山の神に喧嘩を売る
田所組の組長の息子、田所斗馬はガタガタと揺れる車の振動で目を覚ました。
最初に目に入ったのは車のシートのヘッドレストだった。
暫くぼんやりとそれを見ていた彼は、自分が便利屋を名乗る金髪の男に何かされた事を思い出した。
周囲を見れば自分の隣に組の若頭補佐、小島慎一郎が座っている。
その隣に座った慎一郎に殴りかかろうして、斗馬が自分の体がダクトテープで拘束されている事に気付く。
ダクトテープは腕を動かせないように腕ごと上半身を固定していた。更には足も膝から下を合わせる形でグルグルに巻かれている。
「小島ぁ!! てめぇ、こんな事して組にいられると思うなよ!!」
「……斗馬さん、今回の組長の件はあんたに原因がある。その責任を取ってもらうにはこうする他なかった」
「責任だと!? 俺が何をしたって言うんだよ!?」
斗馬がそう吼えると助手席から慎一郎と共に家にやって来た女が顔を覗かせた。
「あなたは私を銃で撃ったのです。その事で私が仕える方が大変お怒りになり、あなたを連れて来いと……」
「ああん!? 俺はてめぇなんぞ知らねぇぞ!!」
「……この顔に見覚えは御座いませんか?」
尋ねた雪枝の顔が一瞬で獣に変わる。
「ばっ、化け物!?」
『目を逸らさずよく御覧なさい』
「小島!? 何だよこの犬女は!?」
「斗真さん、犬では無く狼だ。あんた、この娘を俺が管理してた銃を持ち出して撃ったろう?」
「銃……まさかあん時の……でもあん時は完全に獣だったぜ……」
「この娘は尾代山の神様の眷属なんだ……斗馬さん、あんた神様を怒らせちまったんだよ」
それを聞いた斗馬は顔を引きつらせヒヒッと奇妙な笑い声を上げた。
「何が神様だよ……どうせその女も特殊メイクかなんかだろう? 小島、こんな事で俺がビビるとでも……」
「別にビビらすつもりでやってねぇ……あんたがどう思おうが、俺はあんたをその神様の所へ連れて行かなきゃならねぇんだ」
「お前、親父が死んで頭イカれたのか? 神様なんているわきゃねぇだろ……」
慎一郎は首を振って深いため息を吐くと、それ以上話す事は無いつもりの様で黙り込んだ。
雪枝も顔を人に戻し助手席へ座り直す。
「何だよ!? 何とか言えよ!! おい山形!! お前も何黙ってんだよ!?」
運転席でハンドルを握っていた良平は、バックミラーで憤る斗馬をチラリと見るとため息を吐いて口を開いた。
「斗馬さん、兄貴の話はホントっスよ……あんただって見たんでしょう? 真咲さん……金髪の兄ちゃんが頭撃たれたのに死ななかったの?」
「あれは……アレもどうせ手品の類だろうが!! そうに……そうに決まってる!!」
「手品って……チャカぶっ放したのは斗馬さんなんでしょう? どうやって細工するんスか……」
「それは……マジなのかよ……銃が効かねぇバケモンがホントに……」
茫然と助手席のシートを見つめながら、斗馬は虚ろな目をして呟く。
「……俺は……俺はどうなんだよ……?」
「さてねぇ……俺が見た山の神様はデカい……ヒグマよりデカい狼だった……食っちまうつもりかもしれねぇな」
「食う!? 嘘だろ!? おい小島!? 小島……嘘だよな?」
目を見開き脂汗を流しながら斗馬は慎一郎を凝視した。
慎一郎はそんな斗馬を少し悲しそうに見ると、おもむろに口を開く。
「俺達、極道の世界でも喧嘩を売りゃあやり返される。斗馬さん、あんたは山の神に喧嘩を売っちまった……オヤッさんも俺も……もう人間じゃ助けられねぇ……」
「そんな……俺は……」
項垂れた斗馬を乗せて黒塗りの高級車は尾代山へと向かった。
■◇■◇■◇■
尾代山の麓、田所組の組長の別荘では真咲がワンボックスカーから酒樽と肉の入ったダンボールを下ろしていた。
