真夜中に咲く桜の下で
都心のタワーマンションの最上階が消失した事件を、梨珠は保護された警察署で知った。
新聞の記事によると火災とガスによる爆発で屋上が焼け落ち、最上階の部屋は全焼したらしい。
ただ不思議な事にそれ程の火事、それに爆発があったにも関わらず、付近の住民の誰一人として、気付いた者は無かったそうだ。
その後、事件の終息を未来から聞かされ、梨珠と彼女の母親、香織は自宅であるマンションへと戻って来た。
割れた窓は陰陽課の刑事である未来が手配したのか新しい物に代わっており、部屋で乱闘があった事を窺わせる物は何も残ってはいなかった。
あれから何度か真咲の事務所を訪ねたが、真咲にも花にも会う事は出来なかった。
事務所からは物音一つ聞こえず、誰もいない事が窺えた。
それから一月程が過ぎ、季節は春を迎えようとしていた。
春休みのその日、梨珠は香織と共に彼女が働くキャバクラの花見に参加していた。
公園の芝生にシートを敷き、大勢の人が青い夜の下、ライトアップされた薄桃色の花を見上げている。
梨珠が夜桜を見ながら大人たちに交じり、ジュース片手にお弁当をつまんでいると、香織の同僚、愛美と一緒にいた拓海と目が合った。
梨珠は香織から離れ拓海の隣に腰を下ろす。
「拓海さん、愛美さん、お久しぶりです……あの、あれから真咲と会いました?」
「梨珠ちゃん、久しぶり……君も会えていないの?」
「……はい……襲撃があるかもってメールが最後で……」
「私達もよ……何度かメールや電話をしたけど返信も無いし、電話も繋がらない……」
「もう会えないんでしょうか……?」
「きっと……仕事で遠くに行ってるだけだよ……」
そう言った拓海の声は少し震えている様に梨珠には感じられた。
「あーッ! 梨珠ちゃんだにゃあ! 久しぶりッ! 元気だったかにゃ!?」
「珠緒さん!? お久しぶりです!!」
手を振って駆け寄ってきた黒髪の女性は、目を糸の様に細めて嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そうだ! 珠緒さん、真咲が何処にいるか知りませんか!?」
「にゃ? 連絡貰ってにゃいの?」
「はい」
「珠緒さん、真咲は今……」
少し期待した目で珠緒を見る三人に、彼女はにゃははと笑いながら頭を掻いた。
「実は真咲、ちょっと大変な事ににゃってて……驚かにゃいで欲しいんだけど……」
「タマ、誰と話してんだ? 鳴神達を迎えに行ったんじゃねぇのか?」
少年の声が珠緒に掛けられる。
そちらに目をやると、梨珠と同年代ぐらいのハンサムな黒髪の少年がこちらを見ていた。
白いダウンジャケットに黒いプリントTシャツ、ジーンズにスニーカー、その胸元には革ひもで吊るされた宝石が光っていた。
少年はスタスタと梨珠達に歩み寄ると、ニカッと笑って口を開く。
「なんだ、梨珠じゃねぇか。お前らも花見か?」
「えっ……誰?」
「誰って……あ、そうか、そういえばどう伝えようか悩んでるうちに、面倒になっちまってそのままだったな」
「……そういう事はちゃんとしにゃいと……」
「へへッ、すまんすまん」
肩を竦め苦笑を浮かべたその顔が、記憶の中の金髪の青年と重なる。
「もしかして……真咲なの?」
「おう、真咲だぜ」
「「「えっ!? えぇえええっ!?」」」
梨珠と拓海と愛美は少年の言葉にハモりながら驚きの声を上げた。
■◇■◇■◇■
「という訳でよ。中学生からやり直す羽目になったって訳さ」
「吸血鬼って滅茶苦茶ねぇ……」
事の経緯を聞いた梨珠は呆れた様子で真咲に答えた。
少年の姿の真咲と再会した梨珠達は、あの後、香織も含めて別の場所で花見をしていた真咲達の所へ移動し、何があったか詳細を聞かされた。
彼は最初に梨珠達が襲撃を受けた事を詫び、自分が吸血鬼である事、今回の襲撃が彼を吸血鬼にした緋沙女という女の仕業だった事を説明した。
真咲の説明によると緋沙女は宝石にして封じる事が出来たが、その為の力を得る為、大量に血を飲み、灰から復活しても血狂いという怪物になる筈だったそうだ。
しかし、知り合った神様が浄化してくれた事でそれは避ける事が出来たらしい。
「ほんと、姫さんには感謝、感謝だぜ」
「うむ、力の限り妾に感謝するが良い!!」
赤髪の男にしなだれ掛かっていた白髪金眼の美女が、紙コップ片手に声を張り上げる。
「ただ、力を浄化され過ぎて、ガキに戻っちまったのは困り物だがよ」
「そのぐらいで済んでよかったではないか」
黒髪の妙齢の女性が言うと、赤い髪の男も頷きながら口を開く。
「そうですよ。怪物にならずに済んだのですから、御の字というものです」
「そうじゃぞ! 血吸い鬼ぃ……らるふぅ、酒ぇ」
赤髪の男の横で声を上げた白髪で赤い顔をした美女は、男を上目遣いで見つめながらコップを彼に突き出した。
「オビハナさん、少し飲みすぎでは?」
そう言いつつも、赤髪の男は紙コップに酒を注いでやる。
「何を言っておる、らるふぅ……そんな事よりお主も飲めぇ……ヒックッ」
「やれやれ……」
「へへッ、すっかり懐かれたな」
「依り代で身を二つ分けてでも、ドイツに付いて来ると言って聞かなくて……どうしましょうかねぇ……?」
