直江の姫
こぢんまりとした米沢駅に降り立った南朋は、久しぶりに訪れた構内を見回して、安堵とも落胆ともつかない小さな息を吐く。二両編成の列車はドアを閉じると、奥羽本線を滑り出して終着駅である福島へ向かっていった。
初夏の穏やかな気候が薫風を運んでくるが、沈鬱な南朋の心を浮上させてはくれない。
明るい茶色のボブカットに、パーカーとジーンズというラフな恰好だが、背を丸めて下を向いているので、まさに夢破れて故郷に戻ってきましたといわんばかりの出で立ちだ。
着替え一式が入った大きなバッグを抱え直し、南朋は改札を通る。すると、正面で手を上げている人物が否応もなく目に飛び込む。
「南朋、お帰り!」
満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた父は、しばらく会わないうちに白髪が増えた。
曖昧に頷くと、父はロータリー前に堂々と停車した自家用車へいそいそと向かう。
「お父さん……正面に停めないでよ。ここ、タクシーの停車場でしょ」
「そうか? 引っ越しで疲れただろう。母さんも南朋が帰ってくるのを楽しみにしていたぞ」
やたらと父の愛想がよいのは、南朋を気遣ってのことだろう。
後部座席に乗り込んだ南朋は重いバッグを肩から下ろした。軋んだ肩が、それまでの悲惨ないきさつを表しているかのようで、南朋はまた溜息を吐く。
昨年、山形市の芸大を卒業した南朋は、市内のデザイン事務所に就職した。
ところが一年も経たないうちに不況の煽りを受けて、会社が倒産。まだ新入社員で仕事を覚えようと奮闘していた矢先に失職してしまったのだ。
そうしてアパートの家賃を払うこともままならなくなり、引き払って実家のある米沢市へ戻ってきたというわけである。県内での移動なので、山形市からは在来線で一時間程度だ。近いことだけが救いと言えた。遠方だったら、高額な新幹線代を払えなくて困っただろう。
ハンドルを握る父は軽快な声を出す。
「米沢上杉まつりのときは県外からの観光客で大賑わいだったぞ。次に混むのは上杉雪灯篭まつりだから、二月だな。今年の雪は少なかったけど、来年はどうだろうな」
かつて米沢藩として上杉家が統治していた米沢は、始祖の上杉謙信が有名な武将であることから、観光客が多く訪れる。米沢上杉まつりのなかでも、上杉軍と武田軍の戦いを再現した川中島の合戦が見物だ。
ただ、米沢藩が誕生した歴史を紐解くと、それは決して喜ばしい経緯ではなかった。
豊臣政権時代は五大老のひとりであった上杉景勝は秀吉の信頼が厚く、越後、佐渡金銀山、庄内三郡のほか会津百二十万石を統べ、『会津中納言』と呼ばれる大名だった。ところが豊臣秀吉の死後、状況が一変する。
同じく五大老だった徳川家康が頭角を現したが、景勝は徳川派に与しなかった。関ヶ原の戦いが終わるまで豊臣派を貫いたため、天下を取った家康により、出羽国米沢三十万石に減移封されたのだ。
そうして景勝は、米沢藩の初代藩主となったのである。
上洛して家康に謝罪したので上杉家の存続は許されたが、それまでの領地を四分の一に減らされてしまい困窮した。秀吉が身罷ると早々に徳川派へ寝返る武将も数多くいたのに、義理を重んじる田舎気質が災いしたとも一説にある。しかし、その後の景勝は藩政の確立に尽力し、米沢藩は幕末まで存続したのだった。
車は最上川を越え、米沢城跡を横に見ながら南へ下る。旧南堀端町から旧花岡町にかけてのこの辺りには、直江兼続の屋敷があったとされている。
上杉謙信の養子だった景勝が当主となり、米沢藩を築き上げた栄光のとなりには、常にひとりの男の姿がある。
上杉家の智謀の将と謳われた直江兼続は、景勝の腹心だった。
彼は幼い頃から景勝の近侍であり、数々の戦場で知略を巡らせたと後世に伝えられている。米沢藩家老となってからは、直江石堤と呼ばれる堤防を築き上げたことが著名だ。
米沢城跡にある上杉神社の鳥居をくぐると、右手に上杉景勝と直江兼続が並び立つ銅像が設置されているが、意外にも彼らに歴戦の武将という覇気は見られない。仲睦まじい小柄なおじさんたちといった雰囲気が醸し出されているのだ。歴史に名を残す人とは、外見は目立たないものなのかもしれない。
南朋にとって、そうした歴史と直江兼続の逸話は、肩身の狭い思いをするものでしかなかった。
車はかつての城下町からほど近い住宅街へ辿り着く。
自宅のカーポートに入庫した父は、朗らかな笑顔で言った。
「さあ、着いたぞ。我が城に」
あはは、と笑う様子には一切の邪気がない。まるで銅像の直江兼続のように。
ごく一般的な家の表札にちらりと目を向けた南朋は、改めて肩を落とす。
表札には『直江』とある。
南朋のフルネームは、直江南朋である。直江兼続は古いご先祖様なのだ。
この苗字は珍しく、地元で名のると「もしかして直江兼続の子孫⁉」と正体がバレてしまい、まるで姫様にそうするように平伏されるので居心地の悪い思いをすることになる。
かつては従五位下の位階を賜り、貴族だったこともある直江家だが、それは遠い過去の話だ。現代では、ごくふつうの一般家庭である。
いつもの父の冗談に、南朋は唇を尖らせた。
「お父さんってば、いつまで殿様気分なの?」
「いいじゃないか。父さんは会社じゃあ、『山城守』と呼ばれているんだぞ」
喜んでそう話す父は、会社の役職は課長である。