因幡となお姫の出会い④
ふたりが気さくに話しているのを眺めるのは、なぜか面白くない気分だ。
「おい、文太。もう下がっていいぞ」
「かしこまりました。それでは、ごゆっくり」
気の利く文太はすぐに部屋を出ていく。
お茶を飲み干したなお姫は、流れるような所作で湯呑みを茶托に戻した。
「それでは、そろそろおいとまいたします」
「な、なんだ。もう帰るのか?」
「乳母が心配しますので、陽が落ちる前に帰ります」
その台詞は先ほども聞いたが、なかなかに頑なな女だ。
縁側から射し込んでいる西日は、赤々と畳を染め上げている。
なお姫と出会った時刻が遅かったことを、因幡は悔やんだ。
「じゃあ、麓まで送ってやる。またイノシシの罠にかかったら面倒だからな」
「因幡がそんなに言うのでしたら」
「俺は一度しか言ってねえんだよ」
笑いながら、なお姫をおんぶして城を出る。
門前では文太が見送っていた。
蕩けるような夕陽が雲間に滲んでいる。なお姫の温かみを背に感じながら、因幡は山の夕暮れを初めて美しいと思えた。
「また、会いたい」
ぽつりと零れた言葉を、なお姫は柔らかく掬い上げる。
「私もです。私は、因幡の友になれますか?」
友人という立場では嫌だと腹の底が訴えたが、因幡はそれを無視して勢いよく首を縦に振った。
「おう、もちろんだ。俺たちはもう友人だろ」
くすくすと、なお姫が笑う吐息が首の後ろにかかる。このくすぐったさが、ずっと続けばいいと因幡は願った。
「そうですね。因幡は面白いです」
「おまえがな」
あはは、と弾けるようにふたりで笑い合い、山道を下っていく。夕焼け空を二羽のカラスが通り過ぎた。
ややあって、麓の村が見えてきた。山に囲まれたのどかな村には田畑のほかに、ぽつりぽつりと藁葺き屋根が点在している。農民たちが住む、こぢんまりした田舎の村だ。
「あそこが私の住んでいる屋敷です」
なお姫が指差したのは、生け垣に囲まれた小さな屋敷だった。とても家老の息女が住むとは思えないほど、質素な邸宅だ。
なお姫をおぶった因幡が村に入ると、畑帰りの村人たちが唖然としてこちらを見ていた。
銀髪にうさぎの耳を生やし、京紫の着流し姿なのだ。明らかにふつうの人間ではないとわかる。
「なお姫さまが、変わった恰好の男におぶわれておるのう……。ありゃあ、都の侍か?」
「いや、陰陽師さまでねえか? 都には、ああいったお人がたくさんいるんじゃろう」
村人たちは騒ぎ立てることなく、見たことのない不思議な男が何者なのか予想しているだけだった。なお姫をおぶっているので、危険な存在とはみなされなかったのかもしれない。
襲いかかってきたら蹴散らしてやろうと思っていた因幡は、心の中で安堵の息を吐いた。
だが屋敷の生け垣に辿り着いたとき、門前にいた女がこちらに目を向けて、「あっ」と声をあげた。
「なお姫さま!」
「おきよ、ただいま」
おきよと呼ばれた女は緊張した顔つきで、さっと因幡の頭から爪先までを観察する。
なお姫の母親ほどの年齢なので、この女がともに暮らしているという乳母なのだろう。
「そなたは何者じゃ? なお姫さまに狼藉を働いてはおるまいな」
「ああ? なんだと」
不審者のような眼差しを向けられ、反感が芽生えた因幡は威圧で返す。
因幡の背から下りたなお姫は、するりと剛健な肩を撫でた。
決して力を込めたわけでもないその仕草が、因幡の波打った心を落ち着かせる。
「おきよ。因幡は狼藉者ではありません。彼は私の恩人です。イノシシの罠を外してもらい、手当てまでしてもらったのですから」
「まあ……そうでございますか。あれほど山に入ってはなりませんと申し上げておりましたのに」
守るようになお姫の肩を引き寄せたおきよは、小言を述べながら足早に門をくぐる。連れられていくなお姫が、ちらりとこちらに目を向けたので、因幡は手を上げて応えた。
お姫様は無事に送り届けた。山に帰るとしよう。
天を見上げると、藍の紗幕には大粒の星が瞬いていた。
因幡は軽快に跳ねて、山へ戻っていった。
なお姫との再会は、数日後にあっさり叶えられた。
『また、会いたい』という想いに彼女が応えてくれたのは夢ではなかっただろうかと懊悩した因幡は、毎日村の近くまで行って様子をうかがっていたのだが、なんとなお姫のほうから城を訪ねてきたのである。
しかし、因幡は仏頂面を浮かべた。
なお姫が、護衛と称して男を連れてきたからだ。
「よろしくな、因幡。おれは謙之介だ」
「謙之介さまは上杉家の若様なのです。私の幼なじみです」




