蒼い炎
議事堂近くのタワーマンションの最上階が燃えている。そんな異常な事態にも関わらず周囲では何の騒ぎも起きていなかった。
原因はそのマンションの住人がテロリストの存在を知り、その殆どが退去した事もあるが、マンションの前に止められたトレーラの屋根に座り、マンションを見上げている金眼白髪の美女の存在が大きかった。
「臭いは気に入らぬがあの血吸い鬼も中々に良い男だの……おっと、お主の出番は終わりじゃ」
そう言うと、尾代山の守り神、尾毘芭那比売はチョイチョイと指を動かし、煙を上げてマンションの上を飛んでいた桜井の乗った人型兵器を引き寄せた。
真咲はオビハナに自分が敗北した際の事態の収拾を願っていたが、彼が戦っている間はオビハナも含め、誰にも手を出させないでくれとも頼んでいた。
「姫様、そんな場所にいては人に……」
トレーラの下から彼女の眷属である雪枝が声を掛ける。
「結界を張り、その上で人の意識が向かぬ様、広域に術を施してしておる。見つかる事は無いわ……それよりあの鬼、中々に頑張っておるぞ」
「……さよう……ですか」
オビハナはそう話しつつ念力を使い、引き寄せた人型兵器を地面にそっと下ろした。
『なッ、何が起きた!?』
オビハナに引き寄せられ混乱する桜井に苦笑を浮かべながら、その金の瞳が見上げた空には、蝙蝠に似た羽根を生やした少女と彼女に抱かれた子猫が月明かりの下を飛んでいた。
その二人の視線の先、最上階では真咲と緋沙女の力がぶつかり合っている。
戦いの前、緋沙女が言った様に炎を操る真咲と氷を操る緋沙女では、互いの力は相殺され泥沼の様相を呈していた。
「やっぱり不毛だわ……ねぇ、もう止めない? 今回は手を引くから……」
「嫌だね……あんたは俺の大事な物に手を出した。今回は引いてもまた同じ事をするだろう」
「……本当に……何で貴方だったのかしら……」
そう呟きながら緋沙女は自分の周囲に生み出した無数の氷柱を真咲に放つ。
その氷柱を真咲は爆炎を放ち一瞬で蒸発させた。
「……ほんと不毛だわ」
向かって来る爆炎を氷の吐息で掻き消し、嘆息しながら言った緋沙女に吐息を炎で切り裂きながら真咲が突進する。
その突進する真咲の前に突然床から氷の塊が出現した。斜めに突き出した円錐型の氷柱群は槍衾の様に真咲の体を貫く。
だが貫かれても真咲が止まる事は無かった。
彼は自分を貫いた氷の槍を溶かし、その傷口から炎と血を吹き出しながら緋沙女に肉薄した。
「終わらせるぜ、緋沙女」
「泥臭い戦い方……戦いはもっとスマートにやるべきだわ」
目の前の真咲に冷笑を浮かべ、緋沙女は指を鳴らした。
「グッ!!」
焼け焦げながら凍り付いた床から無数の氷柱が伸び、燃え盛る真咲の体を貫き吹雪を撒き散らす。
氷柱は体中に穴を開け、その何本かは真咲の心臓を貫き凍らせていた。
「……吸血鬼の力の源は血、吸った血の総量が多い方が勝つ……確かに貴方の力は私の力とは相性が悪いけど……やっぱり長く生きた私には勝てなかったわねぇ」
そう話している間にも真咲を刺し貫いた氷の柱は吹雪を吹き出し続け、炎さえも凍り付かせ人の形をした火柱の彫像を作り出す。
「貴方が燃やし灰にして、私が凍らせ永久に封じる……私達が組めば吸血鬼達は誰も逆らえないのに……」
そう言って緋沙女は凍り付いた真咲の頬にそっと手を伸ばした。
その手が氷を割って噴き出した炎によって一瞬で炭化した。
「嘘ッ!?」
焼かれた右手を引き、驚きで目を見開いた緋沙女の前で真咲の体を覆っていた氷は溶けだし、噴き出した炎の熱で蒸発して行く。
「どうして……私の方が力は上の筈……?」
全ての氷を溶かし切った真咲は、燃え上がりながら床に膝を付き、荒い息を吐きつつ緋沙女を見上げた。
「はぁ、はぁ……何の策も無しに……来る訳ねぇだろ」
「一体何を……」
