成りそこなった男
佐藤は出品者の上田を成金と言っていた。確かにこんな家に住めるのなら金は持っているのだろう。
家の周囲を取り囲む高い塀を見上げながら真咲はそんな事を考えた。
「どうするのじゃ? あの男は下手に手を出せば人魚と一緒に死ぬつもりだと言うておったが……」
「取り敢えず霧になって様子を探ってくるわ。妙は車で待っててくれ」
「分かったのじゃ」
真咲はその身を霧に変えると塀を飛び越え上田の家へと侵入した。
塀の中には広い庭に母屋と思われる建物の他ガラス張りの建物が建てられ、その中に四角い池が作られていた。
その池には無数の魚が泳いでいる。魚は見た事の無い物が多く、上田の生業はその魚を販売する事では無いかと思われた。
観賞魚のブリーダーか……。
真咲は心の中でそう呟き霧のまま母屋へと侵入する。
ある程度の隙間があれば、霧に内包した衣服ごとすり抜けられる。
今回は二階の窓を手だけ実体化させて開け、その隙間からスルリと二階の寝室だと思われる部屋へと侵入した。
そのベッドが置かれた部屋には、家の前で感じた潮の匂いに似た腐敗臭がより強く漂っていた。
死んだ魚でも置いてんのか?
そんな事を考えつつ実体化し、入り口のドアをそっと開ける。
一気に腐敗臭が強さを増し真咲は思わず臭いをカットした。
同時に下の階から少女の声とくぐもった男の声が聞こえて来た。
会話の内容は分からないが何やら言い争っているようだ。
真咲は音を立てない様にそっと声のする方へと歩みを進めた。階段を降り一階の廊下に出る。
声はどうやら更に下、地下から響いて来ているようだ。
その声を頼りに地下への入り口を探す。真咲は気付いていなかったが声に近づく程、腐敗臭はきつくなっていった。
『どうすればこの体は元に戻る!?』
「分かんないよぉ!! 私の体を食べたおじさんが悪いんじゃない!!」
パンッと渇いた音が響き、短い少女の悲鳴が真咲の耳に届いた。
『もっと食えばいいのか!?』
「もっ、もう痛いのは嫌だよぉ!!」
再度、パンッと音が響く。
「痛ッ!! なっ、何度殴られたって知らない物は知らないよぉ!! お願い、海へ帰してよぉ……お願い……」
妙が言っていた様に全ての者が不老不死を手に入れられる訳では無い……何の変化もしない者、大半の人間はこれだ。二つ目に稀に妙の様に人の姿のまま不老不死化する者。そして三つ目、ごくごく稀にその身に魚の特徴を宿し不死化する者がいる。
話を聞くに上田は三番目の様だ。
声を辿り見つけた地下への入り口、そこから続く階段を降りながら真咲はそう結論付けた。
階段を下まで降りその影から地下室を覗く。
真咲の視線の先、蛍光灯の明かりに照らされた、コンクリートの壁に囲まれた部屋には壁に沿って沢山の水槽が並び、中央のテーブルの上には薄緑の髪の少女が頬を押さえ涙ぐんでいた。
その涙を溜めながら睨む瞳の先に、頭に鱗と黒髪を生やしたワイシャツ姿の男が立っている。
『クッ……人魚の肉にこんなリスクがあるとは』
「なるほどねぇ、それで翡翠ちゃんを渡すのを渋っていたのか」
『誰だ!?』
振り返った男の顔は瞼の無い真ん丸な瞳に三角の牙を持つ口と、人と魚の中間の様に変わっていた。
男は階段の側に立つ真咲に気付くと、長く爪が伸び鱗の生えた両手を突き出し無言で襲い掛かって来た。
その男の攻撃を躱し、突き出された右手を捻って床に組み伏せる。
『ググッ……』
「……俺は木村真咲、駿に頼まれて翡翠ちゃんを取り戻しに来た便利屋さ」
「駿が!?」
『便利屋だと!? どうしてここが分かった!?』
「佐藤から聞いた。アンタはもう客じゃないんだと」
『クソッ、あの鼠めぇ……』
真咲に組み伏せられた上田は、忌々し気に牙を打ち鳴らしながら顔を怒りで歪めた。
「そういう訳なんで、翡翠ちゃんを返して貰らうぜ?」
『返す!? 駄目だ!! この魚がいないと元に戻る方法も探れん!!』
「…………お前、戻りたいのか?」
『当たり前だ!! こんな姿では暮らしていけん!!』
「はぁ……自業自得ちゃあ自業自得だが……ちょっと待ってろ……そうだ、翡翠ちゃんを水に入れてやれ」
そう言うと真咲はあっさり上田を解放し立ち上がった。
そんな真咲を上田も翡翠もポカンと見つめる。
「何だよ?」
『……俺を助けるのか?』
「……なんで!? そいつ私を攫って酷い事したんだよ!?」
「まぁ、そうなんだが……こんな状態でほっとく訳にもいかねぇだろ? ……とにかくだ。何か知ってるかもしれない奴連れてくるから、それまでに翡翠ちゃんを水槽に入れとけよ」
「なんでッ!?」
『……あ、ああ』
憤る翡翠の声を聞き流しビシッと人差し指を突き付けた真咲に、上田は戸惑いながら答えた。
