きつけておくべきだったのだ。空も星も、愛しい人の顔も、もはや二度と目にすることは叶わない。

 そうすると、盲目の陰陽師と似たようなものかもしれなかった。何かを手に入れるために、別の大切なものを失うというのは真理なのだろう。

 因幡は、なお姫の幸せのために壺に留まることを決めた。

 たとえ結ばれなくても、彼女に幸せになってほしい。その想いが深く、胸の奥底まで射し込んだ。

 なお姫が人間の男と結婚し、子を産むとしたら、その相手は謙之介しかいない。

「あいつになら、なお姫を譲ってやってもいいぜ……」

 幸せそうな笑顔を浮かべたなお姫が、子たちに囲まれている姿を瞼の裏に思い描く。

 因幡は、幸せだった。

 愛する女の幸せを願って、意識を深遠に沈ませた。


  ◇◇ ◇


 米沢の上杉うさぎ茶房は、今日も甘い香りに満ちていた。常連客たちは楽しげな笑顔で、うさぎを優しく撫でる。

 美味しい食事と飲み物。綺麗な室内。そして可愛らしいうさぎを愛でる客たちは、いずれも上等な衣服に身を包んでいる。

 その様子を眺めた因幡は、真紅の双眸を細めた。

 この土地は豊かになった。壺に封じられていた四百年の間に時代はすっかり変わり、世の中の常識も変化した。

 刀を持つ武士は消滅し、因幡が大妖怪だと名のっても恐れる者はいない。

 街は整備され、凶悪なあやかしは見なくなった。

 なお姫と謙之介も、とうに世を去っていた。直江兼続の銅像を目にしたときは、あまり似ていないと首を傾げたものだ。

 金銭を払って、うさぎに触れるなどという商売が成り立つとは驚きだが、この店はなかなかに居心地がよいので気に入っている。

 飛び跳ねるようにテーブルへ向かった南朋は、引きつった笑みを浮かべて茶器を置いた。

「お待たせしました。『ラァブ♡だいすきうさぎラテ』です」

 ひょんなことから店に勤めることになった彼女は、懸命に仕事をこなしているしっかり者だ。実は、なお姫に似ていなくもないのだが、それはまだ黙っていることにしよう。

 キッチンから、オーナーの謙介が顔を覗かせる。

「南朋ちゃん、こっちも二番テーブルだよ。『キャラメル塩対応うさぎあいする』だね」

「あっ、すみません! ええと……キャラメル塩対応……」

「アイスだけど、メニューは『あいする』だから、よろしく」

 爽やかに微笑む謙介は、やはり遠い祖先の謙之介にどこか似ている。

「ま……謙之介はあんなに腹黒じゃなかったけどな」

 この世界のどこかに、なお姫の子孫と彼女が遺した勾玉があるはずだ。

 いずれ巡り会えることを信じて、まずは空や星の美しさを目に焼きつけることから始めてみよう。

 カロン、と流麗にドアベルが鳴り響く。

 因幡は客を出迎えるため、白銀の袂を翻した。


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