せつなくて、せつなくて、せつなくて。
あれは夢だったのか。
それとも今も夢を見ているのか。
一人の少女が俺に笑いかけた。
屈託なく、それでいて野性的な笑顔。
少し焼けた肌に似合う、明るい色のウェーブの髪。
目元がぱっちりなメイクに、テカりのあるリップ。
その少女は祭りの帰りか、これから行くつもりだったのか。
白い生地に黄色と赤いと青い花が描かれた浴衣で身を包み、ひとりポツンと木の側で佇んでいる。
そこを偶々通り掛かった俺にこう告げるのだ。
「おじさん、いま暇でしょう?」
季節は夏、蝉の鳴き声が上から降ってくるように鳴り響く中、俺は出張の為ここに来ている。
暑さだけでも体にくるのに、蝉以上に五月蝿い音で叩き起こされた。
何か夢を見ていた気がするが、あんまり覚えていない。
遊びに行きたくても、それを許さない環境がここから逃げたいという欲求でも夢に出ていたんだろうか。
「でもかわいい子だったな…。かなりギャルっぽかったけど」
いつまでも、現実に戻りたく無い俺は、その子の事しか思い出せないのにいつまでも考えてしまう。
「さって、今日も元気に社畜しよーか」
しかし、いつまでも現実逃避出来ないのでテキバキと出勤する準備を始めた。
俺は、都内のとある建設会社に勤めている会社員だ。
先日昇進をして、やっとまともな役職をいただいたのだが、すぐに辞令が出てここ四国にある田舎町に派遣された。
『四宮君、これからもっと上に行ってもらわないといけないからね、現場で学んでおいで』
と上司である部長直々に言われれば、断る事も出来ない。
幸いにしてこの歳でまだ独り身だし、普段も仕事漬けな毎日だから荷物が少なくて引っ越しも簡単に終わった。
今回の現場である、この町の新しい象徴となるであろう近代的な建物が建て終わるのに2年程の計画だ。
それが滞りなく終われば俺はまた本社に帰れる。
そうすれば次は次長くらいになれるかもな。
ふっふっふと、いい歳したおっさんが一人笑いしていると、どこからか笑い声が聞こえてきた。
「やだっ、あれ見て。おじさんが変な笑いしているよ。気持ち悪いね」
「え、そう?ツーか聞いてよ、昨日さぁ・・・」
女子高生らしい二人組に、キモチワルイ扱いされて朝から本気で凹む俺。
こんな田舎でも、女子高生は、やっぱり女子高生なんだなぁと考えながら現場に入っていった。
「監督、おはようございまーす!」
「ああ、おはよう。今日も宜しくね」
この工事現場には、様々な地方から職人がやってくる。
色んな方言や、それどころか英語、中国語、韓国語、ロシア語、ブラジル語、カダログ語まで…。
一体どこから集めてくるの分からないが、本当に色んな人々がいる。
「オヤカター!今日はドコですかー?」
「ああ、サム。今日は、A地区へ行ってくれ。あっちのリーダーから指示があるから」
「リョウカイしましたー!」
最近の若い外国人労働者は2タイプいて、1つは働くために来た人々。
これは主に親の仕送りや、こっちにいる恋人と生活するために働いているパターンだ。
その場合は、大抵が外国の専門業者が入国から仕事に就くまでの斡旋と仲介をしており、噂ではかなりボラれているとか。
もう一方は、日本に遊びに来ていて滞在費と旅行代を稼ぐために一時的に働いているパターンだ。
こっちは、日本に専門業者がいて仕事の仲介をしている。
日雇いのバイトになるので日々の給金は安いが、しっかり働いてくれる子が多い。
貰っている金額を訊いてみたことがあるが、しっかり法令通りに最低賃金は守られてお金を貰っているようだ。
しっかりと働いてくれる外国人はいまや建設業界の縁の下の力持ちと言える。
ここ四国に来て既に4か月が過ぎていた。
春に訪れた時は爽やかな空気が流れていたが、夏季に入ると一変夏特有の草花の匂いが濃くなった。
蝉の鳴き声や、活気に満ちた人々の声。
熱された空気が肌に心地よく、夏が好きな俺にとってはいい季節になったと嬉しくなる。
そう言えば、今日はお祭りだっただろうか?
