他者の命を奪うなら
雪深い尾代山の中腹、人払いの結界の先にこの山の守り神、尾毘芭那比売の社は存在していた。
神社に似たその社の奥座敷、板張りの間の床に斗馬は乱暴に転がされる。
座敷には斗馬を取り囲む形で壁際に古めかしい装束の白髪の男女がズラリと並んでいた。
それに怯える斗真を正面の壇上に寝転がった巨大な狼の金の瞳が値踏みする様に見つめている。
『貴様が我が眷属を傷付けた愚か者だな?』
「う……嘘だ……こんな……デカすぎる」
「姫様の質問に答えよ!」
斗馬を運んで来た白狼の背から引きずり下ろした雪枝の兄、白風が床に転がった斗馬の襟首をつかみ片腕で持ち上げオビハナに向ける。
『何故、我が眷属を傷付けた?』
「それは……その……」
「さっさと喋らんか!」
「クッ……白い狼なんて珍しい獲物を狩ったら箔が付くと思って……」
『ふむ、さようか……では妾も貴様を狩って箔を付けるとするかの?』
「俺を狩る!?」
オビハナは獰猛な笑みを浮かべ、舌なめずりをしながら斗馬を見た。
『さよう……まさかお主、獣が無抵抗に狩られるだけの存在とでも思っておったのか? 他者の命を奪うなら、己が命も奪われる覚悟をするは世の理ぞ?』
オビハナの言葉に斗馬は怯え、荒い息を吐き、脂汗を流しながら小刻みに瞳を揺らせた。
そんな斗馬に鼻先を近づけ、巨大な白狼は蒼白になった斗馬の顔にベロリと舌を這わせる。
「ひぃ!!」
「…………姫様、お戯れが過ぎます……この者の命を奪う気は無いのでしょう?」
「はぁ……雪枝、早々にばらすな。まったく、つまらん奴じゃ」
姿を人に変えたオビハナは、座敷の入り口に横並びで座っていた真咲達の中の一人、白髪の美女、雪枝に視線を向け苦笑する。
「いっ、命を奪うつもりは無い!? ほっ、本当か!?」
「本当じゃ、無駄に命を奪えば血と恨みで穢れるでな……貴様如きでそんな面倒を起こしとうない」
「じゃあ俺は助かるのか!?」
白風に襟首をつかまれた斗馬の顔が明るく輝く。
だがオビハナは喜ぶ斗馬に首を振った。
「ただという訳にはいかぬ。そうじゃな……お主はこの社で下働きとして働け」
「下働きだと!? この俺に雑用をさせようってのか!? なっ!? グエッ!!」
声を荒げた斗馬の体が、白風によって思い切り床に叩きつけられる。
「気に入らぬと言うのであれば、俺が今ここで貴様を八つ裂きにしても良いのだぞ?」
「グッ……てめぇ……」
「……控えよ白風」
「ハッ、申し訳ございません」
「……そうじゃのう……下働きが嫌であれば致し方無い、左腕と右足を置いて行ってもらうとしようか?」
そう言ってククッと暗い笑いを浮かべるオビハナを見て、斗馬は顔を引きつらせた。
「よぉ、斗馬。下働きするって言っとけ、じゃねぇとこの神さん、マジでお前の腕と足を噛み千切るぜ」
「血吸い鬼、余計な口は挿むな」
座敷に胡坐をかき斗馬に声を掛けた真咲をオビハナはピシャリと牽制する。
「いいだろ、ちょっとぐらい。それより組長さんは何処だよ?」
「あの者は妾に受けた傷を癒す為に床についておる。約束じゃ、後で会わせてやるわい」
「オヤッさんの傷の具合はどうなんだ!?」
「フンッ、心配せずとも回復に向かっておるわ」
「そうか……」
「良かったスね、兄貴!」
ホッと表情を緩めた慎一郎に隣に座った良平が笑い掛けた。
そんな二人から視線を床に転がった斗馬に移すと、オビハナは再度彼に問い掛ける。
「さて、答えを聞こうか斗馬とやら、社で下働きとして働き罪を償うか、それとも……」
その言葉に合わせオビハナを筆頭に、座敷に座っていた者達の顔が肉食獣のそれに変わり牙を剥いた。
