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米沢上杉あやかしうさぎ茶房  作者: 沖田弥子
第四章 なお姫を巡るふたりの男たち
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因幡となお姫の出会い②

 声をかけると、女は驚いた顔をして振り向いた。

 その瞬間、因幡の胸の底が、ぐっと押し上げられたような甘い痛みを覚える。

 なんだ……これは……?

 女は絶世の美女ではなく、どこにでもいるような娘だ。こぎれいな小袖を纏っているので、武家の子女かもしれない。

 彼女は丸腰なので近づいても危険はない。というより、イノシシの罠にかかっているくらいだから、かなりの間抜けである。

 娘は涙目になりながら、因幡に訴えた。

「あうぅ……罠にかかってしまいました。私はイノシシでもうさぎでもございませんから、食べてもおいしくありません」

「そんなことは見ればわかるんだよ」

「うさぎの御仁。罠の外し方をご存じでしたら教えてください」

 因幡は白い眉を跳ね上げる。

 うさぎのおまえが罠に嵌まれとでも言いたいのか。

 そびえる白い耳と煌めく銀髪を目にした人間たちは一様に「物の怪だ」と叫んで因幡を恐れる。この娘にかかわっても、ろくなことにならないだろう。罠を外したら、石をぶつけて攻撃されるかもしれない。

 だが所詮は人間の娘なので、たいした敵ではないのだ。

 因幡は娘の足元に屈むと、足を噛んでいた罠を力業で開いた。娘は素早く足を引き抜く。

「あっ……ありがとうございました」

 すぐに逃げだすものと思ったが、礼を言った娘はその場にうずくまっている。

「どうした?」

「うう……足がしびれて動けないのです」

「おまえ……阿呆だな」

「阿呆ではございません。私の名は、なお姫と申します」

 どうにも愚鈍な娘らしい。見ると、なお姫と名のった娘の足袋に血が滲んでいた。罠に噛まれて怪我を負ったようだ。

 怪我をしたと言いたくないから、足がしびれたと虚勢を張ったのか。それとも本当にしびれなのか裂傷か、わからないのか。

 珍妙な娘だな……。

 因幡はなお姫の腕を取ると、強引に背におぶった。軽いので、因幡の広い背中に悠々と収まる。

「ひゃああ……何をなさいますか⁉」

「おぶってんだよ。見てのとおりだろ。俺の城で怪我の手当てをしてやるから、大人しくしてろ」

「城ですか……。あなたさまのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「因幡だ」

 ざくざくと藪を掻き分けて山道へ戻り、城へ向かった。

「因幡さまですか。申し遅れました。私は、なお姫といいます」

 なお姫が因幡の名を聞いても平然としていることに、心の底で安堵の息を零す。

 おぶった体はとても温かくて柔らかかった。なお姫は抵抗することもなく従順で、因幡の頑強な肩にちょこんと両手をかけている。

「さっき名のっただろ……。やっぱおまえ阿呆だな。ていうか、自分で『姫』ってつけるなよ」

「それがですね、誤解されることがままあるのですが、『なお姫』が名なのです。家来には『なお姫姫』などと呼ばれまして、密かに失笑されております」

「はあ~? おまえの親はどこの馬鹿殿様だよ」

「父は直江兼続です。米沢藩の家老でございます」

 ぴたりと因幡は足を止めた。

 なお姫はどこぞの下級武士の娘であり、頭がお花畑なので自分を姫君だと思い込んでいるのだと、因幡は勝手に予想していた。

 だが、直江兼続の娘だとすると聞き流すことはできない。

「そりゃあ……本当か?」

「はい。本当でございます。母はお船です。私は四番目の子でございます」

 因幡は沈黙した。

 直江兼続は、米沢藩主となった上杉景勝の右腕だ。上杉謙信の後継者を巡る御館の乱に貢献し、新発田重家の反乱を制した。最上義光との戦いでは敗走で名を上げ、関ヶ原の戦いにおいて覇者となった徳川政権に赦されるという数々の局面をくぐり抜けている。智謀の将と謳われる歴戦の武将の噂は、因幡の耳にも届いていた。

 現在は米沢藩の家老である直江兼続の娘ということは、正真正銘の姫君だ。

「へえ……で、家老の姫さまがなんで越後の山奥でイノシシの罠に引っかかってんだ?」

 今からでもいい。嘘だと言ってほしい。

 因幡はそれを願い、軽口を叩いた。

 身を乗りだしたなお姫は、因幡の長い耳に触れると、声をひそめる。

「うおっ、耳に触るなよ!」

「実はですね、私のことは秘密なのです」

「おまえ、人の話を聞いてねえな。何が秘密なんだよ」

「私は正式に父の子として米沢のお城に顔を出すわけにはいかないのです。ですから、越後の屋敷に乳母とふたりで住んでおります」

 直江兼続は側室を持たず、妻は正室のお船しかいない。子の母はすべてお船のはずで、なお姫自身もそうだと思われるが、何やら事情があるようだ。

「ま、いろいろあるだろうな」


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