先週辺りから近所の大きな公園に櫓を組んでいた。
こっちでも盆踊りとかやるんだろうか。
きっとお祭りをやるだろうから、屋台が沢山並ぶに違いない。
踊りの方はからっきし駄目だが、祭り自体は大好きだ。
いや、嫌いな日本人なんてどれほどもいるだろうか?
ふわっと浮きだつ気持ちが湧いてくるが、意志力を持って意識を戻す。
そうだ、俺は今仕事中だった。
今はこの仕事を上手くやる事だけ考えよう。
「おつかれしたー!」
「オヤカタ、マタネ」
「監督サン!また明日ネー!」
日が暮れて、若い奴らが一斉に帰っていく。
修繕工事とかと違って、建物を建てる工事は余程工期が迫らない限りは日中にしか工事をしない。
安全面もあるが、周辺との折り合いもあるからそう簡単に夜に工事作業は出来ないのだ。
だからといって、俺も夜になったら帰れるかと言えばそうでもない。
日中は彼らの監督をしつつ、他の社員に対して指示を出す。
進捗を確認したり、トラブルが無いかを確認したり、搬入物の確認や各検査や試験の結果の確認等々と実に色々な事を行っているが、日が落ちて彼らが帰る頃から本社への報告業務や各種書類の確認、社員からの申請の承認、納品書状況の確認から、発注の承認などと多量の事務仕事が待っている。
もちろん、前段階までの作業は専任の事務員が行っているが、最終確認は全て俺なのだ。
小さなことは任せるが、最終承認は全て自分でやらないといけない。
今日も2時間程残業をして帰ろうとすると、公園のほうから明かりが見える。
「ああ、そうか。やっぱり今日から祭やってるんだな。…よし、少しくらい見て帰るか」
仕事で疲れた頭を冷やす為、少し涼しくなった風に当たりながら祭りがやっている公園足を運ぶ。
まだちらほらと親に連れられた子供達のはしゃぐ姿や学生たちが楽しむ姿が見られる。
電気の灯りで照らされた提灯が並ぶ屋台を覗きながら、今日の晩飯を探す。
お祭りと言えば定番のフランクフルトと、焼きそば、たこ焼き等を1つづつ買い、ビールを一缶買うと近くのベンチに座った。
最近は新しい屋台も増えてきたが、それでも定番を選んでしまうのは冒険が出来ない性分だからかもしれないな。
そんな自分に苦笑いしながらも、黙々と食べる。
行き交う人々をビールを片手に眺めていると、我ながらおっさんになったなと思う。
特に学生たちが楽しそうに遊んでいるのを見ると、若い頃を思い出してしまう。
『そんなんだから、貴方はモテないのよ?』
ゴホゴホッ!
ふと、昔言われた事を思い出して吹き出しそうになり、咽てしまう。
そう言えば、あの子と初めてデートしたのもお祭りの時だったか。
かなり昔の事を一人で思い出して赤面しつつ、残っていた焼きそばを掻っ込む。
危うくもう一度咽そうになるが、今度はしっかり我慢する事が出来た。
ふと、祭りと言えばと今朝の夢を思い出す。
あんな可愛い子が居るわけが無いが、それでも自然と浴衣を着た女の子に目がいってしまう。
「何を馬鹿な事を考えているんだ?」
夢の中で見た少女が居るわけが無い。
そう、居るわけが無いのだ。
それなのに探してしまう自分がいる。
「一体俺はどうしちまったんだ?」
独身貴族が長引いて、拗らせてしまったんだろうか。
いや、少し酒が回ったせいかも知れない。
邪念を払うかのように頭を振り、空いた容器を指定のゴミ箱に突っ込むと家の方に向かう事にした。
明日からまた同じ毎日。
しかし、この町にいる期間は決まっているのだ。
2年。
そう2年経てばまた都内に戻れる。
それまではひたすら仕事に打ち込むしかないだろう。
そんな事を考えて歩いていた時だった。
ドンっ!