獣頭の狼達は斗馬を睨み付けながら、グルルと低い唸り声を上げる。
「あっ、あっ……しっ、下働きでいい!! 頼む!! 助けてくれ!!」
唸り声を上げたオビハナとその眷属に怯えた斗馬は、必死でそう声を張り上げた。
その答えを聞いたオビハナは顔を人に戻し満足そうに頷く。
「よかろう……白風、其奴の事はお主に一任する。連れていけ」
「ハッ!」
オビハナに頭を下げた白風は、無言で斗馬の襟首をつかむと彼を引きずって座敷を後にした。
その姿を見送った慎一郎は壇上のオビハナに目を向け口を開く。
「……斗馬はどうなるんだ?」
「さてのう。白風は雪枝を傷付けたあの者に妾以上の憎しみを抱いておった……まぁ妾の命に逆らい、殺す事は無いじゃろうが……かなり厳しい仕事を割り振るじゃろうな」
「……そうか」
「さて、これでこの件は仕舞いじゃ……雪枝、その者達を頭領の下へ案内してやれ」
「はい、姫様。では慎一郎、真咲、良平……こちらへ」
立ち上がった雪枝に案内され、真咲達は奥座敷を出て雪景色の庭を望む廊下を歩き、その廊下に面した一室へ案内された。
その板張りの部屋の真ん中、敷かれた布団の中に壮年の男が横たわっている。
布団から覗いた白髪交じりの頭に慎一郎は駆け寄りしゃがみ込む。
「オヤッさん!!」
「……おお……小島かぁ……別荘で……バケモンみてぇな……狼に襲われて……この様だぁ……」
慎一郎の声に気付きゆっくりと目を開けた男の顔には、左目を覆う様に布が当てられ、その布には血が滲んでいた。
「すまねぇ、オヤッさん……俺が銃の管理を怠ったばっかりに……」
「おめぇの所為じゃねぇ……狼に聞いたよ……仲間を斗馬に撃たれたってよ……全部、あいつを甘やかして育てた……俺の責任だ」
「オヤッさん……」
布団の横に正座し涙目になっている慎一郎に、組長は笑みを浮かべる。
「まったく、ヤクザのくせに真っすぐな奴だ……斗馬もおめぇみてぇなら良かったんだが……」
「……オヤッさん……斗真さんはこの社の預かりになりました。いつになるか分かりませんが、戻って来たら俺がきっちり仕込んでみせます」
「そうか……そん時は……よろしく頼むわ……疲れた……ちょっと寝る」
そう言うと組長は目を閉じ眠りに落ちた。
「組長さんを動かすのはすぐには無理そうだな」
真咲はそう言って慎一郎に視線を向けた。
もちろん真咲が彼を吸血鬼にすれば済む話ではあるのだが、神の社で血の匂いを振りまくのは彼には少し躊躇われたのだ。
「そうだな……雪枝、すまんがオヤッさんを動かせる様になるまで、ここに置いてもらっていいか? その間、下働きでも何でもするからよ」
「勿論、構いませんが……本当に働くのですか? 姫様はかなり我儘ですよ?」
「斗真の様子も気になるしな。良平、お前もそれでいいな?」
「えっ!? 俺もスッか!?」
「何だ? 不満なのか?」
慎一郎の目が鋭く良平を射抜く。
「ア、アハハッ、ふっ、不満なんてある訳無いじゃないスか! この山形良平、兄貴と一緒に喜んで働かせていただきます!」
「フッ、調子のいい奴だ。という訳で雪枝、よろしく頼む」
慎一郎が雪枝に向き直り板の間に拳を突き頭を下げると、良平も慌ててそれに倣った。
「はぁ……後悔しても知りませんよ。我々の仕事は人にはかなり辛いでしょうから……」
そう言いつつも雪枝は慎一郎と共に働ける事に喜びを感じ、自然と笑みを浮かべていた。
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