■◇■◇■◇■
「これは……魚人化じゃのう……そうなる者は千人に一人もおらぬ。ただ魚人もまた不死として永遠に生きねばならぬ」
上田の姿を見た妙は首を振って悲しそうに上田を見つめた。
『不死!? 俺は……俺はずっとこのまま生き続けないとならないのか!? なんとか……なんとかならないのか!?』
「そうじゃのう……」
妙は蛍光灯に照らされた地下室を見回すと、テーブルの上に乗ったナイフを手にした。
そのナイフでおもむろに指の先の肉を切り落とす。
ポトリとコンクリートの床に一滴、血が落ちたが彼女の指先はすぐさま肉が盛り上がり再生していた。
「これを食ってみろ……上手くすれば人に戻れるやもしれん」
そう言って妙は切り落とした肉片をつまんで上田へ差し出した。
『その指……あんたも人魚を…………なぁ、こいつを食ってもっと酷く……完全に魚になるなんて事は……?』
「その可能性も僅かながらある、だが人に戻った者もおった……選ぶのはお前だ……案ずるな、魚になったら海へ放してやろうぞ……」
『……』
上田は妙の指先につままれた肉片に鱗の生えた手を伸ばしながらも、肉片を手に取る事を躊躇していた。
その様子を巨大な水槽に入れられた翡翠が水面から顔を覗かせ、眉根を寄せてじっと見ている。
「なんでそんな悪いおじさんを助けるの!?」
「……なんで、か……儂と同じじゃからかの?」
「同じって……お姉さんは姿は人間のままじゃない!」
「見た目はな……じゃが儂もこの者も永久を生きる呪いに掛かってしもうた……定命に戻れるなら戻してやりたいのじゃよ」
「……なにそれ!? 全然わかんないッ!!」
チャポンッと音を立て翡翠は水の中に潜り向こうを向いてしまった。
彼女のしてみれば、自分を拉致監禁しあまつさえ体を食われた相手だ、許せないのも当然だろう。
「上田、今のままなら人間社会は勿論、多分海でも受け入れられる事はねぇ……食わなきゃ永遠に独りで生きる事になるぜ」
『独りで……』
「どうする? ……選べぬと言うなら儂と山中で暮らすという選択もあるぞ……ただ、そうなれば何も変わらぬ狂う程長い時を……何千、何万という年月を儂と共に過ごす事になるじゃろうが……」
魚と人の双方が混じった上田の顔が不安と恐怖と憤りで歪む。
ずっとこの体のまま永遠に生きる? この得体の知れない女と一緒に? そう考えた上田はその後を自然と想像していた。
様々な未来が上田の脳裏に浮かんだが、最終的にはその全てが破綻して終わった。
物事はいつか終わる、だが女も自分も終わりがない……どんな関係になろうと、いずれ人の姿をしている女とわが身を比べ彼女を憎み始める様に今の上田には思えた。ならば……。
『……食うよ……』
「そうか」
妙から受け取った肉片を上田は三角の牙の並ぶ口へ放り込んだ。
ゴクリと喉が鳴り暫くすると、彼はうめき声を上げて床にしゃがみ込み苦しみ藻掻き始めた。
その様子を見た翡翠は彼への怒りも忘れ、顔を青ざめさせていた。
「妙、こいつ大丈夫なのか?」
「ああ、肉体が変化しておるのじゃ……人、魚、どちらになってもこやつは老化し、やがて死ぬ筈じゃ……まこと羨ましいかぎりじゃ……」
「……お姉さんも私の仲間を食べたの……?」
「ああ……遠い遠い昔にの……」
水槽から顔を覗かせた翡翠が妙に尋ねている間にも、上田の体からは鱗が剥がれ爪も抜け落ち、表皮も髪も歯もボロボロとコンクリートの床に落ちた。
やがて変化が終わった時、そこには黒髪の痩せこけた中年の男が気を失い倒れていた。
「……人に戻ったのか?」
「そのようじゃな……運のいい奴じゃ……行くか咲太郎」
「おう……翡翠ちゃん、海へ返してやるよ」
「うっ、うん……ねぇ、私はもう駿とは会わない方がいいのかなぁ……?」
翡翠の体を抱き上げた真咲の顔を見上げながら、彼女は瞳に涙を溜める。
「さてねぇ……今のままなら会うのは難しいかもな……」
「そう……なんだ……うぅ……」
本格的にぽろぽろと大粒の涙を流し泣き始めた翡翠を、真咲は何も言わず家から運び出した。
妙も無言でその後に続く、最近、人とそれ以外の者の恋を立て続けに見たが、基本的に上手く行くケースは稀だ。
特に人魚と人は暮らす場所が違い過ぎる。妙もその事を分かっていたのだろう。
ガラス張りの池の横を抜け金属製の門を妙が先行し開ける。
押し開けた門の先、そこには警視庁特殊事案対策部第二課、通称陰陽課の刑事、木船正太郎と高木未来、そして武装した警官隊が真咲達を待ち受けていた。
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