愛のうさぎセレナーデ
自分の望む職種を選ぶという以前にまず、生活ができるかという観点で職探しをしなければならないのが切ないところだ。そういった事情のためか、南朋は再就職できず、家賃を払いきれずに実家へ戻ってきた。今後どうするかについて明確な考えは今のところない。
「それじゃあ、しばらくは米沢にいるんだよね」
「そうなるかな。就活しながら、アルバイトするかも」
南朋は敗残兵のごとく背を丸め、千円札を財布に戻した。
無職の南朋から料金は取れない、と示唆してくれた謙介の気遣いに甘えることにする。
「よかった。南朋ちゃんが山形の大学に入って引っ越したときは、すごく寂しかったから」
「そ、そうだったの?」
優美な笑みをのせた謙介は、まさに雅な若様といった雰囲気を醸し出す。
そういった思わせぶりな台詞は恋人に言ってほしいものである。幼い頃は恋心にも似た憧れを謙介に抱いていたので、勘違いをしそうになる。
そのとき、カロンとドアベルが鳴り響いた。
謙介の「いらっしゃいませ」というかけ声を合図に、因幡がおさわり部屋から出てくる。今度は四人連れの女性たちが来店した。
「おう、おまえらか。十日ぶりだな」
「因幡さん、私たちのこと覚えてたの⁉」
「当然だろ。うさぎの記憶力が一日しかもたないと思ってねえか?」
軽やかな笑い声が店内に響き渡る。
意外にも因幡の天然うさぎキャラが、カフェの仕事に活かされているようだ。
来店客は四名なので、おさわり部屋でうさぎに触れているお客さんを入れると計六名になった。こぢんまりとした店は今のところ謙介と因幡のふたりで切り盛りしているようで、予期せず混み合うと、かなりの忙しさになるだろう。
ほかにアルバイトのスタッフさんは出勤してこないのかな?
にわかに賑やかになった店内を見て疑問に思う。
謙介はてきぱきとした手際で、冷蔵庫から食材を取り出している。すぐに注文が入りそうなので、準備を始めたのだ。そのとき、またドアベルを鳴らして別のお客さんが来店する。
「いらっしゃいませ。――南朋ちゃん、カフェラテの代わりと言っては何だけど、ちょっと店を手伝ってくれるかな? おさわりのことは因幡に任せて、南朋ちゃんには注文を取ったり、料理をテーブルに運んだりしてほしいんだ」
「いいわよ。ファミレスでバイトしたことがあるから、なんとかなると思う」
「ありがとう、助かるよ。はい、これエプロンね」
差し出されたエプロンを着た南朋は、早速伝票とペンを手にする。注文をメモして料理を席に運ぶだけなら、どうにかなるだろう。忙しいとわかっているのにこのまま帰るのは気の毒だ。
初めに訪れた女性のふたり連れは、すでに席に着いてメニューを眺めていた。彼女たちから、「注文お願いします」と声がかかる。たった今、来店したお客さんには因幡が応対していた。
「おう、昨日ぶりじゃねえか。仕事さぼって、おさわりか?」
ひとりで来た男性のお客さんは笑っている。南朋も微苦笑を零しつつ、席へ向かった。伝票を構え、笑顔を形作る。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「えっと、『ぱふぱふうさぎパフェ』と『ラブ♡だいすきうさぎラテ』をください」
「え……」
メモを取ろうとした手が止まる。
ふわふわした名称が飛び出したので咄嗟に聞き取れなかった。
けれどお客さんに聞き返すのは失礼なので、どうにか伝票には『パフェ&ラテ』と記入する。続けて向かいに腰かけたお客さんが注文を述べた。
「わたしは、『ふわふわうさぎパンケーキ』と『愛のうさぎセレナーデ』をお願いします」
「……はい。かしこまりました」
パンケーキにセレナーデと書いたものの、『愛のうさぎセレナーデ』とはいったいどんな食べ物なのか謎である。
一礼した南朋はキッチンカウンターに戻ると、伝票を差し出した。謙介は素早く伝票に目をやりながら、すでにフライパンに油を引いている。
「パフェ、パンケーキ、ラテにセレナーデね。ありがとう」
「メニューはちょっと変わったタイトルなのね。一瞬、びっくりしちゃった」
「うさぎの可愛らしさを活かそうと思ってね。僕が考案したオリジナルネームなんだ。そこにメニューがあるから、目を通しておいてくれると嬉しいな」
メニュー名はすべて謙介が考えたらしい。南朋はラックケースに入っているメニューを手に取ってみた。
そこには写真とともに、ポップな字体でメニュー名が添えられている。
『うさぎおいし小倉もなか』『四つ子ちゃんのうさぎだんご』など、和風の最中や団子は食べ物と名前が合致しているのでわかるのだが。
『あかつきのまどろみ~とろける愛撫の味~』『きみと月夜の散歩~初恋の甘いキス味~』など、写真がないと何の食べ物なのか予想がつかないものまで様々だ。ちなみに上記二点のメニューはいずれも飲み物である。カラフルな色だが、ジュースだろうか。
メニューの端に書かれた注意書きには、『メニューはフルネームで注文してね☆省略されると、うさぎちゃんはわかりません><』とある。サブタイトルまですべて読み上げろとおっしゃるのか。
この独特なメニュー名を口にしなければならないという羞恥プレイが、おさわりタイムについてくるらしい。この店に通っていたら滑舌が鍛えられそうである。羞恥心も吹っ飛びそうだ。