白髪の美女にしなだれ掛かられている赤髪の男がそう言って苦笑すると、長い黒髪の少女が話を元に戻した。
「ラルフさんの事より、今は咲ちゃんだぁ! あの後、お父から話を聞いてオラ、肝が冷えただぞ!」
「まったくだ。君が肝心な事を言わないから……私は佳乃にさんざん馬鹿だのおたんこなすだの言われて……」
その少女の横に座っていたスキンヘッドの巨漢が、真咲にボソリと苦情をいう。
「悪ぃ悪ぃ」
「……あん時は八つ当たりして済まなかっただ、お父」
「佳乃ぉ……」
涙ぐんだ桜井を見て苦笑しながら香織が口を開く。
「色々……大変だったのねぇ……」
真咲が吸血鬼だったという衝撃から話を聞いて行くうち立ち直った香織は、なんと言っていいか分からないといった感じで笑いながら相槌を打っていた。
香織や拓海、それに愛美は吸血鬼に襲撃された事で、そういう存在がいるという事を身を以って知った。そういった経緯もあり真咲が吸血鬼である事、子供になった事も意外とすんなり受け入れた様だった。
「そうなんスよ、香織さん……でもまぁ、緋沙女はこの通り封じる事が出来たし、もう香織さん達が襲われる事は無いと思います」
そう言って真咲は首に下げていた宝石を革紐をつまんで掲げてみせる。
「それが緋沙女って人なのかい?」
「ああ。多分、この状態から復活するのは相当難しいだろうが、万一って事もあるしな、持ち歩く事にしたんだ」
「へぇ……しかし、真咲が吸血鬼だったとはねぇ……」
「ホントだよ。なんで教えてくれなかったの? 梨珠ちゃんには教えてたのにさ」
「それなりに長い付き合いなのに……ちょっとショックだよ」
「いや、梨珠に教えたのは成り行きというかだなぁ」
少し落ち込んだ様子の拓海とプクッと頬を膨らませ尋ねた愛美に、真咲は少し慌てた様子で取り繕う。
その様子を見てクスッと笑った愛美は、その笑顔のまま真咲に尋ねる。
「フフッ、まぁ、いいわ。それで、子供に戻った真咲君はいったいどうするの?」
「このなりじゃ、便利屋も出来ないんで、ディーに世話になりながら学校にでも通おうかと」
「学校に通うの!?」
「ああ、一応、独学で色々勉強はしたけど、学校には行った事ねぇからよぉ……ちょっと楽しみだぜ」
目を丸くした梨珠に真咲はそう言って笑みを浮かべた。
「もしかしてだけど……同じ学校?」
「事務所から通うつもりだから、そうなるだろうな」
「そうなんだ……」
「オラも来年で小学校は卒業だで、一年は一緒に通えるだな」
「花ちゃんも……」
少し考え込んだ様子の梨珠に真咲は小首をかしげた。
「何だよ?」
真咲の問い掛けに梨珠は、先程、香織が見せた何とも言えないといった笑みに似た物を浮かべながら答える。
「花ちゃんが後輩になるのはいいんだけど……真咲、あんた、学校中の女子や女の先生に声掛ける気でしょ?」
「それは……だねぇ……」
「やっぱり!! 図星なのね!? ……サイテー」
「……真咲さん、どなたか一人に決めなさいと忠告したでしょう?」
「そうだべ、咲ちゃん」
「そうじゃな……咲太郎、お主は一体誰を伴侶に選ぶのじゃ?」
花と妙ににじり寄られた真咲は、ちょっと、トイレとその場から逃げ出した。
「あっ、咲ちゃん!?」
「……まったく、困ったものじゃ」
「あれ、真咲は?」
真咲が逃げ出したのと入れ替わりで、珠緒の他、ライトブルーの髪の女と短髪ツーブロックの男、そしてギャルっぽい女性が花見の席へ加わる。
その後、目つきの鋭いリーゼントでスーツの男と、白髪金眼の女性も合流し、花見はワイワイと続いていった。
■◇■◇■◇■
トイレを口実に花見の席から逃げ出した真咲は桜を見上げ考える。
取り敢えず、子供に戻った事だし、誰を選ぶかは成長しながら決めて行こう。
彼はそんな風に考えていたが、花や妙、そして珠緒はすぐにでも答えが欲しい様だった。
彼女達の気持ちも分かるが、ちょっとは待って欲しいぜ。
そんな事を思い苦笑しながら真咲はハラハラと散る桜の花びらを眺めた。
「やっぱ、桜は綺麗だぜ……」
「うう……おかあさぁん!! おかあぁさぁぁん!! どこぉ!!」
どうやら迷子になったらしい、女の子の悲鳴の様な泣き声が真咲の耳に飛び込んで来た。
視線を向けると、公園の芝生の上を大泣きしながら髪をツインテールにした幼い少女が歩いている。
周囲の大人は声を掛けるべきか、少し迷っているようだ。
真咲はふぅとため息を一つ吐くと、その少女に歩み寄った。
「よぉ、お嬢ちゃん。母ちゃんとはぐれたのか?」
「グスッ……うん」
「良かったら俺が一緒に探してやろうか?」
腰を曲げて少女と目線を合わせながら笑った真咲に、彼女はぱぁと表情を明るくする。
「お兄ちゃんが!? いいの!?」
「ああ、俺にかかればお嬢ちゃんの母ちゃんなんて、すぐに見つけてやるぜ」
「ほんとうッ!?」
「勿論だぜ、なんせ俺は新城町でも評判の便利屋だからよ!!」
そう言うと真咲は右手の親指を自分に向け、ニカッと笑みを浮かべた。
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