濡れ衣
「そのとおり。わたしの行いなのだよ。そなたに罪を着せるためのな」
因幡は息を呑んだ。
首無し死体を作り、それをさも新発田重家の怨霊が存在するかのように見せかけたのは、天明の仕業だったというのだ。どうりで山で死体が見つかる前に、役人が把握していたわけだ。天明から血の匂いがするのも、そのためだった。
「なんで俺に濡れ衣を着せるんだ! てめえ、絶対に許さねえぞ!」
かっとなった因幡は壺の中で暴れたが、不思議なことに小さな陶器の壺はびくともしない。壺に貼られたという呪符により、因幡の妖力が抑えられているのだ。
天明は咳き込むように嗤った。
「そなた、直江兼続の娘に惚れているのだろう?」
「それがどうした!」
「ならば、そなたが悪になれ。物の怪にさらわれそうになった姫は、直江兼続により救われた。のちに姫は若君と婚姻を交わし、幸せに暮らす……という筋書きにするのだ。愛する者の幸せを願うならば、そうするべきではあるまいか」
因幡は押し黙った。
天明の言うことは正論だったからだ。
因幡の胸の裡には、物の怪と結ばれてもなお姫は幸福になれないのではないか、という一片の迷いがあった。だから、なお姫をさらえなかったのだ。
すべては、直江兼続の描いた筋書きだったのかもしれない。
「わたしは名もなき陰陽師ゆえ、歴史に名を残さぬ。そなたを封印したなどという名声はいらぬ。それならば、そなたの溜飲も下るであろう」
ざくざくと天明が道を踏みしめる音が耳に届いた。
彼は壺を手にして、どこかへ移動しているのだった。
せっかくだと言って、天明は目を潰されたときの恐怖と激痛の昔話を語り聞かせた。同情を引くつもりなのかは知らない。誰にも打ち明けられない話なので、壺に入った因幡が適任だったのかもしれない。
因幡はうんざりとした気持ちで、哀れな身の上だった天明の半生を聞き流した。
小さな壺に押し込まれた因幡はやがて、上杉景勝に献上された。
米沢藩の藩主は大妖怪が封印された壺を破壊せよ、と命じなかったのが唯一の救いかもしれない。
世間では、因幡がなお姫をさらおうとしたという筋書きになっていた。壺は上杉家の蔵に永劫にしまわれることになり、人間たちの身勝手さに怒った因幡は壺の中で暴れたが、すべて徒労に終わった。
かすかに蔵に置かれた音がしたあとは、静寂だけが支配した。
何も見えず、聞こえない。
膨大な時間を暗闇の中で過ごすのみ。
自分のやってきたことは無駄な努力だったのかと、絶望感が打ち寄せる。
どれだけの時が経ったのか、まるでわからなかった。
因幡の脳裏には、なお姫と交わした数々の会話と、彼女の笑顔が呼び起こされた。
なお姫は大切そうに勾玉を握りしめてくれた。「また、明日」と約束を交わした。だが、その明日は永遠に訪れなかったのだ。
切なくて、涙が零れそうになる。
だが壺の中では実体がないのか、体の感覚はなかった。それなのに心は軋むように痛む。
なお姫は、いくら待っても来ない因幡をどう思っただろうか。それとも、もう事情を聞いただろうか。
「すまない……」
ぽつりと呟いたとき、蔵の中を慌ただしく駆ける足音が耳に届いた。
「因幡さま、因幡さま、どちらにいらっしゃいますか? わたくしです、文太でございます」
はっとした因幡は呼びかけに応える。
「ぶ、文太か⁉ 俺はここだ。ここにいるぞ」
「因幡さま、よかった。ご無事……とは言えないかもしれませんが、こちらにいらっしゃったのですね」
だが文太の声が近づいてきたとき、「ふぎゃっ」と悲鳴があがった。
「どうした⁉」
「うぅ……だ、大丈夫でございます。陰陽師の結界が張ってありまして、あやかしが壺に近づけないようになっております」
「そうか……。俺は城に戻る途中、陰陽師にやられて、壺に封じ込まれたんだ」
「ええ。因幡さまの戦いを見ていたあやかしがおりまして、そのように聞きました。わたくしどもは人間の兵に攻め込まれて城を追われ、みな散り散りになってしまいました。因幡さまが蔵にいると聞き及び、ようやくここまでやってきた次第です」
因幡が天明と戦っている間に、落城してしまったらしい。そもそも城に見せかけた古い屋敷なので、まやかしの城ではあるが。
文太が無事でいてくれて安堵したが、彼らの居場所を失わせたのは因幡の責任だ。因幡は苦渋に満ちた声を絞りだし、文太に謝罪した。
「すまなかった。俺が甘かったから、おまえたちに苦労をかけてしまったんだ」
「とんでもございません。これも、人間たちが因幡さまを罠に嵌めたせいでございます」
文太の声音に、憎しみが混じっているのを感じ取る。
因幡は、『なお姫はどうしているか』と文太に訊ねたかったが、それを押し殺す。代わりに別のことを口にした。
「文太。人間を恨むな」
「え……因幡さま、どうしてでございますか?」




