新発田城の城主
しかし、すでに結論は決まっていた。南朋には、どうすることもできない問題のように思えた。
営業時間を終えて、南朋はドアにかけられたプレートを裏返した。そうすると、『うさぎ、しめてます』という文字が現れる。
くびり殺しているかのような誤解を与えかねないので、単純に『CLOSE』と書いたほうがよいのではあるまいか。ちなみに『OPEN』を意味するほうは、『うさぎ、おさわりできます』である。眉をひそめた南朋は、ここにきてようやく謙介のセンスを疑う。
因幡が妙な言葉遣いなのは、この店の方向性によるものらしい。つまり謙介の言葉選びのセンスが独特なので、誤解を招くのである。
だが、お客さんは平然として受け止めているので、やはり南朋の心が汚れているせいで、いかがわしい想像を抱いてしまうのかもしれない。
片付けを終えた謙介は、キッチンカウンターにアイスティーのグラスを三つ置いた。
カウンター脇に椅子を並べて、それぞれ腰を下ろす。なぜか因幡と謙介に挟まれた南朋は、グラスを手渡された。
「おつかれさま。南朋ちゃん、仕事はどうだったかな?」
「とっても楽しかった! うさぎのことをいろいろ知って勉強になったし、お客さんとお話しする機会もあって、みなさんのうさぎへの愛にほっこりしちゃったわ」
忙しい時間帯はオーダーを捌くのに必死になってしまうが、お客さんはくつろぐためにカフェを訪れているので、南朋が焦ってはいけない。
そう心がけつつ表情を引きつらせる南朋に、どのお客さんも優しく接してくれた。うさぎが好きな人は、可愛いものを愛でる余裕があるので、心にゆとりがあるようだ。
「それはよかった。じゃあ、これからもうさぎたちや僕たちと、楽しくやっていけそうだね」
「うん! ぜひ、お願いします」
南朋は笑顔で了承する。
決して謙介の誘導ではないはずである。南朋はうさぎのことも、カフェの仕事も好きになり始めていた。
だがお客さんたちの柔らかい笑みを思い出していると、南朋の心に、ちくりと引っかかるものがあった。
水野だけは、つらそうな表情を浮かべていた。
これから結婚する人は、誰よりも幸せであるはずなのに。
こくり、とミントの浮かんだ爽やかなアイスティーを口に含む。ほのかな苦みを感じた。
笑みを消した南朋を横目でうかがっていた因幡は、ふいに口にする。
「水野は北越後の新発田に引っ越すんだってな」
「今は新潟県っていう名称なのよ」
「あそこは四百年前の因縁の地だから、よく知ってる。南朋は、新発田因幡守重家のことはわかるか?」
四百年前の越後は上杉家の領地だった。上杉謙信は後継者を定めないまま没したので、彼の死後、景勝と景虎というふたりの養子による後継者争いが起こる。
上杉家の家臣はどちらに味方するか判断を迫られた。謙信の甥である景勝か、それとも北条氏康の七男である景虎か。
近侍である直江兼続はもちろん景勝についたが、そのほかに味方した武将のうちのひとりに、新発田重家がいた。
南朋は頷きを返す。
「後継者争いのあと、上杉景勝を裏切った武将でしょ? 新発田城の城主だったものね」
御館の乱に発展した後継者争いは、景勝の勝利に終わった。
だが一五八一年(天正九年)、新発田重家は反乱を起こす。
勝利に大きく貢献したにもかかわらず、恩賞に偏りがあり、国衆である新発田家が冷遇されたためであった。
織田信長の後ろ盾を得て快進撃を続けた新発田重家だったが、本能寺の変で信長が亡くなると状況が暗転し始める。支援していた蘆名盛隆が家臣に殺害され、伊達政宗に家督を譲った輝宗も亡くなる。対して景勝には羽柴秀吉が後ろ盾となり、大軍をもって新発田城を取り囲んだ。
最期を悟った新発田重家は敵陣に突入し、「親戚のよしみをもって、我が首を与えるぞ。誰かある。首をとれ」と叫ぶと、甲冑を脱ぎ捨てて自刃したという。
ついに新発田城は落城し、新発田氏は滅亡する。
現在の新潟県新発田市の中心地にそびえる新発田城が、かの戦いがあった城である。
「恩賞が少ないことに不満を持って始まったはずの戦いなのに、最後は親戚に自らの首を与えて功績を上げさせたってわけだ。なんとも皮肉な話だろ」
「そうね……。欲張ってはいけないという教訓みたいね」
「そういうことだ。水野は結婚して旦那と暮らすために引っ越して、さらに千代丸がほしいだなんて、欲張りだろ? 新発田重家みたいに何もかもなくさないよう、千代丸は置いていったほうがいいのさ」
手にしたアイスティーを、因幡は酒のようにぐびりと飲む。
因幡の言い分はわかるが、未来は決まっているわけでもないと南朋は思う。
そういえば、新発田重家は因幡守という名だが、因幡と関連があるのだろうか。『因幡の白兎』という日本神話があるが、あの話の舞台は島根県という説がある。
「因幡は歴史に詳しいのね。新発田重家は因幡守というから、もしかして自害した武将の生まれ変わりだったりして」
「だったら俺は城を落とされたり、壺に押し込められたり、どれだけ不憫なんだよ!」
カフェに弾けるような笑い声が上がる。
ややあって笑いを収めた謙介は、ちらりとうさぎ部屋に目をやる。