「うわっっと、いって~」
「うああっ、ごめんなさいっ!ちょっと躓いちゃって」
そこにいたのは、可愛い女の子だった。
女子高生くらいだろうか?
濃い青に金色の金魚が泳いでいる模様の浴衣を着ているその少女は、とても可愛らしい顔をしている。
ぶつかった事を本当に申し訳なく思っているのかぺこぺこと謝る少女。
なんだか素で可愛いなと思い、自然と笑みが零れる。
「ははっ、大丈夫。こう見えておじさんは丈夫だからなんともないよ。それより、もう暗いから足元に気を付けてね?」
「あっ、はい!ありがとうございます!」
少女はそう言うと、もう一度だけお辞儀してから小走りに去っていった。
今躓いたばかりなのに、小走りするとかちょっとおっちょこちょいなのかもしれないな。
「運命なんて、そうそうないよな」
とても可愛い少女ではあったが、流石に自分が夢見た少女とは全く違った。
そんな偶然が早々起こるわけが無い。
まして、見たのは夢の中なのだから。
暗い夜道、公園をゆっくり回りながら社宅がある方へ歩いていく。
途中で駅前を通るのだが、コンビニや本屋があったりするので帰りに良く立ち寄る。
駅前は待ち合わせてる人たちをよく見かける。
それは子供を待っている親だったり、恋人を待っている人だったり。
理由は様々だが、駅前というのは得てしてこういう人たちが良くいる場所だ。
そんな待ち合わせに良く使われる場所から、良く通る声が聞こえてくる。
喧嘩でもしているのか、少し荒い口調だ。
しかし、声は一つしか聞こえないから喧嘩の相手は電話の向こうなのだろうな。
「あー、もうっ!そう言うのは早く言ってよ!もう、私来ちゃってるんですけど!どうしてくれるのさ!…だから…もう、しんない!」
別に良くあることなので、そのままスルーするつもりだった。
でも、なんとなしにそっちを見て目が合ってしまった。
「なーに?ドタキャンされた私が面白いの?」
いきなり不機嫌そうに少女からそう言われる。
いや、別にニヤけていたわけではない。
しかし、表情が崩れてしまっていたのは否定できないだろう。
そこに居たのは、白い生地に黄色と赤いと青い花が描かれた浴衣で身を包む明るい色のウェーブの髪の少女。
少し焼けた肌が、その浴衣をより際立たせている。
目元がぱっちりなメイクに、テカりのあるリップ。
この少女は、まさに俺が夢で見た子だ。
「いや、こんな可愛い子でも待ちぼうけするんだなと思ってね」
「何それ、嫌味?…でも、可愛いって言ったから許してあげる。そんな事よりさ、一人でこんな所でうろついているいるだなんてさ…」
少し照れつつ、少女が俺に笑いかけた。
屈託なく、それでいて野性的な笑顔。
「おじさん、いま暇でしょう?」
これが俺と少女のの出会い。
きっとこの瞬間を一生忘れないだろう。
今でもあの時の夢を思い出す。
見た後は、せつなくて、せつなくて、せつなくて。
それでいて、とっても幸せになった夢。
あの時、もう一度少女と祭を見に行ってなかったらこの幸せは訪れてはいないだろう。
それから3年経った今の俺は…
───とても幸せなのだから。
もし、良かったら評価をお願いします。
感触が良ければ、この話を長編で書くこともあるかもしれません。
よろしくお願いいたします。