酒宴
その巨大な白狼は真咲と慎一郎を静かに見つめていた。
「でっ、でかい……」
「そんな所にいないで火に当たりなよ」
体を強張らせた慎一郎の横で真咲は白狼に視線を向けながら気さくに呼び掛けた。
「……いきなりガブリッとは来ないだろうな」
慎一郎は真咲の言葉に身構えつつ呟く。
その慎一郎の言葉に反応して狼は彼を一瞥し牙の並ぶ口を開いた。
『失礼な男じゃ、妾はお前達、人間の様に遊びで殺しはせぬわ』
「喋った……」
「そりゃ喋るさ、神様だもん……組長が獲った肉もある、酒は純米大吟醸だぜ」
真咲はそう言ってリュックから肉の塊と一升瓶を取り出した。
『ふむ……中々にわきまえておる鬼の様じゃな』
白狼はそう呟くと焚火へと歩み寄った、歩みと共にその姿が古い大陸風の着物を着た白髪の女性に変わる。
金眼のその女は真咲がリュックから取り出し置いた、折り畳み式の椅子に音一つ立てず腰を下ろした。
「……人に……なれるのか……」
真咲やヤクザのしのぎ関係で人ならざる者がいる事は慎一郎も知っていた。
だが、ここまではっきりと姿を変えた者を見たのは彼も初めてだった。
「当然であろ、妾はこの山の神ぞ」
驚く慎一郎を冷ややかに見つめながら女は冷笑を浮かべ言う。
「肉と酒を用意するから、少し待ってくれ」
「うむ……」
そんな慎一郎を横目に真咲はいそいそと焚火で湯を沸かし、ナイフで切った肉をフライパンで焼いていく。
程なく肉の焼ける匂いが暗い森に香り、湯にはちろりに入れた日本酒が芳香を上げる。
真咲はその焼いた肉を紙皿に盛り、燗にした酒をステンレスのコップに入れると女の前へ差し出した。
「ほらよ」
「……」
女は無言で皿とコップを真咲から受け取り、皿を膝の上において肉を摘みながら湯気の上がるコップを傾けた。
「……ふむ、暖かい肉も酒も久方振りじゃ……して、用は麓の家にいた男の事か?」
「ああ……アンタがアレをやったのか?」
「まあの」
「何故だ!? 理由を教えてくれ!?」
「……あの男の息子が妾の眷属を撃った。命は助かったがあの子はもはや野を駆ける事は出来ぬ……子のした事の責任は親が取るもの……そうであろ?」
「斗馬が……」
絶句し目を見開いた慎一郎に女は鷹揚に頷きを返した。
「その斗馬とやらをここに連れて来い……さすれば父親の方は返してやろうぞ」
「オヤッさんは生きているのか!?」
「死にかけておるが、死んではおらぬ……父親が難事に巻き込まれれば顔を見せるかと思うたが……そんな殊勝な玉では無かったようじゃな……おい、肉と酒をもっと寄越せ」
「へいへい……所で、その斗馬をここに連れてきたらどうするつもりだよ?」
真咲は肉を焼き、酒をちろりに注ぎながら女に問い掛ける。
「決まっておろう。八つ裂きにして一族総出で喰ろうてやるのよ」
ニタリと笑った女の口元に肉食獣の牙が覗く。
それを聞いた慎一郎は椅子から立ち上がり、雪の上、女に向かって土下座をした。
「頼む! オヤッさんを返してくれ! それと斗馬も許してやって欲しい……代わりにオレを八つ裂きにしてもらって構わねぇ!! 頼む、この通りだ!!」
「慎一郎……」
「ふむ……頭領の為に身を投げ出すか……」
女は雪に頭を押し付ける慎一郎を見て目を細め、薄い笑みを浮かべた。
「待ってくれ。こいつは俺のダチだ、死なす訳にはいかねぇ……俺に出来る事なら何でもしよう、それで手を打ってもらえねぇか?」
女は土下座した慎一郎と、真っすぐに自分を見る真咲へ交互に視線を向けながら苦笑を浮かべる。
「ふむ…………では……肉と酒を我らが満足するだけ持って来い。それと斗馬という男を連れて来るのじゃ」
「とっ、斗馬は許して貰えねぇのか!?」
「安心せよ、貴様の心意気に免じて命だけは残してやる……じゃが、眷属が受けた苦しみは味わって貰わねばのう……」
ニタニタと笑いながら酒を煽る女を慎一郎は呆然と見返した。
笑いながらも女の金の瞳には怒りが溢れている事が彼にもうかがえた。
おそらくこれ以上の条件を引き出す事は難しいだろう。
「肉と酒、それに斗馬だな」
「やるのか慎一郎?」
「……俺はオヤッさんには返し切れねぇ恩がある……それに斗馬にも仁義って奴を知ってもらいてぇ……あいつはオヤッさんに甘やかされて育った……今まで起こした問題も全部オヤッさんに尻拭いさせてきたんだ……それが通じねぇ相手がいる事を知りゃあ少しは……」
「フッ、恩に仁義か……今どきの人間にしては見どころのある小僧じゃ……貴様、嫁はおるか?」
「嫁? いねぇよそんなもん」
慎一郎の答えに女は満足そうに頷いた。
「そうか、おらぬか……では条件にもう一つ付け加えるとしよう」
「なんだと!? 話が違うじゃねぇか!?」
「黙れ血吸い鬼!! 先に手を出したのは貴様らじゃ!! 条件を飲まぬのであれば今すぐあの男を喰い殺しても良いのじゃぞ!!!」
女の顔が一瞬で人から牙を剥いた獣に変わる。
「クッ……何だよ条件ってのは?」
この大神は今でも信仰を失っていない。恐らく戦っても勝つ事は難しいだろう。
威圧からそれを感じ取った真咲は渋々彼女の言う条件を問うた。
そんな真咲を見た女は相貌を人に戻しおもむろに口を開く。
「……先程申した様に、傷を負った眷属の子は最早走れぬ……山で暮らすのも辛かろう……そこでじゃ、そこな人間、慎一郎と申したな。貴様が我が眷属であるその子を娶り、生涯、世話をせよ」
「……俺に狼の旦那になれっていうのか?」
「不服か?」
「……俺はヤクザもんだ。一緒になっても幸せになれねぇぞ、その子……」
「ふむ……やはり見どころのある小僧じゃ……心配するな、妾には福を授ける力がある。貴様の生業がなんであろうが不幸にはならぬ」
そう言って笑った女の瞳を慎一郎は雪の上に座ったまま、逸らす事無く見つめ返した。
「…………条件がある」
「条件じゃと? 先程の妾と鬼の話を聞いておらなんだのか?」
「聞いていた……その上でだ」
「ふむ……申してみよ」
「条件はその娘が俺でいいと言う事だ……嫌がっている女に無理強いはしたくねぇ……アンタも強要するな」
「……ククッ……クククッ……クハハハハッ!! あくまで他者を優先するか!? 気に入った!! 気に入ったぞ慎一郎!!」
女は愉快そうに笑いながらグビリッと酒を煽った。
「血吸い鬼!! 肉を焼け、酒を作れ!!」
「クッ、俺は召使いじゃねぇんだぞ……」
「何をブツブツ言っておる!! 早くせんか!! 慎一郎!! 貴様も飲め!!」
「あっ、ああ……」
雪の上に座った慎一郎の肩をバシバシと叩きながら、白髪の女は声を上げ笑った。
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