謎の陰陽師
「……さて。そんなことを言ったかな」
違和感を覚えるが、案内されたので敷居をまたぐ。
廊下に上がる前に、侍従の男は振り向いた。
「ご家老の御前で帯刀することはならぬ。刀を預かろう」
「俺は見てのとおり、丸腰だよ。新発田重家の怨霊なんて言われてるけどな、刀を持ったこともないんだぜ」
腕を広げると、男は因幡の胸元を掌で探った。短刀を隠し持っていないか確かめたのだ。
「なるほど」
それだけを呟くと、侍従はさっさと身を翻す。飴色に磨かれた廊下をわたると、とある一室の前で彼は跪座した。
「因幡殿をお連れしました」
「入れ」
すらりと襖を開けた侍従は顔を上げない。
あの声の主が、直江兼続だ。
ごくりと息を呑んだ因幡は、部屋に足を踏み入れた。
だが、そこにいた人物に真紅の双眸を細める。
なんだ……こいつは……?
上座に座している袴姿の男が、直江兼続だろう。智謀の将と謳われる直江兼続は意外にも小柄だが、落ち着きのある佇まいを見せていた。
不審なのは同席している男のほうである。
狩衣を纏い、尖った帽子から垂らした布で顔が隠されていた。丸腰だが、この男からはおびただしい血の匂いがする。ただの貴人でないことは確かだった。
警戒を滲ませつつ、畳に膝をついて頭を下げた。
「因幡と申します。ご招待いただきまして、光栄です」
うむ、と直江兼続は頷いた。
頭を下げるなど己の矜持が許さないが、なお姫の父親となると話は違う。
認めてほしかった。因幡という男を。
屋敷の者たちの警戒するような態度は、因幡が危険な物の怪だと思ってのことかもしれない。だが直江兼続は存外に、ゆったりとした空気を纏わせて因幡を迎えた。
因幡の心中を汲んだかのように、狩衣の男を紹介する。
「こちらの者は、我が殿が雇っている陰陽師だ。そなたの噂を聞いているのでな、念のためにと同席してもらったまでだ」
上杉景勝の直属の陰陽師と聞いて、奇妙な恰好に納得する。
「天明と申す。よしなに」
低く呟いた陰陽師の男は、かすかに顔に垂らした布を揺らした。
顔を晒せないということは、名も偽名だろう。
彼の目が見えないためか、どういう人物なのかまるでわからない。だが直江兼続が、はなから因幡を退治するつもりではないことに、ひとまず胸を撫で下ろす。
因幡は直江に向き直った。
「直江殿。先日は、なお姫に怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした。俺の配慮が足りませんでした」
わずかな沈黙が流れた。
それを因幡は奇妙に感じる。
「なお姫の怪我は、さほどでもない」
「そ、そうでしたか」
直江はどうでもよいことのように、あっさりと片付けた。怪我はたいしたことはないのだと知って安堵したが、それならば、なぜわざわざ因幡を屋敷に呼び寄せたのだろうか。
かすかな疑念を抱いた因幡に、智謀の将は淡々と言葉を紡いだ。
「あの娘が誕生したとき、占い師に『物の怪憑き』だと明言されたのだ。それゆえ、四人目の子の存在は公には明かさず、辺境の村に隠すようにして育ててきた」
「……は。そうなのですか」
突然の話に目を瞬かせる。
なお姫の出自には何やら事情があると思っていたが、そういうわけだったらしい。
しかし、『物の怪憑き』とはいかなる意味なのか。因幡が見る限り、なお姫には何も憑いていなかった。
直江は昔を思い出すように、遠くを見やった。
「いずれ憑かれた物の怪に、殺される運命らしい。当時は半信半疑であったが、まさか本当にその日がやってこようとはな」
「……直江殿! なお姫には何者も憑いていません。もしそのようなあやかしが近づいたなら、俺が退治します」
クロヌリのときは出遅れてしまったが、二度となお姫を危険な目には遭わせない。
そう決意した因幡は、必死に言い募った。
また奇妙な沈黙が満ちた。
直江兼続は何も喋らず、ただ因幡を見つめている。陰陽師がむせたように、小さな咳を零した。たまりかねて嗤ったようにも聞こえた。
――今しか言えない。
沈黙を打ち破り、因幡は直江兼続に直訴した。
「なお姫を、俺の嫁にください。生涯大切にします」
それは魂から迸った言葉だった。
己の嫁になる女は、なお姫しかいない。
だが次にかけられた直江兼続からの言葉が、冷ややかに因幡を突き刺す。
「なお姫に憑いている物の怪とは、そなたのことだ」