「へへッ……さっきの……んぐッ……ロボットに乗ってる奴……あいつはディーって……ふぅ……俺のダチの一人なんだが……本職は外科医なんだ」
真咲は立ち上がり呼吸を整えながら緋沙女に答える。
「外科医? そんな事知ってるわ!? それが何だって言うよの!?」
「ありったけの輸血用の血を分けてくれるよう頼んだ」
それを聞いた緋沙女の顔から一瞬で血の気が引いた。
「まさか……飲んだの……?」
「ああ、ざっと五百人分は飲んだ。ついでにダチの血もたらふく飲んだからよぉ……おかげであんたを灰に出来そうだぜ」
真咲は力になれるならと、自分の血をギリギリまで提供してくれた慎一郎の顔を思い浮かべながらニヤリと笑う。
「馬鹿なのッ!? そんな事したら私を倒せても貴方は……」
「へへ、だから後始末は神さんに頼んだのさ……そうだ、別のダチと一つ約束しててよぉ」
今度はラルフの顔を思い浮かべながら真咲は言葉を紡いだ。
「約束……」
「女は一人に絞れってな。だからよ、クッソッ気に食わねぇ女だが……お前を選んでやるよ、緋沙女」
「私を……ふっ、ふざけないで頂戴!!」
緋沙女の叫びと共に氷と雪と風が燃える真咲に襲いかかった。
しかし勢いを増す炎がその全てを溶かし蒸発させて行く。
「……もう……あんま……時間が無い……みてぇだからよ」
血への渇望が湧き上がり朦朧とし始めた意識の中、真咲は緋沙女に右手を伸ばした。
伸ばされたその手が緋沙女の左手を掴み、燃やしながら引き寄せる。
「はっ、放して!!」
真咲は緋沙女を強く抱きしめたまま、更に激しく炎を噴き上げた。
「この前、神さんが言ってたよ。子がやった事の責任は親が取るもんだって……それって逆もそうだろ?」
「一体何言ってるのよッ!? 放しなさいよッ!! 嫌ぁああ!! この私がッ、こんな所でッ!!」
叫ぶ緋沙女の体を炎が問答無用で焼いて行く。炎は熱量を増しその色を赤から黄色、そして白へと変えていく。
緋沙女は体から冷気を吹き出しそれに対抗しようとしたが、炎の色が蒼に変わった時、その抵抗も虚しく終わった。
「ガァアアアア!!! ……まさか……こんな……私は……自由に……生きたかった……だけ……なのに…………」
緋沙女の脳裏に遠い遠い過去が浮かぶ、貧しい寒村、その村はいつも冬になると雪に閉ざされた。
手足はいつもあかぎれと霜焼けで真っ赤に染まり、それでも凍る様な水で家事をしなければならなかった。
いつかこんな村から出て、自由に誰の指図も受けず生きるのだ。その頃の彼女はそんな事ばかり考えていた。
薪は貴重で煮炊き以外で使う事は許されなかった。その時の煮炊きの炎だけが冷え切った彼女の体と心を温めてくれた。
真咲の炎に焼かれながら緋沙女はかつて感じた、そんな暖かさを感じていた。
氷の女帝と呼ばれた吸血鬼は、自分が血族にした烈火の皇子と呼ばれた男の腕の中で灰になり、更にその灰を焼かれキラキラと光る一粒の結晶となり床に転がった。
宝石になった女の前に、焼け焦げた男が膝を突く。
「……ふぅ……」
そうため息を一つ吐いた男の体も、力を使い尽くしたのか徐々に炭化を始めていた。
『……助かりたいかね?』
膝を突いた男に干乾びた獣の手が問いかける。
「あん時の悪魔か……なんだよ? 今はヘトヘトなんだ……話は後にしてくれ」
『……忌々しい事に、貴様のおかげで自由になれたようだ……借りを返さねば存在が保てん……願いを言え』
「願い? ……そうだな……俺のダチと仲間が幸せに暮らせますように……かな」
『……最後まで愚かな男だ……だが願いは願いだ……確かに賜った』
そう言って手はほのかに光ると翳む様に消えた。
それと時を同じくして、跪いた男の体もバランスを崩し倒れ、バラバラに砕け散った。
そこに残ったのは一握りの灰と月の光を受けて光る一粒の宝石だけだった。
面白かったらでいいので、ブクマ、評価いただけると嬉しいです。