「真咲、肉と酒は調達出来たか?」
「ああ、スーパーやってる知り合いから問屋経由で手に入れた。斗馬、お前のカード使わせてもらったぜ」
「何だと!?」
慎一郎に引きずられて車から降りた斗馬は真咲の言葉に憤り叫ぶ。
「どうせこれも親父に作ってもらったんだろ? 生きて帰れたら、ちゃんと働いて返せよな」
「生きて……やっぱり俺は死ぬのか?」
「さぁねぇ……精々、神様のご機嫌を取るんだな……さて、しかし高級和牛二頭分と酒樽三つ……どうやって運ぶかな……」
「それは私にお任せを」
雪枝はそう言うと山に向かいアオーンと雄叫びを上げた。
それから五分待たずに山の木々の間から雪をかき分け三十頭程の白い狼が姿を見せる。
「ヒッ!? マジで狼が……」
「あんなにいたならこの前、送ってもらえば良かったぜ」
「まったくだ」
「白い狼か……なんか有名なアニメ映画みたいスッね!」
斗馬は怯え、真咲と慎一郎は苦笑を浮かべ、良平は少し興奮している様だった。
狼達は真咲達の傍に駆け寄ると、雪の上に転がされ怯えた声を上げる斗馬に一様に牙を剥き唸り声を上げた。
「皆、ここにある品はこの度、私が負傷した事へのこの者達からの詫びの品です。社に運び保管して下さい……お酒は姫様には渡さないようにお願いします」
狼達は雪枝の指示で次々と人に姿を変えた。
「人間になった!?」
その日本の神話に登場しそうな服を纏った者の一人が、驚きの声を上げた斗馬に歩み寄る。
男の顔は怒りで歪んでいたが、その顔は雪枝にとても良く似ていた。
「貴様が雪枝を鉄砲で撃った人間だな? 姫様から手を出すなと言われているから見逃すが……そうで無ければ俺が貴様を……」
「あ……」
自分を睨み口元を引くつかせ牙を見せた白髪の男の怒気に、斗馬は竦み上がり体を小刻みに震わせた。
「兄様……」
「クッ、こんな臆病者に我が妹が……所でその左腕はどうした? 何やら金気の臭いがするが?」
雪枝に止められた男は忌々し気に斗馬から視線を外すと、雪枝の左腕に目を向けた。
「そこの真咲の伝手で人のお医者様に治療していただきました……真咲にもあの方にもお礼をせねば……」
「そうか……真咲殿、俺は雪枝の兄で白風と申す。此度は妹が世話になった……この恩は必ず返すと約束しよう……治療してくれた方にもそう伝えてくれ」
真咲にそう言って頭を下げた白風に真咲は笑みを浮かべる。
「別にいいさ、それより酒と肉を運んでくれ」
「あい分かった。お前達、品を社へ運び込め」
「おう!」
後ろに控えていた白髪の男達は、雪枝の兄の号令で真咲達から酒樽と肉の入ったダンボールを受け取り、風の様に山の木々の間に消えた。
「それでは、我々も行こうか?」
「はい、兄様」
白風が獣に姿を変えると残った四匹も同様に狼へとその身を変えた。
『社へ人を招くのは久しぶりだ』
「では皆さん、背に跨って下さい」
「狼に乗るのは初めてだぜ」
「兄貴、凄ぇフカフカっスよ!!」
「はしゃぐな良平……まったく、お前は肝が座ってんのかガキなのか……」
「小島……頼む……見逃してくれよぉ……」
「斗馬さん……オヤッさんの命が掛かってる。腹ぁ括ってくれ」
「止めろ!! 止めてくれぇ!!」
悲痛な叫びを上げる拘束された斗馬を慎一郎は担ぎ上げると、無言で狼の背中に乗せた。
「落ちないか?」
『術を使い固定する、問題は無い……お前も早く乗れ』
「頼むよ……なぁ、小島ぁ……」
涙声になっている斗馬を乗せた狼に顎をしゃくられた慎一郎は、苦笑を浮かべると残った一頭に跨った。
『では社へ!!』
白風の号令で一行を乗せた狼の群れは一瞬で雪深い山へと姿を消した。
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