なお姫の勾玉
山城守とは、現在の京都南部にあたる山城国を守護する官職の名称だ。直江兼続は歴代の山城守のひとりであり、盟友の石田三成からは「山城」と呼ばれていたという。それだけ豊臣政権時代は主君同様、栄華を誇ったのだとうかがえる。
だが、それらの逸話は地元では有名でも、ほかの地域では馴染みが薄い。
米沢を離れて山形市に来ると、直江兼続の名を知らないという人も多かった。会社でもご先祖様について話題にされることはなかったので、南朋にとっては居心地がよかった。それなのに、まさか会社が倒産して地元に戻ってくるはめになるとは夢にも思わなかったのである。
ご先祖様は数々の功績を残したのに、その子孫が失職だなんて、いたたまれない。
とはいえ、南朋は自分の家が直江兼続の直系だなんて半信半疑だった。
直江兼続と正室のお船の間には三人の子がいたが、いずれも若いうちに亡くなっており、直江家は断絶している。だが、父は知られざる歴史があるのだと言って譲らない。
父に続いて玄関をくぐった南朋は、重いバッグに耐えきれず、どさりと廊下に置いた。
「どうせ直江兼続の子孫っていう話は、嘘なんでしょ。直江家は断絶したって、歴史の資料に書いてあったわよ」
「歴史で語られないことがあるんだ。実は直江兼続には四人目の子がいた。『なお姫』と呼ばれていた娘だ。おまえの名は、なお姫にあやかってつけたんだぞ」
「はあ……。またその話ね。ただいま、お母さん」
台所から出てきた母に挨拶する。ソファに腰を下ろした父は前屈みになり、直江家の隠された歴史について語り出そうとする気が満々である。こうなると話が長い。苦笑した母は紅茶を淹れるために台所へ戻っていった。
「なお姫は、越後の城に住んでいたという大妖怪に目をつけられて、嫁にされそうになった。そこで父である兼続が妖怪を成敗したんだ」
「ふうん。妖怪退治ってわけね」
「ところが大妖怪の力が強すぎたため完全に倒すことはできず、壺に封印した。その壺を、上杉の殿様が蔵に仕舞ったのだ」
元米沢藩主の上杉家は現在も存続している。直江家とは親交があり、両家は親戚のような付き合いをしていた。南朋が小さい頃は、年の近い三男の謙介とよく遊んだものだった。確かに上杉家の敷地内には蔵があったが、鬱蒼とした木々に囲まれていたため、気味が悪いと感じていたことを思い出す。
「そういえば、蔵があったわね。お父さんはその伝説の壺を見たことあるの?」
「いや、ないけどな。だがこれは直江家に伝わる秘蔵の話だ。お父さんは、ひいじいさんから聞いたんだからな。いずれ大妖怪が復活して、姫がさらわれることを懸念した兼続は、なお姫が病死したことにして田舎の屋敷に隠したのだ。なお姫の存在は歴史から消されたが、彼女が子を産んで直江家を存続させたんだよ。だから公には直江家は断絶したことになっている」
「ふうん」
気のない返事をするが、父の熱量は引かない。
大妖怪を封印した壺だなんて、まさしく伝説の宝だ。発見されたら大騒ぎになるだろう。徳川埋蔵金と同等のロマンである。
母が用意してくれた紅茶のカップを手にして、薫り高いダージリンティーを口に含む。上質な芳香は、ささくれ立った心を落ち着けてくれた。
立ち上る湯気越しに、父は双眸を輝かせる。
「南朋に授けた勾玉は、直江兼続の末裔であることを示す家宝だ。ちゃんと持ってるだろうな?」
「ああ、これね」
南朋はティーカップを掲げながら、空いたほうの手で首から提げた紐を、ひょいと摘まんだ。
紐の先には、鈍い萌葱色をした勾玉が結いつけられている。
掌に乗せられる程度の大きさで、勾玉という名のとおり湾曲した形状をしている。おそらく翡翠だろう。父は家宝だと大仰に言うが、金銭的な価値はさほど高くないと思われる。直江家に受け継がれてきた品だそうなので、お守り代わりにネックレスにして、いつも首から提げていた。
「その勾玉は、なお姫が大切にしていた品だ。悪い妖怪から身を守ってくれるそうだから、絶対になくすんじゃないぞ」
「わかってるってば」
娘にまとわりつく邪を祓う勾玉を、常に身につけさせよ、というのがひいじいちゃんの遺言である。大妖怪に嫁にされそうになった過去を踏まえて、直江家の娘から悪いものを遠ざけるためのお守りらしい。妖怪どころか、男性と縁がなく、仕事にも縁遠い。勾玉のせいとは言わないが、幸運が避けていくようである。
さらに父が直江家の歴史について語ろうと身を乗り出したので、素早く察知した母は口を挟んだ。
「そうそう、南朋はしばらくは、うちにいるんでしょう?」
「え……うん、まあね。無職になったから……地元で職探しするかどうか迷ってるところ」
「無理に仕事を探さなくてもいいわよ。お嫁に行ったらいいんじゃないかしら。あなたの幼なじみの謙介さんは、まだ独身なんですって」
「それね、時代錯誤だから。私はまだお嫁に行かないからね」
失職した経緯については、すでに両親に話しているが、父と母は責めるどころか気遣ってくれる。それがかえって心苦しくもあった。
「それじゃあ、謙介さんのお店を手伝ってあげたらどうかしら。スタッフを募集してるんですって」
「えっ。謙介さん、何か商売をしてるの?」